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2010年12月31日金曜日

緊張とれて・・・

ぐったり。
緊張していると疲れていることがわからないのはだれも同じことなのだろう。
あしたはずーっと寝ていよう。

思えば飲食業界の大不況。
猛暑、関東(埼玉)の不作。
中国・インド等の食料需要の増大・・・明らかに我が国の食料パニックは眼前にせまっている。
どうするんだい。

農家のチャンスであるはずである。
畑をマジに始めてまだ5年だが危機とチャンスとは表裏一体であるのを感じる。
こんなにさまざまなことがらを教えてくれる仕事もない。
根幹には「いのち」の問題がある。

このことをバカにしてきた国民にはそれなりのことが起こるものと思われる。

来年はもっと景気が悪くなる。
自分で努力するしかないが、遊びも忘れてはならないのよね。

2010年12月30日木曜日

麦客(まいか/中国語)

テレビで鉄麦客/労麦客というのを紹介していた。
鉄麦客というのはコンバインを移動させながら機械をもたない農家の刈り取りをやってやる仕事。労麦客というのは字のごとく人力で刈り取りをやりながら移動し収入を得る仕事。
北海道ででめん(出女?)ということばがあるが、労麦客というのはそれのもっと専門家したことばだろう。よく働く。
畑の面積に関して鉄麦客と農家との面積の正当性についてのやりとりの激しさにはおどろいた。カネカネカネの世界。反面労麦客の素朴な働き者の姿にこころ打たれた。
まあ、機械化とはこういうことなのかなと思った。

きょうは例年のごとくだが一日中走り回っていた。
きのうも例年より忙しかったのだが、葬式まで入ってまいってしまった。
きょうは今、疲れ切っている。

あした起きるのがつらそう。

六花亭の「神々の遊ぶ庭」を食べながらブログを書いている。
おいしいラスクだ。
前はろくはなていと入れていたはずだが「ろっかてい」でキーを押すと正しく漢字が一発で出てくる。

2010年12月28日火曜日

夏目雅子/井伊直弼

夏目雅子27歳、井伊直弼45歳、夏目漱石54歳、・・・。一時間のテレビのなかで知ったこと。決闘で亡くなったガロアは20歳だったはず。
えーえ、こんなに若かったの?
夏目雅子さんは白血病を背負っていたことはおおきな不幸ではあるけれども人生トータルは幸せであったと思う。闘病の時、亡くなる時、亡くなってからこんだけひとから思われているという一点において。
不幸なだけのひと、幸せだけなひとというものはそうはいないはずである。
みんないいときもあれば悪いときもある。
できることなら人生最後の時に自分のことを思ってくれるひとがひとりいればいい。
調子のいい口だけで、瀕死の病床にあっても一晩たりとも付き添い宿泊もできない薄情な家族などいないほうがいい。
見捨てられた老人、カネだけ出されて施設に放り込まれた老人・・・、あわれな老人ばかり。
因果応報、蒔いたタネは結局自分でつみ取るしかないのだ、とわかっていても老人や病人は血のつながりと言うだけではすくわれないような気がする。
親、特に母親はどんな思いでこどもを育ててきたことか。動物的本能から出たこととはいえ・・・。
こどもはみんなそんなこと忘れてしまうのかな。

1/4からやる桐生の大川美術館の企画展示「相原求一朗展」ぜひおでかけください。横方向の連絡道「北関東自動車道」ができて川越から1.5時間程度だそうです。
亡くなった大川さんは稀代のの目利きで松本俊介の名品もいくつかあるそうです。常設展示も含めて楽しめる半日旅行ができると思います。

風邪ひいた、

少し熱っぽい。
今になって・・・弱ったな。

2010年12月27日月曜日

休みなし=毎日が休み

というふうに毎日を過ごしています。
遠くへは出かけられない。
家にいてできる遊びを昔から訓練してきた。
だから若い人には今のうちに遠くへ行ったり時間をかけないとできないと体験できないことをしっかりと経験しておきなさいとお薦めします。

とは粋がって言うものの、疲れ果てて物忘れ連続の今日この頃。
財布がない、車の鍵がない、宴会の場所がわからない、・・・こんなことばかり。老いにはかなわない。
でも味覚や音感等は全く衰えたようにも思えずえらそうなことばかり言っているのかもしれません。

これがせいいっぱいの自分かなと、未熟な自分・豆腐のお許しを皆様に請うばかりです。来年こそは・・・、何かな? うまい豆腐しかありませんね。

きょうはG先生、あすはA先生とところへ暮れのごあいさつ。結局「あと2時間」は年内は不可能のようです。

2010年12月26日日曜日

今年最後かな?

