ページビューの合計

2011年6月12日日曜日

見返り美人

といえば私の世代のものならばだれでも知っている高額切手コレクションの代表格だが、一時15万くらいしたものが今や4500円でヤフオクに出ているとのことをラジオで紹介していた。
景気が悪くなってもこういった稀少品というものはそんなに値崩れするものではないと思っていたが現実とはきびしいものだなと思った。
記念切手の発行しすぎから来る趣味人口の減少ということを説明していたが、たしかに郵便局にいくと四六時中記念切手シートの広告が出ていたような気がする。
自分は子供の頃いっとき集めたが長くは続かなかった。母親がときどき買ってきてくれたりしていた。記念硬貨もよく買ってきていたような気がするが、こちらは冷めてしまっている状態だった。
切手収集というのは英国王室でもやっている趣味の王様というとらえ方がむこうでは一般的らしいが、現代のように遊びの多様化した時代にあっては、切手の供給過剰という現実も相まって、先細り傾向は免れ得ないのかな?無くなることもないと思うけど・・・。

もの(データなども)を集めるというのは知的訓練(分類、体型づけ、・・・)のいい材料でこの世の多くのひとたちは程度の差こそあれ「なにか」を集めているのであろう。
将来値上がり・・・・、などと考えずに自分の信念で遊ぶのが粋というもので、妙なことでひやひゆしたりいらいらしたりする必要がない世界だろう。

8畝蒔くと同時にこれからのところをかき混ぜる。
長靴の底にどろがひっついて重い。
あじさいが咲き始める。
仏壇に切って添えてあった。

夕飯に家のびわが出ていた。
となりに館山の大村さんからおくられてきたびわが。
ウチのはすっぱいけど甘かった。大村産のは甘さそのものはウチのより無いと思うのだがすっぱさもないので上品な甘さとなっている。
しかし本来はウチのなのだと思う。
大きさも房総の1/4から1/5くらいしかないと思う。
でも我が家に有ると言うこと自体に意味がありありがたくいただく。意外なうまさにいままで気がつかなかった。今まで食べたこともない。
今度はいちぢくの苗を買ってこようかな。

きのうNさんが「本を読まなくなってきていること自体が問題云々」と言っておられた。
なるほどね。
私らは別に教師に読書習慣の習いを受けたわけでもなく、国のプログラムにも別段読書のススメを格別重用しする旨があったわけでもないが、なぜか本は読む。
"外圧"とは関係なく本を読んでいる自分が今もいる。
点数を意識する必要のない読書である。

若い人たちが本を読まなくなったというが教育筋の方法論の問題とは別のところに原因があるのではないのだろうか。社会生活のあり方そのものにによって引き起こされた傾向ではないだろうか。自分が子供のころは本は貴重なもので、買ってもらうと脚注・欄外まで含めてすみからすみまでなめ尽くすように読み、覚えてしまったものだけどね。
今は簡単に買えてしまう。
買ってばかりで積ん読にもなりがち。
積ん読自体は将来的にはおおきなプラスの意味があるけれども。

とにかく自分で自分を教育することの大切さを今この年齢でつくずく感じている。
"教育"というのも大げさなことばと思われるかもしれないが、でもやはり"教育"である。
点数取って達成感を感じさせるという幼児教育も大事だが、ほんとの教育は社会に出てからの自己教育にあると思う。
学ぶ習慣、学ぶ楽しさ・・・考える楽しさ、へと続く。
定年・停年は無い。

0 件のコメント:

コメントを投稿