肥料はないのでしないがしたほうがいいのかな。
乾燥防止にワラをのせろと言われる。なしの実がついていた。
ゆすらうめは剪定しすぎたせいか実なし。
ゆずがたくさん実がついているのに対してレモンはやはり実になっていないようだ。ヘタのところからそっくり落ちてしまっていてあとに残っているのは"棒"(枝)だけである。
鑑定団でたばこカードというのが出ていた。
シガレットたばこのケースの補強の意味も込めていろんな絵や図柄・写真等のものがつくられそのコレクションは世界的な広まりがあるようだ。18000枚だかで400万だったかな。
カードのコレクションは昔も今も多くの男の子(ひと)を魅せる魔力をもった世界なのだろう。切手もこの部類かな。自分には縁のない趣味のようだ。
美人画のコレクション?いやいや美人は会話がないとね。写真だけでは・・・。本人を知った上での写真には意味があるけど、他人からみたら単なる紙ゴミだろう。特定のものに対する好き嫌いはほぼそのひと固有のものなので普遍性はない。
だから恋愛は貴いのだが。
おもしろかった。
仙台で地滑りが多発しているそうだ。
斜面の造成。
このブログでも予想した通りだ。
梅雨時に大きな事故がないといいのだけれど。
この近辺にもかなりな急斜面と思える所を強引に造成してびっしり家が建っているところがあるが行政の認可・不認可の枠を越えてやってくる自然災害は今回の地震から多くを学んだはずである。
責任の所在論議だけの問題ではないはずだが・・・・。
売ってしまえばそれまで、まさかの時はだれかのせいにすればいい、・・・・こういった"知恵"をつくさない話は何か辺なんだよなー。
太ったせいかわずかの畑仕事がきつい。
種まきが始まればやせるとは思うのだけれど。
ページビューの合計
2011年5月31日火曜日
2011年5月30日月曜日
占冠のトンネルで
脱線・火災事故。死者はなかった模様でよかったよかった。
20年も前だろうか、旭川空港が濃霧のため発着できないというので急遽義父に車で占冠までおくってもらい特急で千歳まで行って帰ってきたことを思い出した。
トンネルがあったかどうかは覚えてないがバブル崩壊で新ピカのリゾートホテルが倒産後むなしく建っているのを遠望できたのを覚えている。
ずーっと「しめかっぷ」と記憶していたが「しむかっぷ」のようだ。
お昼まで雨だったが、やがて晴れ間・・・と思いきやまたまたどんより雲。
畑へ谷中ショウガ植えはやめた。
気力が萎えてしまっていた。
お宝ビデオを2つ、「奥羽山脈紀行(テレビ東京)」と「白神山地(NHK)」。前者は白神から吾妻連峰までを90分の駆け足。和賀山塊の場面だけだが佐藤隆(サトウリュウ)さんの元気な自然児の姿がまたまた強烈によみがえってきた。このブログでもちょっと前に別番組でも出ていたことを紹介していたと思う。元気と子供のこころをもらった。
吾妻連峰のぶな林の中でリュートを引いていたのにはやや違和感があったが、どちらかというとひとの声や篠笛とかフルートのほうがよかったような気がする。20年近く前だとヨーロッパの古楽器がはやっていた頃でもありなんかミーハーのようでいやな気がした。ひとがやってないことをやって前衛にいるとほくそえんでいるのはおろかで、前衛にいてなおかつ質が高くなければだめだ。競争者がいないというだけで質を無視したこういう気取りは大嫌いである。
あの自然の中で合うのは声や笛である、確信する。
もうひとつは「白神山地」である。NHKにしては時間(50分)の制約があり切り捨てたものが大変多かったと思うのだが工藤光治さんの「いい顔」が拝めて幸せであった。50才の時の映像だから15年以上前の番組かな。東から日本海に面して屹立している白神岳への登頂記録である。
工藤さんは若い頃からマタギの世界に入った白神の主みたいなひとで根深誠が先頭に立って白神横断林道に反対した時も世論を盛り上げるということで著作等でも大きな力になったひとである。世界遺産になったのはこの番組のあとである。
どこまでも自然に対して謙虚な工藤さんの態度には頭が下がるばかりである。
ほんとにいい顔をしている。
仕事中イスラエル・パレスチナ問題のブログのプリントをまだみていたが、アメリカ建国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった数百年はおろか紀元前1000年、アフリカから分裂していった人類とか石器時代まで話が飛んでしまうとんちんかんな議論になり「なんだこりゃ」になってしまう。
ヨーロッパの中にちびちびと根強く熟成・蓄積されてきた反セム問題のひとつのおおきな爆発がヒットラー・イスラエル建国で、まきこまれたアラブ人たちにはいい迷惑だ。
ヨーロッパの醜い部分のとばっちりを非ヨーロッパに押しつけた形のこういう反セム主義の一解決は経済的な利害関係を別にしたら日本人には理解しがたい、というより簡単に理解できる。
反セム=反ユダヤというのはヨーロッパの平民ばかりでなく多くのインテリたちのなかにも自然と入り込んでしまっている考えで、音楽家でもシューマンやショパン(まちがってたらごめんなさい)、近くではワーグナーが有名でいかんともしがたいヨーロッパの病気である。
