ジャイアント馬場と鹿島の宮本さんがでてきた。
宮本さんは同業で何回か会っているのでいいのだが、ジャイアント馬場はテレビでみていただけである。
私も入れて3人が飲み会をして人生についてしみじみと語り合っていたということだが中身についてはまったく記憶にない。
頭の中の記憶の回路というものはどうしてこういう組み合わせをつくるのかわからないが、こういう夢を見られるというのは楽しいことだ。なんか得したような気がする。
怪獣においかけられたり崖っぷちに追い込まれたりというような怖い夢は子供の時以来みたことがないよな気がする。
会いたくてしょうがない故人というものも、普段想い続けている割には、出演してくれない。
勝手にあたまのどこかが出演交渉しているようでこちとらはなるがままにまかせているだけだ。
畑はおやすみ。
夜、こないだ枝豆2種をあげた保母さんが来て「おいしかった「」のひとこと。
うれしかった。
2種類の差もわかってくれてよかった。
意図的に非だだちゃ豆を意識してもいだものであるがこちとらの意図がわかってくれていたようである。
現今の枝豆市場はおおむねだだちゃ豆を基準にして売れる・売れないの判断をしているようだが、買う方はこういう一種の"価値観の一元化"を洗脳されているようであわれなことと常々思っている。買う方も愚かといいたいところだが買う方に大豆の知識がそんなにあるものともあるいはそういう知識に接する機会自体ないと思うので、悪いのは売る方だと思う。
猫も杓子もあるひとつの方向に押し流されていく、というのは永遠に直すことのできない"大衆"というものが持つ特性なのだろう。
そういう悪癖・悪徳を導くのはメディアや"ちょいと勘違い"している自称文化人と称するひとたちや団体であろう。
"多様性"ということば自体がファッションと化してしまったている状況ではどうやって多様性の重要さを説くかということはむつかしい問題だが、実例を示し実践した結果を示すしかないような気がする。
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