りせん大豆を半分刈り取る。全く入っていないようにみえて以外と下のほうについている株もある。ただいかんせん放置しすぎのため割れていたりが多い、タネ程度はとれると思う。
息子にはピーナッツと麹いらずを収穫してもらう、ピーナッツは遅すぎだときのう言われましたが少なくとも外皮はいい状態に見えるのだが・・・・割って中をみないとわからないかもしれない。
あと2時間で終了できると思うが、もうその2時間がとれそうもない。
フクユタカを久々にとってみる、あした届くかな。おもしろいうまい大豆である。
きのうの忘年会がとてもよかったので年末まではなんとか燃料充填できたようである。おつきあいいただいた皆様、ありがとうございました。

去年の今頃はようやく不眠症から脱出できたころだったが、最近の寝付きの良さを考えるとやはり私は単細胞なのかなと思ってしまう。CDを聞きながら寝るのだが、10分もかけずに寝られるようである・・・なにしろ太田裕美のアルバムの2曲目以降の記憶がまったくないのだから。
あつくて寝られないので湯たんぽはとりあえず、止め。雪でも降ればやるようかな。部屋にはストーブはなし。・・・自然体でいいと思う。
早稲田でやった三島由紀夫の学生たちとの対話を聞く。こわいほどの研ぎ澄まされた言葉にはおどろくばかりだが、はるか下のほうでけがれた生を営んでいる自分に逆にほっとしている。

年賀状できあがる。
今年大豊作の品種の畑の写真を使う。

2010年12月25日土曜日

忘年会

今年最後と思われる忘年会。
帰ってきてからこのブログを書けるかな?

帰ってきたのが10時半。
吉田拓郎のコンサートをやっていた。

きょうの飲み会も楽しくて無口な自分がけっこうしゃべっていたのかな・・・。
ちょいと時間が短かったようです。
このお店にはいい人ばかりが集まり遠くのひとまで含めてみんなお友達になってしまうようだ。
今度は一月。

酔っぱらっているのであまり書けません、眠たいです。
きょうはよかった、よかったよ。

2010年12月24日金曜日

きょうもなんかの日なの。

地下駐車場が混んで迷惑千万の日であった。

赤砂糖完了、多福があとちょい。
多福はまったくだめなものとひょろひょろと背高くさやびっしりのものが混在しているといった感じ。びっしりと付いたものは120くらいさやが付いている。栽培法によっては超多収となるはずである。ひょろひょろとして小枝が短くコンバイン収穫にはぴったしかと思う、うまくいけば反収300キロはおろか350キロは楽にいくと思う。

あしたの朝は1℃という予報。
帰り道の少し上が欠けた月もさむざむとしていた。
年末まで雨はなさそうだ。

2010年12月23日木曜日

きょうは何の日なの?

休みがないので日曜も祭日もない。
父は国旗を出す。

携帯用にと64ビットの11インチパソコンを買う、dell、Windows7。
DVDは付いてないので外付けとなる、コンパクトでいい。

桂園一音をほぐし脱穀する、くず豆やゴミはそんなに無い状態で栽培適正は上位といえる。100グラム弱蒔いたものが5キロになっている、選別しても4.5キロくらいはとれるた゜ろう。たくさん蒔いたのであれば大豊作の部類に入る、ただし来年もこうなるという保証はないが・・め。

自分の畑に蒔いたRM在来を刈り取る、蒔いた時期が8月近かったがやはりダメである。ただしタネは十分とれている。

あしたは赤砂糖。

阿川弘之の海軍の話を聞く。小沢正一やG先生は海軍兵学校の最後の生徒だが、末期の江田島ではおそらく終戦後の国作りのことまで考えて教育していたのではないかと想像する。ここで聞いたユーモアの話などを考えながら、そばでやっているばかなヴァラエティ番組を比べているとがっかりしてしまう。ひとを笑わせるということのむつかしさをかみしめる。

