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2011年6月11日土曜日

我が国で原子力解禁に

なる前年の1953年、西洋古典学の田中美知太郎が「・・・ものをつくる能力は恐ろしいほどまでに進んでいる。しかしそれを私たち自身のために用いることにおいては昔のひとと比べ少しも利口になっていない。ものをつくる能力と、用いる能力とが大きく分裂すれば、人類を危険においやるかもしれない。その現代にあって、両者を結びつける仕事が何よりも必要なのだ・・・」と発言していたことを今日の読売のコラムで引いていた。
彼が監修した岩波のプラトン全集を買うためにせっせとお金を貯めたのをなつかしく思い出していたが、このコラムの表題が「初心忘れた原子力」となっていて、今回の原発のことばかりでなく自分や業界の若者たちの姿勢について思うところ多々である。

この業界の戦後の大革命は「にがり」である。
初めてにがり豆腐に接した(食べた)時の感動と、初めてにがりで豆腐を作ったときの緊張・恐怖・わくわく、が私のいいたい"初心"である。
道具も方法もおおむね出そろって以降学んだものには、「つくることと作らさせてくれる」ことの区別に対する認識が非常に欠けているように思う。
豆腐は自分が作る、というスタンスでしか製造行為をみていないひとには「大豆が豆乳になり、それが固まってくれ豆腐の形になっていく」現象に対するこころの感触がつかめていないような気がする。製造の根底にある"現象"を意識しなくてはならない。
自分だけがかたちをもたらし創作しているという態度は思い上がりである。
「豆がそういうふうに、ああいうふうになっていってくれる」という大豆に対する畏敬の念を改めて、初めて作ったときの気持ちを毎回毎回思い起こして欲しいのであ。
だれでもそこそこのレベルにはあがれるが、その先はつくるひとのこころの姿勢である。

東海村は1954年が誕生だというと自分と同い年だ。
(関係ないがこの年は世界的に距離計カメラの飛躍的進化・最終到達点にいたった年でもありこのあと35ミリ一眼レフに移行していく・・・。自分の生年の決まり切った自慢話。)
同級生で東海村の原発に就職したものもいる。
慣れて緊張が無くなりだらけてくるとさまざまなマイナスが浮き出てくる。
何が悪いのかわかりきっているのにもかかわらず注意しなくなってしまうようになってしまうのがこわい。

8畝タネまく。
朝まで雨が降っていたのでぐたぐたべたべたの粘土質。
こういう状態では普通畑に入るものではないが、溝きりがやわらかくなっているので遊んでいるわけにもいかない。
蒸し暑くて大変だったが2時間で止める。

北浦和で飲み会。
きょうも充実していてよかったよかった。
45度4杯飲んだが酔わない。
農作業で体調が良くなったようだ。

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