これはこれでうまい。
50歳になるまでカップヌードル以外カップ麺というのは食べたことがなかったが意外とうまいことに気づく。ただしそばはまずい、むつかしいのだと思う。
これにパートが持ってきてくれたおそば屋さんの揚げ玉(天カスということばはきらい)をのせると言うこと無し。
山登りをしていた時もうどんは銀紙のお皿に入った生のものを持って行った。お湯をかけるだけというのが不真面目な気がして。
きょうは農協の会議だ。
地域の理事の選出であらかじめ決まっていたことですぐ終わり。
JAはこれからさまざまなクレームが国からばかりでなくあちこち・内部から噴出することと思われる。地方ですらそうなので、大都市近郊の農業をしていないのに昔からの出資の縁で農協組合員というパターンがますます増えていく。当然専業でがんばっているひとたちとは齟齬が生じる。自分も農業で食っているわけではないのでどちらかというと部外者かもしれないが、じぶんのようなものがこういう農協のちいさな役を引き受けなければならないこと自体が大きな問題だ。
作物の流通そのものから根本的に考えなければならない時期に来ている。
専業のひとたちをことばだけでなく質の面から支えていかなければならない。
"あがり"つまり駐車場やマンションのあがりや税金逃れ農業といわれる"農地活用"は否定していかなければならない段階に来ている。
まじめな・真剣なひとだけを保護すればいい。
読売夕刊の8面。
また涙してしまった。大津秀一さんという緩和ケアーの先生へのインタビューである。
確実に死へ向かっている患者から人生の大切なことを学んでいる。教師はむしろ患者である。
ぼくは死を前にしたMの4ヶ月間に大津先生のおっしゃる人生の大切なことを言葉はちがうけど同じ意味のことを学んだ。ぼくがMに与えたものよりもぼくがMから受け取ったことのほうがはるかにおおきい。一年半すぎていまだに苦しんではいるが仕事や人生を見つめる仕方が少し(おおいに)変わったように思う。
残された時間、生きた証、人生で自分がなすべきことをよく考えてなおかつ努力すること、生きること死ぬることを深く考えること、人生の質・意味、・・・よく生きる、このひとことだけだ。
どうやったら成功するか否かなどといったハウツー本・講演がむなしい。
一所懸命与えられた生を生き抜くことだ。
努力しひたむきになること自体に意味がある。
奇しくもMと全く同じ事を教えてくれた大津秀一先生に、「ありがとう」。
ぼくよりひとつかふたつ年上の先生だがいいお顔をしていらっしゃる。
ほんとにありがとうございます。
0 件のコメント:
コメントを投稿