2010年12月22日水曜日

年内は無理だろう。

この長崎の在来種はボディがひょろひょろ背高くさやはまばらに(しかし30-50は付く)付くタイプで巨大粒だが小枝がうるさくて刈り取りは結構手間取る。少し残して終了。
年賀状をフジカラープリントで注文、25日にできあがりとのこと。ちょいと前までは最低一週間はかかったと思うが。
読売の第3面の記事の写真がMにそっくりで涙してしまった。
満月の前・後1日はまん丸に見える。よりによって真ん中の日だけ雨とは。

2010年12月21日火曜日

皆既月食、残念。

3時頃からぽつぽつとしてきて4時に帰宅。
一時間脱穀、例のRM在来・・・以外と入っている、3キロくらいはとれそうだ。
夕方は小雨、月食はまったくダメ模様でした。
小学校のころは天文少年で月面観測等に夢中でした。あのノートはどこへ行ってしまったのだろうか。
湯たんぽを使う。向田さんのエッセイに出てきたのでさっそく物置からひっぱりだす。
山登りの時、昼は水筒に、夜は湯たんぽとして使っていたのを懐かしく思い出す。
ぬるま湯くらいがちょうどいい。

2010年12月20日月曜日

忙しい!

仕事が終わったのが2時50分。これじゃあ、と思いつつも畑に。
はじめは腰もひざもいたくないのに、夜仕事に行くとき左側よりに腰がいたくなりつるような感じになる。あたたかくはしているのだが・・・。

夜、たけしのTVタックル特別版をみる。日本は大変だ。世界の人口の3人にひとりが中国人+インド人。そこが豊かになって食料をどんどん輸入しだすとどういうことになるのか・・・。安心・安全を武器に輸出すれば・・・とい提案が多いがよほとの食料"けがれ問題"がおきないかぎりそんなことは空論となるだろう。安いほうへ安いほうへとながれるのは水がひくきに流れるのと同じ原理である、豊かになれば食い物を節約して一点豪華贅沢という貧乏富裕民が増えるだけである。
理想をいえば日本の農業を守るのは消費者でなければならない。
しかし現実には、真理はそちらには存在しない。
なるようにしかならないのである。
それに歯止めをかけなければならないのが政治であるが政治は無能である。
もっと責任感が強くもっと頭のいい人が出てこなければだめである。
「選んだひとにも責任がある」ということをいつもいうが、選択肢がないんです。棄権すれば文句をいう市役所やまちの"名士"さん。
しょせん非公人・一般民は衆愚としか見られていないのだと思う。

向田さんはG先生と同期で、今生きていれば80歳なんだな、と畑でテープを聴いていてわかった。台湾で飛行機が墜落して亡くなってしまいましたが、たぶん乳ガンの手術後でもあったということ、そのガンの性質の強弱については知るよしもありませんが、飛行機事故がなくてもそんなに長くはなかったのかなとも考えてしまった。ぼくは彼女のドラマやエッセイばかりでなく、彼女の"声"が大好きで太田裕美と同じく惚れ込んでしまっているのです。ほんとにどきどきっとしてしまう、いろっぽい声質なのです。ぼくは人一倍"声質"にうるさい男で、顔よりも声なのです、顔もよければなおいっそういいのですが。

今年は自分の人生で、もっとも肉体労働した年で毎日毎日南アルプスを夏山縦走しているような感じだったと思う。疲れたけど、苦痛ということはなかった。収量も関係ない。畑に関われたということ自体に意味がある。もともとやっていたこととはいえ、亡くなったMが(逃避とは言え)置いていってくれた気力なのかなと解釈している。
桂園一音、の豆腐が来年はできる。

2010年12月19日日曜日

富岡終了。

ほとんど実の入ってない株の刈り取りほどこころの傷むものはない。割り切れば、捨ててしまえばいいというだけのことだがそう簡単に捨てられるものではない。
種だけでもと思い刈り取る、捨てるものひろうものとの選別で意外と大変なのよ。
4時で終了。
借地に関してはこれにておしまい。
自分とこにもどり一時間。
きれいなできあがりの長崎の在来種に2日かかるだろうか。
追い込みだ。

64ビットと32ビットはどういうふうにちがうのかね。
ノートパソコンがほしいなあ。

2010年12月18日土曜日

反収300キロ/無農薬

統計事務所のデータ表をS問屋さんのごろごろちゃんに見せたらびっくりしていた。
へぇー、そんなもんかい。
坪刈りは少し刈って、ある倍数をかけるものと思われますが、わずかな誤差がおおきく拡大してしまうので3割程度はは誤差があると考えたほうがいい。としても、200-250キロは行くと思うので無農薬としてはいいできだと思う。
それに反してきょうのもち大豆は10のうち2か3、りせんは10のうち2程度、RM在来は10のうち0.5以下・・・といった具合なのでその分析はやっかいだ。どうしてなのだろう?
同じ畑で大豊作とまるきしダメ、の差はなんなのだろう。
ますますおもしろくなってきた。
来年もがんばるぞー。
37℃、40日連続もなんのその。

