ページビューの合計

2011年9月15日木曜日

パソコンにはすずしい風が。

日陰はすずしい。
結局今年はクーラーを使わなかったわけだが少し動かしてやらないと壊れてしまうかな。

お店も明るくなった。
節電は終わったようだが基本となる生活態度には「節電の思想」が必要だと思う。
ひとの集まる店舗などはそこそこの明るさ・楽しさを感じさせないと社会は暗くなる。

状況が落ち着いてきたように見えると(錯覚すると)、やっぱり原発は必要だ、空洞化になってもいいのか、・・・とあれやこれやまたもとに戻る発言が勢力を増している。
フランスのなんとかという知識人が原発のススメを読売で説いていたが説得力はない、気にすることなく日本人がきちんと未来を見据えてどうしたらいいのかを考えていかなければならない。
「まず事故なんか起きない、事故が起きるまでの間に失われる"工業的進化・利得"と引き替えに100パーセント安全なエネルギー政策には転換できない・・・」という主張にきちんと反論できる見解を示さなければならない。
そして何よりも原発事故はその国だけの局部的問題ではないということである。大気や海を介して地球をくるくる回って汚している、これもglobaliseだ。

国の将来像や"国のあり方の思想"をきちんと議論・合意を得ていなければならない。
国力とはなんなのかという議論も大切なことである。
グローバル化によって"先進国"といわれる国は様々な似たような経済的・社会的障害物を抱え込むようになってきている。
なるようにしかならないのか、知恵が効くのか?

所沢のこの秋の選挙は混乱の極みの様相を呈している。
はっきり言って選挙どころではない放射能の問題でお茶屋さんがたいへんなことになっている。
1検体1.6キロ提出、100グラム3000円のお茶なんていくらでもある。検査費用が一万円台。
損害賠償請求がきちんと通るかどうかもわからない。
・・・。
お茶だけではすまなくなるだろう。
うちの大豆も廃棄かもしれない。
本業ではないので"いいスポーツをした"と考えればいいことだけど。
所沢がそうなら関東平野全部ダメということだろう。
作物以上に3.11以来我々は肺にたくさんの空気を取りこんで来たわけで体内にどれくらいたまつているのかの報道はなにもない。
自分のようにもう還暦近い人間はもう十分生かしてもらったという気持ちがあるが小さい子たちや若いひとたちはまだまだこれからだ。

国策ってなんなんだろう。
国の決めることにはぴりぴりとしていなければならない。
「選んだら、あとは任せきる」といった漢の武帝の発言は組織運営上は在る程度の鉄則性があるが、政治にはまったくこれが通用しない。
裏切られればいつも聞かれるのは「選んだのが悪い」になってしまう、つまりだまされたのが悪いと言うことだ。

総倒れ畑の草むしり。
そしてそろそろ出てきた与党虫いや野党虫でもない、夜盗虫(ヨトウムシ)の「はやけたて」葉っぱのつみとりである。
つまりちいさい蛾の幼虫だが葉っぱをメッシュにしてしまうやつである。
遠くから見てメッシュになってしまったものは"遅すぎ"なのだがそれでも幼虫が残っていることが多いのでつみ取る。本命は完全葉なのだがやや黒ずんでいる、生まれたての幼虫がびっしり200-300位はいるだろうか。
だいたい一反で2-5枚くらいだろうか。宝探しみたいで結構楽しい。もちろん「でかいの」引っこ抜きをしながらのことだが。
集めた幼虫付き葉っぱは火あぶりとなる。
この作業が10月初・中旬くらいまで続くだろうか。
10月に入ると枝豆も楽しめる。
10日くらいになると早生の刈り取りも始まる。
今までとは別の意味で忙しくなる。
農繁期の中の比較的気楽でいられるのが今の時期かもしれない。

県の農業関係に放射能のことを質問する。
理論的には・・・、という答えが返ってくるのかと思ったら収穫を経てからの検査しかないとのこと。
前例がないし原発学者も研究してないんだろう。
今回のデータが世界レベルで貴重なデータになっていくのだろう。
実験のできない世界だからね。
それにしては犠牲が大きすぎた。
お茶の高い数字が何から来ているものなのかわからないが、空から振りまかれて付着したものなのか土から吸い上げたものなのか断定できないとのこと。ただし米等からは今のところ出ていないとのこと。
細かに追跡していくとのことなのでそれに従うしかない。
それにしてもお茶屋さんはかわいそのうだ。
県の職員はかけずり回っている毎日よう。

空から眺めた・・・、の番組で京浜急行。
特に京急の古い車両を塗り替えて香川の琴電(琴平電鉄、こんぴらさまのこと)に輸送する場面がおもしろかったし琴平電鉄という名前がなつかしかった。20才のころかな、乗ったことがある。サイクリングの途中だったが。
新幹線のトレーラー輸送というのは時々テレビで目にするが、きょうのはおもしろかった。
琴平神社の奥のインからの(だったと思うが)讃岐平野の眺めは圧巻であった、そんなに標高の高いところではないはずだが。

Nさんのブログで思ったが、一番二番の問題。
空洞化とは要するに「圧倒的な一番」でないから価格競争に流されてしまうのではないかなと考えてしまう。だから日本を出る。
きのうの新聞に寄れば中国も労働組合の義務化から日本企業にはいずらくなりつつあるとのこと。
さまよえる日本の中小企業。だれが作っても同じモノに日本人が取り組む意味はないということか。
この国の工業はどうなっていくんだろう。
圧倒的な一番、心地よい言葉だけど・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