たようだ。
突然ざーと降ったり日が出たり風がふいたりで忙しい天気。
外仕事は出来るようで出来ないようで。
それにしても蒸し暑い。
台風のコースを考えると四国・山陽・山陰が大豆の成育に影響ありそうだけど。
この時期だと腰ぐらいまで育ったモノが倒伏しやすい。葉っぱが茂り頭がぬれると重みでバランスをくずす。しかも根の張り方はぶなのようで一部深くまでは行ってるものの弱々しい張り方ですぐに倒れてしまう。コンバイン刈り取りは困難である。
倒伏しにくい品種も改良品種では工夫されてはいるが、地上より上のスタイルと育ちのスピードに重点があり、根の張り方までは改良できていないようだ・・・不可能なのかな。
イネも倒伏しやすい。
武蔵野線に乗ると、荒川近辺で水田が眺められるが大雨のあとでごっつそりと倒れているのをよく見かける。
お店から帰る頃には路面も乾いていたが風が強くなっていた。
帰ると世界陸上。
女子200メートル。
白人ひとり以外すべて黒人。
注目のアメリカのアリソンは目つきがすごい。
どこか遠くの(ぼーっと、ではなく)一点を凝視しているようであった。
客席に手を挙げるときはかわいい目になる。
目といえばジャマイカのスチュアートがとてもきれいな目をしていた。
結局勝負はもうひとりのジャマイカ選手キャンベル・ブラウンとなる、アリソンは3位。
おもしろいレースだった。
短距離は日本人には"とおい世界"だな。
Nさんもいつか言っていたが「具体的なことを抽象的に思考しまとめあげること」がひとが「よくいきる」ということの重要な部分である、と丸山眞男も同じようなことを言っていたと思う。
講義よりも座談の好きな丸山の目指していたものは語り合う者の「掛け合い、インター・プレイ」だったのだろう。ジャズやクラシックのちいさいアンサンブルもそうであろう。
一方通行の知識の切り売り教育から生まれるものはなんだろう。
教師に責任はないとはいうものの、高等学校までの教育にはこういったものはほぼないと言っていい。
わかっていても、いやいやわからないのだろうし考えすらしないのかもしれない、・・・正義感故のぎりぎりの逸脱をやってしまう教師もどこかしらにいなくはないと思うんだけれど。
公教育には望むべくもない。
絵は知識-抽象化のもっともわかりやすい例である。
猪熊源一郎は若いひとたちを育てるこころのおおいさを人一倍もっていた画家だが常に言っていたことは「具象だろうが形がなかろうが大切なのは抽象性だ」ということを言っていた。
うすべったいわけのわからぬ"めちゃくちゃ"ではない。
音楽はそもそもが抽象なのだが、もとになる楽譜が"知識、事実"だとしたら演奏は抽象化の営みである。単なる"再生"ではない。
商業主義が優先されてしまうとここのところは無視されてしまう。
クリエイティビティを育てる環境というのはいつの世も二極化になってしまうのだろうか。
つまり極貧のなかの格闘か、その正反対かである。
カネの心配のない世界はそれはそれでこころはゆがむ、自分との戦いだろう。
どちらにしても平穏な人生にはなりえないと思うが、超越して仙人になってしまったひとたちはいる。
媚びない、のひとことは大変な"道"を示唆している。
司馬遷、2000年も前のひとに涙している。
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