ページビューの合計

2011年11月1日火曜日

左足が

しびれる。
2年前の検査では脳ではなく背骨とのことであった。
腰痛はしょっちゅう不定期で起こるがしびれるのは久しぶりである。
とりあえず冷えないようにしている。
書き忘れていたがおとといのNHKの途中までみた「宮沢賢治の音楽会」で自殺した加藤和彦が10年前にコンサートで謡った雨ニモ負ケズの歌がよかった。
重い内容を軽くリズミカルにこしらえた旋律がかえって訴える力を増していた。
大貫妙子のうたもよかった。
坂本龍一の「月夜の電信柱の軍歌」が、モノクロに近い映像とさらっと流していく音づくりが加藤和彦みたいにメッセージを強く発信しているようであった。
藤原真理さんがなんと賢治のチェロを使って林 光の「セロ弾きのゴーシュ」という曲を賢治の通った盛岡農林高等学校でひいてくれた。この曲はいい。
藤原さんは数年前に近所の松井公民館/松井クラシック会主催の記念コンサートに喜んで来ご自分よりも伴奏のピアノの方への気配りがやさしさにあふれていて恐れ入ったという裏方のかたから聞いたエピソードからしてこのテレビでの演奏はこのひとしかいないというのも宜なるかなというふうに感じた。"いいお顔"であった。

賢治は時代を超えいろんな形で本人のメッセージを伝えうる、あるいは"演奏"するひとの思いを伝えうる一級の材料なのかなと思う。
たとえは良くないがバッハの作品のようである。
グールドが飛び抜けているのではなくバッハがすべてを飲み込みかつ演奏者の思いを殺さずいきいきと生かしてやる力をもっているのである。
賢治はこの国民のベーシックたりうる力をもっている。

畑は天気もよくあたたかだったのてすなり作業がすすむ。
これに先だって乾し場の整理もやる。

近所の農家が「豆腐屋さんの息子さんはどこで習って畑をやっているんだろう、連作障害ぐらい知っていると思うんだけれど・・・」という私をあからさまにばかにしている話を、ウチで畑の端っこのほうを貸しているXさんから聞いた。
こちらが「生活のかかっていない遊びの農業」ということでねたみやっかんでいるんだと思うが、ヒマさえあれば除草剤をまいているそのすがたを思い出すと逆にあわれになってしまった。
こちらは親や近所の農家に方法論聞いたりしたことは全くなく自分なりに調べたり人間関係で得た事柄をヒントに徒手空拳の世界に遊んでいるわけで、他人からとやかくいわれる筋合いはない。
裏に麦を蒔けばいいなどということは農業をやる前から知っている。
連作不可というのは一般論で、連作が「間違っている植物栽培法」であるというのは科学的には間違っている。
自然界の植物はすべて連作である。
人間の口や栽培にに合うように改良してきたことが「植物の生涯」をゆがめてきたのである。
自分の方法は自分の畑を大豆にとっての"近似自然状態"を作り上げてやることである。
最初の2年は大豊作。
次の2,3年は明らかに複数症状の連作障害、去年は高温も3反を全滅させた。
ことしは・・・大豊作である。
連作を重ねることで大豆にとっての"極自然状態"に近づいたのではないかと考えるが、数年間みないとまだ結論づけることはできないだろう。
慣行農法拒否、有機拒否。
自分はこれで行く。
実は去年は一町歩やって3反全滅とはいっても残りは豊作であった。
当初の推定では800キロくらいかと思っていた収量もいまだに選別が終わらない状態で今年の分でだぶってしまいそうである。たぶん1トンはいっているだろう。ことしは1.5トン弱ぐらいかなと狸の皮算用をしている。

もっとひろいところでやりたいよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