男なので女性のことになり恐縮だけど、お昼にやっていたテレビで母娘が買い物をしていた。
娘は30代かな、さすれば母親は50~60代だろうか。
母親が美しいのである。
美人ではない、従って娘もそんなに美人ではない。
娘の「おいしい」という言葉以外、この二人の会話は何も放送されない。
でもこのおかあさんは数十年の間に勝ち得た人生の宝物が顔に出ていた。
「老い支度」ということばがはやっているが・・・というよりこの年齢だから意識しすぎているんだろうが・・・このお母さんはまさに意識しないで「老い支度」を若き日よりしてきてそれが美しく実ったまれな例なのかなと感じた。
たまたま今が幸せだからこうなんだと反発するひともいるかもしれないが、苦労してきたひとは自分の周りをあえて不快にするようなことはしまい。
失礼になるかもしれないが娘さんには何も魅力を感じなかったのにお母さんにはさわやかな色気を感じてしまった。
老い支度、死に支度と中高年の気にすることばがマスコミでもひょこひょこ出てくるようになったが、人生のハウツーものなんか読んでも何も取り込むものはないと思う。
今をきちんと真剣に生きていくしかない。
かなりできあがってしまっているいまの自分を洗練させていくしかない。
ハウツーものの人生論などよりも自然と自分の中からわき上がってくるものに価値がある。
50過ぎたらもう革命的な変更など無理だ。
家の裏の条件(日照)の悪いところに陸稲蒔く。
乾くとかちかちになるところである。
河岸段丘の川の近いところにある集落なので畑はこういった土になる、水田よりは少しましといったところ。
外からときどき土を加えたりするのだがなかなかさらさらとまではいかない。
自分がつぶした大豆の中でもっともまずいと記録したコスズを漬ける。使い道が店売りではない揚げ物なのでOK、とする。技術がだいぶ変わってもきているので楽しみではある。だれが作ってもうまくなるのはそう楽しいものではない・・・誰よりもうまくすればいいことだが。
やっかいものほどおもしろいのである。
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