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2011年6月26日日曜日

信濃のコロンボが

やっているかと思ったら本物の刑事コロンボが亡くなってしまった。
83歳。
思えばおおいに楽しませてくれた刑事物であった。
洗練さという点からするとB級かもしれないが、B級なりの気品はあった。
イギリスではなんといっても未だにインベクター・モースで中年インテリ独身警部の精神の更年期症状たっぷりにしっとりべったりのドラマ人間模様が豊かに描かれている。
コロンボは人間関係の微妙なあやの描き方は雑だがアメリカ映像の平均からしたらまともな線かもしれない。昭和天皇も愛した娯楽刑事物である。
コロンボ以外に何かの映画に出ていたがつまんなかった。
コロンボがだぶってしょうがなかったのである。
寅さんそういった感じの俳優だったのかな?

メインのパソコンがまたおかしくなってきた。
調子よかったのは1年にも満たないかもしれない。
今このブログは枕元にあるDellの準高級身ミニノートで書いている。
ふだんは先入観からか使いにくいというイメージが先走ってしまいキーボードを打つのは敬遠してきたが使ってみると意外と使いやすい。もちろん片手使い。自分は日本語入力なのでキーボードの幅が適度に狭くてかえって使いやすいかもしれない。
ただテンキーがないのが欠点であるが数字はそんなに入力するものではない。

時間が前後するがきょうの畑は心地よかった。
イタチ豆三回目の補填蒔き。これが最後、決定版。ちょいと工夫する。
となりの畑では芽が出たてのさやなみを総攻撃している、このやろ。
川俣さんのCDを聞きながらの作業となる。
58分の録音を3回転聞いてしまった。
川俣さんは明らかによくなった。
15年くらい前のあのときから聞けなくなってしまったがこないだのコンサートにしてもこのCDにしてもあきらかに成熟の数ステップを感じられた。
人生の厚みが技術を押し上げた。

意外というか以前にもだれかの演奏で武満のギター曲を聴いたときも感じたことだが、無調や旋律というものの感じられない現代音楽にあってもギターはりっぱに音楽の幸せをちゃんとこちらに伝えてくれるということがわかった。
ギターのすばらしさを再認識むする。
川俣さんもしっかりと熱中していた、いい演奏であった。

今は農繁期で本もろくすっぽ読むこともできないがハングリーにさせてくれることでわずかな時間を大切に感じることもでき、幸せといえば幸せである。
武澤先生が口癖の「残された時間」ということを重くかつ気楽に受け止めよう。
中断したら中断でいい、夢・目標はきちんと持ち続ける。
きのう浦和でNさんにいろいろなことを教えられたが、こんな年齢になってこんなすてきな出会いがあったことになんと感謝したらいいのだろうか。
こどものころから人見知りがひどくてひとの前にでるとむおどおどとして何もしゃべれなかった自分だが、今は少しは会話もできるようになっている。
きちんとした日本語にはなっていないけれどもたいした飛躍なのかもしれない、内容はないけど。

とここまで40分くらいかかったかな、床にしゃがんで書いているので腰がいたくなってしまった。

さて、レコードでも聴きながら寝よう。

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