ページビューの合計

2011年6月15日水曜日

変形労働時間制、サマータイム

を実行(予定)している企業社員へのアンケートによれば50数%のひとは「いいことだ」と喜んでいるとのこと。
たぶん夜型のひとにはきつくて無理なのかと思うが、お日様の運行に順じて生きているひとにはここちよいシステムなのではないかと思う。
「太陽に従う」というのが動物的意味では自然なあり方だと思うが、近・現代文明というものは我々を「時計に従う」というシステムに強引にはめ込んできて管理してきた。重宝な時間の有効活用。
特に夜に大きな意味が含まれているのだと考えるが、ひとによっては9時や10時に寝ろといわれても・・・と困ってしまう場合が多々発生することだろう。習慣にできるかどうかだ。
それほどまでに文明というものは「夜を明るく、仕事の上でも・遊びの上でも活動する時間帯」にしてしまったのである。
闇というものに対する感覚は相当鈍ってきている。
闇がわからなければ正反対の「ひかり」に対する感性も当然のことながら鈍ってきていることと思われる。
陰影礼賛の美学、建物のつくりとひかり、風景の中や絵の中の光りと陰に対する感性を自然と身につけていく(教育的)環境が消失しつつある。
何と言っても"夜が明るすぎる"。
便利すぎて工夫できない。
イメージをつくりあげる能力劣化。
コンビーニエンスということばは退廃の象徴のようにも感じられる・・・ただし使い方次第とも思うのだが。

はとぽっぽの妨害行為にはまいった。
まき直し。
そしておとりの豆をはじっこのほうにばらまいておく、ただしはとがねらってるのは豆そのものよりは発芽したてのある「甘い部分」だということをだれかが言っていたので役にたたないのかな。毎年鳩には万事鳩首・・・ではなくて万事休す。

きょうはいつものアベックはいなかった。
テレビで山形から秋保温泉経由、松島海岸まで映していた。
秋保温泉はその奥の大東岳登山の時かならず通るところでなつかしかった。「あきう」と読む。
仙台のまちは全くふだんと同じように映っていた。
松島海岸も「え、ほんとに津波が来ていたの?」という感じであった、がれきは皆無であった。編集削除したのかな?

それにしても「はとぽっぽ害」どうしよう。
今年は寝られはするのだけれども、眠りが浅いせいか明け方夢ばかりみる。
ただし記憶に残るほどのものはないのでたあいもないことばかりが出てくるのだと思う。
夢判断するとどういうことになるんだろうか。
といっても夢判断自体信頼の置ける「心理状態判断・分析」とは思えないけど。
夢の中の出演者の組み合わせが絶対にありえない(時間的、地理的、つきあいのネットワーク上、・・・)パターンのことが多々あるが、そのとんちんかんな組み合わせがおもしろい。「おもしろかった」という記憶があるのだが、どんな内容だったかは覚えていない。明け方、半分醒めたような状態で夢をみているものと思われる。
去年おととしの不眠4ヶ月が信じられない・・・あくびも出ない、夢なんかもちろんみない、電車に乗ってすら居眠りができない、こわいことだ。6キロやせた。腹は減る、しかし食べ物が出てくると食べられない、4食にしてもただやせるばかり。
寝て食べられる幸せ。これだけでもおおいなる幸せなのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