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2011年9月18日日曜日

いい天気できれいな秋の雲が。

日陰は涼しく湿気のない"いい天気"。
ただ気温はそうとうありそう。
都心で33度ということはこのへんはやっぱり34,5度にいくのだろう。

大豆のは蒔いた順に花が咲き実が付き、できあがるというものではなく"品種差"によって育成・収穫が決まる。
一番最初に蒔いたものはなさけないくらいにさやはちいさい。

さやなみの枝豆。
ゆでているときからアセチルピロリン臭が部屋中に。
きのうと同じく"早め"の状態。
虫入りが多い。
味はきのうのほうがいい、つまりこちらは豆あじがやや貧困な感じなのだが本来は豆腐を考えればわかるようにもっと味は豊かである。
ぱんぱんに近いほうがうまいのかもしれない。

見回り3反。
ヨトウムシ葉一枚もみつからず(みつけられず)。
大きくなった株たちのてっぺんの葉っぱが一部落ちている。
少し下の方にも光りを取り込もうとしているのかな。
柿の木のあるひとにはわかると思うが一本の木に何百も花が咲き結実したとしてもそれがすべて最後まであるわけてはなく自分自身で間引き作業をしているようだ。
大豆でも同じようなことが起こる。
発芽してから成長点がリードしてきたボディ形成はあるところでストップ。
栄養をさやの中の身にいくようにする。
さやはさやで全部ぷっくらとなっていくわけではなく黄色くなったりあるいは緑のまんまぺったんこのまんま落ちてしまうものがある。
同一の土なら品種によってかなり差が出る。その土地の土質・気候・生息害虫・育成法に対する相性からくるものだろう。
少し畝間が見えたりしてすっきりしてきた。
ただし横倒れのひどいところは話が別だが。

小粒の・・・がぱんぱんで葉っぱ総体がやや黄色っぽくなってきた。
9月末には枯れるかなと期待しているのだが。
おとなりの大粒もややぱんぱんに近くなってきた。

きょうは少し強い風が吹いていて気持ちよい。
車の陰で腰掛けてぼーっとしていていい気分。
これは最適の読書環境である。
畑に本を持って行くのもいいことだ。

お昼のさやなみに続いて2種類枝豆を取る。

きょうはもう9月18日。
自分にとって一年の変わり目をもっとも感じるのがこの時期のキンモクセイの香りである。
キンモクセイの香りがすると「またひとつ年をとったな」と感じるのである。
町中を走っていてどこからもにおってくるものだが、通常は9/15くらいにそうなっていたのがここ5年くらいはほとんどお彼岸過ぎ、去年は10月に入ってからであった。
夏の高温とその長期化が原因だろう。
ことしもまだまったくその気配はない。

夕飯でさっきの枝豆。
小粒はすごく甘いのと豆あじが豊かであることがわかる。
虫入りも少なく多収だろう、ただし選別は大変である。
豆腐にするのはもったいなく納豆だろう。
もひとつはさっぱ系で豆あじは弱いかな。
この時期でないと食べた充実感は得られないかもしれない。

宇宙ステーションから古川宇宙飛行士がカメラを操作したオーロラの生中継映像を映していた。
カメラ自体はすごいのだろうがデータ転送の能力の限界だろう、映像そのものはデジタルカメラ最初期程度の画像であった。
ただ古川さんと同じ時間・視線を共有できた喜びは多くのひとが感じたことだろう。
増税増税と言っているときに行政側のその対価としてたくさんの"カット"が要求されるわけだが、こういった純粋な世界のひとたちには経済的ストレスが相当たまっているのではないかと思う。
"役にたたない(としか理解されない)"学問は即座に"カット"の対象となってしまう。
目先の"役に立つ"というものほど未来の役に立たないモノはない。
古川さんがんばってね。

お昼にもテレビをみていたのだがブラジルのアマゾンの南に位置する広大な"ゼナード"という荒れていると言われている広大な草原。
角さんの時にアメリカの大豆輸出禁止(embargo)をを受け手この地の巨大開発援助を我が国が始めたわけだが、実はアマゾン同様おおきな環境破壊の罪をおかしている。
その影響はアマゾンの森林伐採と比べていかほどのものかはわからないが、日本の農業技術者が「なんにも育てられないところ」に「育ててみせる」という好奇心と・・・なんだろう、好奇心だけかな、この地には人が住んでないんだから・・・国策の「行け行けどんどん」の号令で広大な大豆畑を出現せしめたわけだが、巨大な動く灌漑マシーンなどをみていると「のうぎょうするに値しない、すべきでないところ」に強引に人間の力を見せつけようとしているおごりばかりが感じられた。
このような例は他にもたくさんあるだろう。
人間の愚行で疲弊したところを人間の力で・・・・、というのはわかる。
そもそも農業できないところや森林であるべきところを農地にという行いは千年万年後にどういう影響をもたらすのだろうか。もっとも人類がそんなに持つとも思えないが。
ある国の福祉はその下位にある弱い国々の犠牲の上になりたつ、というのは人類の宿命だろう。
下位国が豊かになればさらにその下にしわ寄せが行く。
企業の海外移転というのもこのことである。
中国のコストにはやがて耐えられなくなる。
そのときはそのときで、なるようになればいいよ、ということか。

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