夕方、足がつる。
運転席にすわるとこしがいたい。
あと12日・・・、実質8日。

重要なものはあと一品種。
そのほかはすててもいい覚悟で。
刈り取りに優先順位を今年初めてつけたわけだが、正解だったと思う。

2010年12月17日金曜日

引っ越し

元気くんは一月に住みづらい所沢市を去りところ市に引っ越しいたします。

いい天気だけど寒かったなー。

朝からずーっとピーカン。
朝、畑は真っ白だった・・・初霜ではないとのこと。

もち大豆、あとちょいとで時間切れ。
坂戸の統計事務所の方が留守時に「坪刈り」の豆とデータをもってきてくれた。
反収見込みが295キロ・・もちろん無農薬・・・でびっくりてしまったが、方法論上の誤差が大きいので、現実にこの豆を一反蒔いたとした場合の収量はたぶん200キロ弱ぐらいだと思う。来年は増やすつもり。
全圃場の反収は、全くだめなものもあったので、120、30キロかなと思う。例年より1割弱減くらいかなと思う。
それにしても豊作レベルが3品種あり、暑さにも負けずよくがんばったと思う。
特に、「坪刈り」に供した畑は連作5年目で連作障害の極地にあるのが普通かと思うのだがこのような結果になってしまった。去年、あるものを蒔いたのが原因かどうかはほかでもためしてみないと因果関係はわからない。もちろん麦等のイネ科ではない、イネ科ではあまりにも当たり前すぎるのでそんなことは私はしない。

先日「山下さんには弟子が何人いるの?」と聞かれましたが、私はひとに豆腐製造を教えたことはありません、といったら不思議そうにしていました。また、「山下さんはだれに豆腐造りを習ったの?」と聞かれたので「誰にも習ってません」と答えると、「お父さんだけですか?」と言われ「おやじからは機械のスイッチの入れ方しか教わってません」と答えました。

習いはしないけど学んだ相手は葛飾の埼玉屋さんです。ひたすら濃厚に、ということと煮ることへの情熱には打たれました。あんなにこく煮る習慣は自分にはなくて、大きな反省を促されました。やけどだらけの手に、こちらの色白の女性的な(低温やけどをしたときの医者の表現、ほんと)きれいな肌をはずかしく思いました。手も小さい・・・ただし占い師によればこれは働き者の手だと言われました、大きくて指が太ければいいというものではない。
にがりはそもそも、前提とまではいかないが、つまり戦前は薄い豆乳・油揚げは今でも薄い豆乳、濃い豆乳が今風の方法論の前提だが、濃すぎれば豆乳がどろどろになってしまうので均質分散が困難になる、それでも・・・、というのが埼玉屋の流儀であった。あえて、「問題」を自分で作っていくところが人物の優秀さを物語るものであって、このひとはほかのいかなる職業にあっても同じようにとことんつきつめていくタイプであったと思う。家庭の環境で大学は出ていないが、推論する力、組み立てる力は大きなものを持っている。東大を出てもバカはバカで、与えられた問題のあらかじめ想定された答えを即座に答える程度のことしかできないものも身の回りにはたくさんいる。にがりの方法論の先駆者といえる。
池袋の大桃さんには「純粋さ」を習う。彼はれっきとした高校教師で、家庭の事情とか学校で問題を起こしたから豆腐屋になったというのではなく「生き方」の純粋さを求めてものつくりになったものと思われる、言動から推論して。私はどちらかというとなりたいものがほかにあってなれなかったための絶望から目の前にある家業をいたしかたなく継いだわけですが、彼のピュアなこころには恐れ入るばかりであった。彼のお父さんはなんでこんな仕事に、教員のままでいればいいのに、という気持ちが強かったらしく・・・そのときのおとうさんの気持ちが自分には今よくわかる・・・仕事を始めた当初はお互いに大変だったと思う。それを支えたのが徳の高いお母さんだ。いずれにしても彼のひたむきに「上手になろう」という姿は純粋この上なく、自分のけがれたこころがはずかしくてしょうがなかった。ものつくりの気品とはこのひたむきさだと思う。埼玉屋もひたむきこの上ない。

