35度あった。
そんなに暑いとも思わないが風のせいだろうか。
猛暑日、というんだっけ。
去年の猛暑できたえられてしまっているのかもしれない、たいした暑さではない。
家の中ではごはん食べるところにしかクーラーはないが、クーラーはことし一度も動かしていない。
耐えている、わけではない。
年齢のせいで暑さに鈍くなったのかもしれない。
きょうはお昼のビールはやめる。
水がいちばんうまい。
パソコンのところに涼しい風が入ってくる。
自然の風はいいねえ。
畑はさほどの暑さは感じなかったけれどもペットボトル大は1.5リットルは飲んだかな。
なんだこんな程度かという、2.5時間であった。
水の飲み過ぎで胃の中はぴっちゃぴちゃ。
ビールに対する欲求は減じてしまった。
このへんは工夫が必要だな。
不正・違法生体肝移植。こんなこともおきるんだな。カネの動きよりも医師が自分のためにカネで他人を養子にしてその腎臓をいただいたという話だ。河野洋平はたしか息子から腎臓をもらっていたような気がする。
科学者の好奇心による脱線の話とはちがって「医師にとって切実な、自分自身の体の問題」から発生した事件だが科学もただの理科系の人物たちには「罪と罰」の中の問題が当たり前の享受すべき神から与えられた権利などと考える愚か者がいくらでもいるんだなと感じた。
科学の倫理と言えば遺伝子操作の問題がすぐ思い浮かぶが、倫理倫理と騒いでいる裏では好奇心故のクローン人間の"製造"なるものも行われているんだろうなと勘ぐってしまう。
原子力発電など氷山の一角なのかもしれない。
学問、教育のあり方をもっと真剣に考えなければならないのだが教育を司る官僚たちがそもそも人類の行く末やひとの道、ファッション化した"生きるちから"について真剣に考えているようにも見受けずこれからひとびとは寿命ばかり延ばしていってどうするんだろうかと思う。
PTAをやっていたころやたらと校長が口にしていた「いきるちから」ということばにほんとに腹が立ったものだが、ファッションやノルマで口にしているこういった"重いことば"がかわいそうであった。
僕は教員は大嫌いだが・・・父の姉が教員でそいつに対するトラウマがある、戦前は愛国教育。戦争が終わったとたん民主教育、日教組。戦前の教員たちは終戦とともに教員を止めるべきであったと思う。知識人の末端・端くれにあるものとして生き方を誤っている。この点に丸山眞男の"他者感覚"を適用することはできない。恥ずべき事である。このようなたぐいの教員・校長にあふれていたのがぼくらの子供時代である・・・ほんとうは教師とは聖職である。導くなにがしかを若い者たちに示すのが教師である。言葉でなくともいい。授業の方法論そのものの中にも"導き"もある。答えを示す必要はない。
授業よりもむしろクラブ活動、恋愛・いじめ・運営というクラス"生活"の中にこそ真理はある。
学校の意味がわかるのはずーっとあとだ。
わかったひとたちがしかけをしてやるのである。
自分には教師たちとの"出会い"がなかったのかもしれない。
この点は不幸であった。
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