"床屋さん"してあげる。
快調に飛ばしてかなりやったがこの時期ならではのスピードだと思う。
春真っ盛りともなれば暑くてすぐ疲れてしまうだろう。
終える頃には手首がいたくてまいった、あしたは・あさってと相当難儀が予想される。
夕飯時に見ていたテレビで「卒業式に自画像を描く」という伝統の学校をやっていた。なんと100年以上も続いており、驚いてしまう。
教師・校長の裁量というとおおむねだれでも考えつくような"想定内"のことがらが出てくるもので、この自画像もそういったたぐいのものかもしれないが100年もつづけていると言うことがすごい。
「昔から歌い続けている・・・は古くさいので今風の・・・を卒業式にはうたいましょう」式の"改革"みたいなものは昨今どこでも起きている問題かもしれないが、ひとつのことをずーっとつづけることの難しさを痛感した。
後から来たものは必ず「進歩、進化、逸脱、目立ちたい・・・」という気持ちを持つのはひとのつねで「かわったことをしてみたい」という"できるひとのさが"というものは古今東西否定することのできないひとの性癖なのかもしれない。
ただ永くつづけることにはなんの意味もない、というのがだれでも簡単にいうせりふだが「ただ永く続いて見えること」は「ただ単に永く続いているわけではない」ということをきちんと理解しなければならない。
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