なんか長くなってしまった。
さびしいのかな。
心が風邪をひいた日・・・これは太田裕美のうただ、さっきテレビに出ていた。ごはんを食べながら、家内がそばにいたので気づかれないようにちらちらとそちらを見ていた。

中年のこころが風邪をひいてしまったようだよ。

2010年12月16日木曜日

ひとはそもそも孤独

読売の夕刊の文化欄、三国連太郞へのインタビュー。
若い頃は悪役専門だったような気がしますが年を追うごとにいい顔に。
すべては顔に出ている。
かっこいいおじいちゃんです。
夕刊のインタビューもよかった。
自然体そのものだ。

中年の危機というのは要するに「若さ」と「老い」の間の変わり目の体の変化とともにおきるこころのおおきな変化からおこる問題のようだ。
そのままうつのまま没のひともあれば次のステップへあがれるひとも。もとよりなんにも感じないひともあるかもしれないが死に際に苦しむと思う。
こころはデリケートなものだ。

もち大豆にとりかかる。あと2日必要かな。
実が入っていないかと思ったが10のうち5,6は入っていたと思う。刈り取り遅すぎ、だいぶこぼしてしまっている。

2010年12月15日水曜日

いい天気かと思いきや・・・またまたどんより。

朝ピーカン。昼過ぎどんより、遠くのほうに青空ちょっぴし。

一番蒔いた品種が終わるかと思ったがちょっぴし残してしまった。
まだなんとなくしっとりとしている感じ、きのうおとといの雨のせいだろう。ぱりぱりとした感じがいいのだが・・・。

2009年産選別は、小粒の多生豆等を残してあとわずか。年内は・・・無理かな。
2009産総収穫量は850キロくらいだろうか。もう使ってしまったものもあるが、原則5℃以下で保存のため5年程度でも新豆状態のため、選別したものは次の年に有る程度収量が見込めることが確認できるまで使わないことにしようと思う。無くなってしまうので。

中年の危機というものは何でやってくるのかと自分なりに考えてみると、「人生の終わりが近づいていることが身近なひとたちの死を通して生々しく感じ取れるようになること」や「職業というお勤めが終わりになること・・・社会の責任を負っている大きな項目が無くなること」、「夫婦の間の愛情や信頼の惰性化」、・・・等、要するに活き活きとした精神が不活性になることかなと思う。もちろん具体的に重い病にかかるとか、仕事上の失敗・危機とかいうもはのははずしてのことですが。つまりフツーのおじさん・おばさんがなぜDepressed状態になるのかということです。
自分もいまうつ状態にあると思います。自分には逃げ場がたくさんあるので、なんでもないような顔をしていますがほんとはこころの中は暗く・重いのです。
いろんなものが、ひとが助けてくれます。
でもよく考えてみると「人生とは」なんてことは子供の時からずーっとまじめくさって考えるタイプだったので、今の自分のは中年の危機というよりは、生来の考え癖なのかもしれない。これは治るものではない。
書くことはいやしてくれる。畑もいやしてくれる。それを思うと37℃も気楽なものだ。

2010年12月14日火曜日

おまけ。

「裏口入学」ということば゜は日本語かと思っていたらどうやら翻訳語のようである・・・といってもひょっとしたら偶然の一致かな。
ケンブリッジの古典学のメアリー・ビアードという教授のTimesにおける名物ブログで、ある投稿者が
" It is a back door route to Oxbridge for the privileged."  と書いていた。 イギリスの貴族たちはおおむねオックスフォードやケンブリッジに入るがどんなに頭が悪くても(といっても、頭が悪いというのは何を基準に言っているのかわかりませんが)それが可能ということは・・・、なのだろうか。日本でもぼくたちが学生のころは旧帝大でも裏口入学事件というのがあったりしましたが、身内というものはいいなあと思って、頭にきたものでした。
しかしたとえ裏口でも中でがんばって卒業してから生涯学ぶ「習慣」を身につければいいことで、18、9の子供たちに何が一番大切かということは結局人生も終わりに近づいたこの年齢のものにしかわからないことなのかなとも思う。チャーチルも、いわゆる学校の基準では、おりこうさんではなかったはずである、それにもかかわらず後世・・・。
大切なことは生涯「学ぼう」という謙虚な姿勢である。
九州から片道20時間かけてかけつけて話を乞いに来てくださる私より年上の和田さんという新人にはいつも恐れ入るばかりで、こちらもぼーっとはしていられないとはっぱをかけられる感じである。
「道」には頂上はないということらしい。
ブログの題はやっぱし「元気くん」かな。

