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2011年2月4日金曜日

航空公園のわきを通ると、

ゆるやかな傾斜で日当たりのいい桜の木の下でかなりの老夫婦がにこにことおべんとうを食べていました。いい風景でした。
「ぼくんち豆腐屋」を読むと、一般の人にはわからない当事者だけの世界が意識のうえにのしかかってきてさまざまな思いに涙してしまうのですが、幸せとは何かということを考えずにはいられません。
九州の和田さんはいつも車に何十時間もの乗りっぱなしの訪問で恐縮してしまうのだが、やさしい奥様と親孝行のお嬢様とで、50代の転職にもかかわらず幸せな人生をおくっているなと頭がさがる。
夫婦、家族の愛なんてものは50代、60代になってから化けの皮もはがれ真実が現れてくるものなのかなと思う。
中年の危機は必ずやってくる、と同時にきちんとそれに立ち向かうことしかない。
2週間前の仕事仲間の新年会で池袋の大桃さんが(大桃美代子のいとこ)結婚を機に変わったな、と思いました。いわゆるわかいひとたちの新婚ほやほやの"外見happy"と違って成熟(途中、失礼!)した男女の愛情というものをひしひしと感じ、こちらまでいい気分になりました。家族の近況まで聞いて、成熟の家族だなと感じました。教員を止めたのも天の導きだと思います。
埼玉屋は相変わらずの家族孝行で、父親に早く死なれた苦労ゆえなのか"家族"ということを常に意識しつつ仕事の芸術性を追求している苦労人だとわかります。

芸術と家族というものは本質的には相容れないのかもしれない。
でも相原さんや、猪熊さんや、新井、大桃、の姿をみているとある意味で"愛の奇跡"をみるのである。芸術は家庭的には破滅にいたるのが普通である。
ぼくはクラシックおたくであるが、クラシックの演奏は基本技術がそもそもむつかしいがゆえに安易に"芸術:"ということばをコンプレックスも交えて世人は使いたがるが、作曲家はもちろん芸術であるとしてもそれを再生するだけのことが"芸術"と言うレベルに達しているのは、そうは例がない。音楽はあまりにエンターテイナー性につまり"カネ"に毒されている。
こういうはでな世界に比べるとものつくり職人は、音楽家などと比べると数段低い世界に置かれてしまうが、つきつめたものたちは芸術家である。
たくさん売ることには縁遠いけれど、その一品一品にかける思いの大きさははかりしれない。センス、カン、粋、・・・。認めてくれているひとは必ずいる。ひとりいればいい。

90歳の猪熊先生が東京都庭園美術館でやった平山郁夫、高山辰男、絹谷幸二等と語ったNHKの番組討論はあまりにも有名で、あとで相原先生に感想を問われたことがあるが、「勇気を持って前にジャンプすること、前の時代までになかったこと・枠組みを作り出していくこと、前の時代までの大先輩が作ってくれた偉大な財産からの汚染から抜け出すこと・・・、というメッセージが強く印象に残っている。芸術は美術と違う。・・・といっても美術そのものは存在否定さるべきではないとは思うのだが。
ものつくり職人にも大変熱いメッセージとなっていると思う。
瞬間の重みにも触れていた。
あした桐生の大川美術館に行く。猪熊先生の作品が所蔵されているか否かは知らないが稀代の目利きの集めた名品に出会えるのが楽しみだ。


私はテレビをほとんど観ていないといいながらテレビのことを結構ここに書いていることから、嘘つきというひともあるかもしれませんがそれは夕飯の時テレビがついているからにすぎません。
沢口靖子が霞夕子をやっていた。この役は比較的新人っぽいひとか゜と思っていたのですがこんなベテランがと意外でした。前にやっていた背のひょろりと高い美人が好きでした。
沢口さんは裏の安松神社で「盲導犬なんとか・・」のロケで撮影したこともありこの部落では人気者です、私も好きです、京都シリーズでもよく出ていますね。

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