新年会で今朝起きたときはいつもながらのどの乾きをおぼえましたが、よく考えてみるとアルコールは液体なので水分補給剤なのかなと短絡的に考えてしまうことが間違いであることを再確認しました。
真夏にのどが渇いて昼間からビール、畑でビールというのがとても危険であることは多くのひとが口をすっぱくして指摘してくれているにもかかわらず「液体だから汗で消えた水分を補うはず」と理屈よりもイメージで考えてしまいがちです。
なんでこんなことを書くのかといいますと、今朝いつもながら水を1.5リットル飲んでいるといつもだとトイレに7,8回は行くのにもかかわらずきょうは3回で済んでしまったということです・・・我慢していたわけではありません。つまり失われた水分を補っていたのだと思います。頭でなく体で「アルコールは水分補給にはならない」というのを初めて実感しました。
とはいっても夏の暑いお昼時にビールを飲みたくなるのは水分補給などということは抜きに許してもらってもいいのかな、とは自分勝手な発言でしょうかね。
きょうも大豆の袋詰めの続きです。
30キロのものを20程度動かしていると間隔を空けてはいても体は熱くなり息もやや荒くなります。いい運動ではありますが、腰・背骨にはよくないでしょうね。
ips細胞の利用で、目の不自由なひとたちが視力を回復・獲得できるのもそんなに遠くない将来のようです。さまざまな医療分野で「絶対ありえない」と従来考えられていたようなことが可能になるのでしょう。
問題は働くこと・知的生産を終了したひとたちつまり"老人"たちの問題のようです。
自分ももう老人の部類に入るのでしょうか。
がんが克服され、脳細胞の劣化・死滅が克服され・・・とさまざまな不老不死願望が現実に可能になっていった場合何が起こるかということです。
・・・・・。
でも人間てそんなに簡単に長生きを欲せるほど単純な0~60(これはあくまでもおおざっぱに言ってのことです)をおくっている訳ではなくて、真剣に生きればいきるほど60にもなると"疲れて"くるものです。
だからこそ、60からが勝負となるのでしょうか。
現実には60にははるかにおよばず亡くなってしまうひともいるわけで人生の長さが人間としての価値でないことは明白です。
何をなして、何を主張して、何をしてひとによろこんでもらい・・・。
60歳ということ自体人生の一時期に過ぎないのではありますが、"考える重要な契機"を感じさせてくれているということでは、感謝している次第です。
本日をもって袋詰めほぼ完了しました。
自分の分100袋強。
横山さんの分14袋弱。
あと細かいもの少しと横山さんとこの手選別部隊の完了待ちがあるので終了まであと少し。
夕飯時「工場直売」なる取材でぶたまんやコーヒー豆のことをやっていました。
なんだ500円もする豚まんて手作りかと思っていたのに、ライン生産かつ冷凍、高い!。
コーヒー豆にいたってはあんな大きな工場でじゃかすか炒られているのをみるとうんざりしました。しかも値段はバッハコーヒーや近所の手選別コーヒー屋さんよりはるかに高い。あんなんで手選別なんてありえないでしょう。手で選別しなくてもコーヒー用の色彩・形状選別機があるんなら話は別ですが球体でないコーヒー豆のそんな高性能な選別機などあるはずもない。大豆ですら色彩選別機は数千万円。
所詮国境を越えて世界をぐるぐる回っているコーヒー豆は最終的には目で見て手選別するしか今の段階ではないようです。
あんな"工場直売"に群がる人がいるんですね。
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