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2014年9月15日月曜日

今週もまた

葬式。きょうとあした。
火葬場を持たない清瀬・東久留米・東村山・・・あとなんだ、で葬式となると告別式は多磨霊園までの行って帰ってがあるので食事は四時とか五時が普通となる。丸一日の拘束である。

フィルムカメラがいつごろまで使えるものかと思ってネットで調べてみると、富士フイルムなどほとんどのメーカーがほんとに極一部の製品しか作っていないことがわかる。
あるうちにあれやこれやと写してみようかと思うが・・・。
DPEはヤフオクの利用となる。
デジカメのおかげで町の写真屋さんがことごとく廃業。
その次は写真スタジオもかなと勘ぐってしまう。
時代の流れで「いらなくなってしまう」職業というものは必ず出てくる。
まちの本屋さん、レコード(CD屋)さん、・・・うちらも風前の灯火だらうか。

通夜の帰りに車でラジオを聞いていると・・・ライターと称するwould-be(自称)インテリと称するあんちゃんが、「60にもなると、人間いかに生きていくべきかを真剣に考えなければならない云々」と説教じみたことをしゃべっていたが、「・・・ライター」って職業はこんな程度のことしか考えていないのかなとおかしくなってしまった。
「いかに生きるか、死ぬか」なんてものごころついたころからずーっと考え続けて生きているのが、真剣に生きている人やものを作ったり書いたりするひとには当たり前のことだと思うんだけれど。
60になったらいろいろ本を読んだりして「生きること、死ぬこと」を学ばなければならない・・だって。
これが「言葉で飯をくっているひとたち」なの?

電話で聞いただけで、実際のインタビューをしてないのに、対談したみたいな記事を書いてしまいそのおわびをしている新聞社がけさもあったな。
マスコミ、マスメディア、ジャーナリズム、・・・ライター、評論家。ずいぶんと安っぽくなってしまったものだ。もともと安っぽいのかな。善し悪しを選択できない"情報の利用者"自体に問題があるのかな。教育の普及には受けた量に比例する義務がある。

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