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2015年4月2日木曜日

海棠と桜の写真を20枚くらい

写しておしまい。
30分ほど散歩、このままじんぐり増やせていけたらなと思うのですが。
きのうと比べると一日中やや寒いかなと言う感じでした。

きのう佐多岬半島の同業の友達から「10年前に食べたあの豆腐の材料はどこの豆?」ということを尋ねられました。
さてさて、といろいろ記憶をたどってみたのですが当然のことながら思い出せません。
どういうふうにいうと"かっこいい、一流"と思われるいいかたになるかはおおむね見当がついてしまうのでそういう"ことば遊び"は避けることにしています。それだけ昨今は言葉に対して疑心暗鬼です。"宣伝、コマーシャル"というものには極力目をそむける生き方をしてきましたが、商いに宣伝はやはり不可欠のものかもしれません。
話がそれました。
結局豆腐の場合、大豆の品種を選べばとにかくうまいものができる、というのは錯覚・間違いと言わざるを得ません。
どんな豆で作っても作り手の技量でうまくもまずくも変身してしまいます。
このステップの果てにはもちろん「最終的に味を決める主役は豆自体である」という答えがあります。でもこれを宣伝文句に使える人はこの世には存在しないといえます。それだけ豆一品種は奥深いのです。
ですからもっとも大切なのは作り手の技量だといえばいいのです。
これは思い上がりの弁ではありません。
豆の"おおいさ"に対する畏敬の念の裏返しがこういう言い方になるのです。
値段の高い豆が確実に旨いというわけではないのです。
作り手はさまざまな品種に対応できなければならないのです。

こんなところが佐多岬のおにいさんに対する答えでしょうかね。

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