きょうも雨。

昼過ぎあがったが、遅い。しめったものは刈れない。2日のロス。

今年最重要の品種を脱穀。100グラムから4キロ程度はとれたろうか、なり方も健全で、暑さにも負けずよくがんばっと思う。「桂園一音」と名付ける、未登録品種です、本名は明かせません。来年はたぶん豆腐に数回加工できるものと思われます。枝豆がまずかったので、期待は大です。

GISENSKAを脱穀すると機械ががたがたゆれて壊れるかと思うほどの感じがした。茎はまるで木のようである。今年は粒はちいさい。

対馬のにがりがいい感じである。
前にも書いたかな、このどぎつくなく奥深い味の世界はA級の料理人には通じるはずである。
適度な濃さも相まって寄せのおもしろさを倍加してくれる。
薄いのはぴりぴりとした神経も必要とせず間が抜けた作業となるが、こちらはかなり遊べる。高温から低温までの変化を楽しむべきである。

風邪のためか耳が調子悪い。

ブログにカウンターをつける。がちゃがちゃとやっていたら、googleのこのブログのシステム自体にカウンターがついていた。

鑑定団は毎週部分的には見ている。

2010年12月13日月曜日

きょうは雨。

ということで脱穀・・・、ではなくて脱穀したものの「ほぐし」だけで終わってしまった。
つまり即脱あるいはそれに近い状態で脱穀したものはまだ水分をたくさん含んでいるので箱の下の方ではお互いにくっついてしまい、そのままにしておくとその部分がかびたりしてしまうのである。
作業は寒くて風邪を引いてしまったようである。

私はテレビはほとんどみないしラジオもほとんど聞かなくなりました。
とくに仕事から帰ってくると毎日のようにやっているクイズ番組では、毎日のように出ている出演者にはうんざりしています。
昔はFMおたくといえるほどFMを聞いていました。
きょう夕飯を食べながらラジオ欄というのを見ていましたがNHK以外はみんな中身が同じようで、こんなに局が存在する必要があるのだろうかと疑問に思いました。おゃべりする方がせいぜい地域の話題を話す部分だけが個性的というだけで全体の特徴の差異は何もない感じ。

情報のだぶり過剰提供時代。

「無いこと」の豊かさ、という逆説的な真実について考えてみる。

2010年12月12日日曜日

今日最多の品種が終わるかと思ったが・・・

無理だった。あしたかな、と思ったらなにやら雲行きが・・・。あしたは雨かもしれない。この時期の一日のロスは大きい。

物置のカセットの整理箱の講演はやたらと多いようだ。
新潮社のはいうに及ばず、NHKラジオ第二放送や3チャンネルからのものや、あるいは第一放送の朝の番組をそのまま録音したもの・・・ドナルド・キーンが一週間ゲスト出演・・・などがあり貴重なものとわかる。江上波夫の放送大学の講義などもあり、こりゃたまげたもんだ。よく録音していたんだなと思う。

3日坊主の次は一月、これはこなせたので次は3ヶ月といこう。毎日書いてみる。

2010年12月11日土曜日

3日坊主は回避できたかな?

書かないとなにか変な気分なのでbloggerとしてはいい状態なのかもしれない。
全国各地でいい豆腐が作られるようになってとてもいいことだと思う。
にがりが理解されるとこんどは品種の多様性の価値が見直されるようになるのは必然的なことなので、当然のことながら大昔から(明治維新以前から・・・なんか変な言い方かな?)日本の各地に存在した品種、しかもそれらは作り手の腕次第でいくらでもおもしろくおいしい豆腐となりうる、が注目されだすようになる。能書きだけで商売しようとする向きにはおおむね技術水準に疑問の残るメーカーばかりが、表舞台に向かって必死の形相でさわいで゜いるのが滑稽だが、基本的にはいかなる品種にあっても煮方・寄せ方をマスターしたもののみに許されたある種悦楽の園の気分にひたれる至福のものつくりの世界である。

品質の極点追求と販売数極大化は矛盾するものである。
豆腐の、没後の評価、というものはありえないが、そもそもそんな世間の評価そのものを気にすること自体が無意味なのかもしれない。
自分が設定するなにか、に向かって邁進するしかない。
さすれば、かならずそれに惚れ込んでくれるものが現れる。

自分は1950年代生まれの典型的な落ちこぼれではあるが、逃避として逃げ込んだ世界に逆に助けられた部分がおおきい。それを豊かにするために学んだこと、そのつらさから逃げるため・・・つまり逃避先から逃避した場所から得られた多くの財産によって自分なりに充実感を感じることもあるのでまあ、普通かなとも感ずる。

全国の町の豆腐屋が元気になってくれればなと思う。
enlightening  seminarなんかにはいかないこと、業界紙は読まないこと、これに限る。

2010年12月10日金曜日

あと何日?

もう12月10日。あと2週間、その中には雨の日もあるし年末のごあいさつ周りの日もある・・・、きびしいなあ。
摘芯について県の小林さんから電話あり。微微増という結果だったそうだが暑さのこともあるので、摘芯したものとしなかったものが同じ圃場でおこなわれたかどうかが問題になってくるので、厳密な意味ではどうなのかなとも思うので来年やってみることにする。
借金なしもかたっぱしからだめだったというわけではなく畑によってはよくとれたとも聞くので、とれない理由が暑さ以外の連作障害にあるのではないかということも注意しなければならない。
という意味で、研究上来年も高温の夏になることを期待・・・、したくないね。え、へへへ。

こんな年齢になってこんなになにかに夢中になっている自分はひょっとしたらあるいは確実にバカかもしれないが、やはり去年のことがあったからなのかもしれない。逃避かな?

本は読みたい、映画(dvd)は見たい、音楽は聴きたい、パソコンも勉強したい・・・とやりたいことが一杯あるのだが。
一日があまりにも早く終了してしまう。

2010年12月9日木曜日

想像力

小林秀雄の学生たち相手の有名な講演テープがあるが、それを聞いていてとてもいい気分になった。
知育偏重の中で育った世代を相手に一見怒ったような口調で語りかける小林の江戸っ子的な口調におもわずくすくすとどきっとしたものを感じてしまう。ちょうど本居宣長を書き終えたころのものなので学生は自分より10くらい下だろうか。

つまるところ教養とは想像力かな、と感じる。人生でもっとも大切なものは気品と教養かもしれない。タイプ、性別、時間、身分、国籍、・・・を超えて相手の気持ちを感じ取ることのできる想像力。知識を超えて身につけていかなければならないこころの充実だ。
ものをつくったり育てることを職業にしているひとはこれに近づきやすいこころの訓練を日々しているものと思われる。日々ばかにされつづけてきたことを思うと逆に幸せな職業であったことに気づく。大江健三郎のというかオコナーのことばを借りれば「職人のハビット」にこの小林の講演の「想像力」ということばに励まされて畑にいてうれしくなってしまった。

読売夕刊の金曜3面はみなみランボーの山の記事、ちょうど光岳(てかりだけ)の山行記。行ってみたくてしょうがないコースなのです。うらやましいなあ。

夜、寒い。
外はピーカンの晴天、明日の朝は冷えるな。

2010年12月8日水曜日

寒い一日

朝起きると路面が濡れていた。
9時頃車より見える秩父・奥多摩の山々が白くなっていた。
雲取の石尾根は木がないせいか白く輝いていた。長沢背稜も白くて、なつかしさがこみあげてきた。好きなコースで何度もいったが、ジョン・レノンの訃報を聞いたのも稜線上だ。一杯水避難小屋も新築中、天目山避難小屋はあったかな、倒壊していたかな?水場はしっかりしていた・・・。

また行ってみたいな。

富岡を刈る。一週間では無理かな?間に合うかい?

ある討論会等をダウンロードしてNEROを使い初めてMP3CDを作成する。SONYの携帯CDプレーヤーで再生できた。なんと20時間くらいはいっちゃうのかな・・・。煩雑になるのでけちらず一杯いれないほうがCDはいいと思う。おもしろい遊びになりそうだ。ただしiPodはやっかいそう。コピーガードがかかっている。

休むことなくこのまま最後までまっしぐらに働き、まなび、感動し・・・。
とりあえずは破綻的な疲労はにはまだいたらず。

If I rest, I rust. これは誰が言ったのかな。

2010年12月7日火曜日

農業委員会

きょうは農協の共済推進と農業委員会初出頭で畑は40分しかできず。

農業委員会は年に1回ほどきょうのような相談会をもつらしい。県の小林さんのすすめで「畑を借りる」のが目的で行ったのだが・・・。
そこにきていたおじ(い)さんと話をしているとなんかようすが変、ほかのひととも話をするとなんか変・・・?
みんな草ぼうぼう農家のようである。すなわち「しかられ」に来たのである。こどもではないので「しかられる」ということばはよくないが、内容は「しかられ」である。

そんな中で「畑貸してください」という自分がいかに前向きであるかということに、なんか照れくさい感じもした、もちろんうぬぼれてはいけない。

なんとか3反程度借りられればと願います。

2010年12月6日月曜日

二律背反

我がホームページとブログは両立不可能のように・・・。
両方やるには相当の・・・。

同じことを同じ形・ことばで何回も言うのはおろかなことだとわかっているので両立は今のところ不可能なのかな。
同じことを異なったことば・かたちで語り続ける一級の物書きを見習わなければと思う。
どこへいっても同じことをそのまま繰り返している講演者の話を何度となく聞いてきて、税金・公金の使い方をもう少しかんがえてくれといいたいことばかりを経験してきた。一時間50万、100万、200万・・・さらには遅刻してきても平気で時間を短縮しなおかつギャラはそのままもらっていく詐欺まがいの講演者もいた、もっとも今そのひとは知る人も無き影の薄い存在だが・・、天罰。

ノートパソコンが使えるようになったがメモリーとかがそもそもちいさいのでいろんなことはできないのだとわかる、でもワープロには使えるだろう、そして予備の予備。

前津江ちょいと残して仕事に。
あしたは共済の推進まわりと農業委員会土地借り会議、忘年会とトリプルだ、まいったな、もー。

2010年12月5日日曜日

前津江刈り取り。

これはやっかいである。
小枝がいつまでも枯れないタイプ、さやはからから。
手で小枝を落としながらの刈り取り。
全部は無理だった、4時間。車に八分目。

夜、また忘年会。
ほんとに眠たかった、疲労の局地だろう。
おやすみ。

2010年12月4日土曜日

なりすけどんどん、成金在来、前津江在来刈り取り完了。

どれも即脱可能状態。
物置もあちこちふさがり始める。
大江健三郎の講演がなつかしかった。

夕方飲み会。きょうはとても楽しかった。
無口のわたしにしては よくしゃべったかな。

2010年12月3日金曜日

きょうは疲れて畑はおやすみ。

お天気の急変。朝大雨、夕方まで23度で半袖、夜北風でさむい。
風邪のひきはじめかな、ここで気をつけないといけない。
ノートパソコンにWindows7を入れようと思ったが、5年前でまだ容量がすべての点でちいさかったのでアップグレードは無理のようだ。
こじんまりとした使い方をしようと思う。

2010年12月2日木曜日

なりすけどんどん刈り取り

降らなかった。
刈り取りはかがんだりまっすぐだったりの繰り返しで結構あせが出て疲れる。
3時間て゜荷台満タン。
5時だと結構暗くなってしまっている。
注文がパソコンでやっているところがあり、adobe reader8以上で発注書が来るのだが、adobe10というのがあったのでダウンロードしたら真っ暗。最新版ならなんでもいいというわけではないことを知る。もとに戻してしまった。
OEDを一年間かけて読み通したアメリカ人の本を読んでいるが20000ページを365で割ると約60ページになる、俺には無理だわ。せめて1ページか2ページ。すると50年かかる。気ままにぱらぱらとめくってみよう。

2010年12月1日水曜日

いたち豆脱穀完了

EpsonのノートパソコンのリカバリーCD3枚セットのうち2枚目がなくて弱っていたものがなんと年賀状の束のなかから出てきた。
リカバリー開始、ただいま順調進行中。

いたち豆脱穀完了。
ごみまじりでまず60キロはあると思う。
3日も脱穀にかかってしまった、脱穀柄は畑にもどしてやろう。
あしたあさって天気は悪そう。
雨ならほかのものを脱穀して乾燥スペースを拡大しなくては。
降らなければなりすけどんどんを刈り取るつもり。

ギンレイのうまさにあらためて感謝。
改良品種なのでもうそろそろ変質するのではと思っているのだが・・・。