そんなことに頓着せずワーグナー信奉者が日本のインテリにも多いが丸山真男もそのひとりだったと思う。無調の前兆も含んでいる彼の音楽は「煽る」ところが多くそれに陶酔されてしまう落とし穴にすぽっとはまってしまうのかなとも感じられるが、音楽はそもそもそれも重要な要素なので楽譜・音だけから彼を否定するのも無理なのかなと思う。
音楽と作曲者の思想は別問題・・・・とも割り切りにくいのだが。
自分も聞いているのでひとのことは言えないのだが・・・どうしたらいいのだろう。
日本の北方四島と竹島等は上と違いもっと単純な問題である。
20年も前だろうか、旭川空港が濃霧のため発着できないというので急遽義父に車で占冠までおくってもらい特急で千歳まで行って帰ってきたことを思い出した。
トンネルがあったかどうかは覚えてないがバブル崩壊で新ピカのリゾートホテルが倒産後むなしく建っているのを遠望できたのを覚えている。
ずーっと「しめかっぷ」と記憶していたが「しむかっぷ」のようだ。
お昼まで雨だったが、やがて晴れ間・・・と思いきやまたまたどんより雲。
畑へ谷中ショウガ植えはやめた。
気力が萎えてしまっていた。
お宝ビデオを2つ、「奥羽山脈紀行(テレビ東京)」と「白神山地(NHK)」。前者は白神から吾妻連峰までを90分の駆け足。和賀山塊の場面だけだが佐藤隆(サトウリュウ)さんの元気な自然児の姿がまたまた強烈によみがえってきた。このブログでもちょっと前に別番組でも出ていたことを紹介していたと思う。元気と子供のこころをもらった。
吾妻連峰のぶな林の中でリュートを引いていたのにはやや違和感があったが、どちらかというとひとの声や篠笛とかフルートのほうがよかったような気がする。20年近く前だとヨーロッパの古楽器がはやっていた頃でもありなんかミーハーのようでいやな気がした。ひとがやってないことをやって前衛にいるとほくそえんでいるのはおろかで、前衛にいてなおかつ質が高くなければだめだ。競争者がいないというだけで質を無視したこういう気取りは大嫌いである。
あの自然の中で合うのは声や笛である、確信する。
もうひとつは「白神山地」である。NHKにしては時間(50分)の制約があり切り捨てたものが大変多かったと思うのだが工藤光治さんの「いい顔」が拝めて幸せであった。50才の時の映像だから15年以上前の番組かな。東から日本海に面して屹立している白神岳への登頂記録である。
工藤さんは若い頃からマタギの世界に入った白神の主みたいなひとで根深誠が先頭に立って白神横断林道に反対した時も世論を盛り上げるということで著作等でも大きな力になったひとである。世界遺産になったのはこの番組のあとである。
どこまでも自然に対して謙虚な工藤さんの態度には頭が下がるばかりである。
ほんとにいい顔をしている。
仕事中イスラエル・パレスチナ問題のブログのプリントをまだみていたが、アメリカ建国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった数百年はおろか紀元前1000年、アフリカから分裂していった人類とか石器時代まで話が飛んでしまうとんちんかんな議論になり「なんだこりゃ」になってしまう。
ヨーロッパの中にちびちびと根強く熟成・蓄積されてきた反セム問題のひとつのおおきな爆発がヒットラー・イスラエル建国で、まきこまれたアラブ人たちにはいい迷惑だ。
ヨーロッパの醜い部分のとばっちりを非ヨーロッパに押しつけた形のこういう反セム主義の一解決は経済的な利害関係を別にしたら日本人には理解しがたい、というより簡単に理解できる。
反セム=反ユダヤというのはヨーロッパの平民ばかりでなく多くのインテリたちのなかにも自然と入り込んでしまっている考えで、音楽家でもシューマンやショパン(まちがってたらごめんなさい)、近くではワーグナーが有名でいかんともしがたいヨーロッパの病気である。
そんなことに頓着せずワーグナー信奉者が日本のインテリにも多いが丸山真男もそのひとりだったと思う。無調の前兆も含んでいる彼の音楽は「煽る」ところが多くそれに陶酔されてしまう落とし穴にすぽっとはまってしまうのかなとも感じられるが、音楽はそもそもそれも重要な要素なので楽譜・音だけから彼を否定するのも無理なのかなと思う。
音楽と作曲者の思想は別問題・・・・とも割り切りにくいのだが。
自分も聞いているのでひとのことは言えないのだが・・・どうしたらいいのだろう。
日本の北方四島と竹島等は上と違いもっと単純な問題である。
2011年5月29日日曜日
ずーっ雨。
夕方のこの時間になるとかなり雨量も多い。
外の作業はすぐびしょびしょになる。
池袋では業界の集まりが有るようだがきのうの疲れもありきょうはパス、ごめんなさい。
きのうは先月取り決めた毎月第四土曜日の"例会"。
いつものことながらにぎやかにおしゃべりできた楽しいゆうべとなる。
分野も背負ってるものも違うけど・・・というより違うからこそいろんなおしゃべりができるんだなと思った。あまりにも同類・同質だとすぐ飽きてしまう。
このお店に集まるひとはみんな友達みたいな感じである。
自分はかなり偏屈で社交的ではないんだけれどやさしく受け入れてくれるひとたちに感謝の一語である。
Mの導きがあるような感じがする。
史記列伝呂不韋を読む。そのあと漫画化された「秦の始皇帝」(文藝春秋)をみる。
呂不韋(りょふい)が一旗揚げて邯鄲の夢をみたいという話し。
呂不韋が邯鄲で身請けした美女を始皇帝の父子礎に差し出すわけだがそのときすでに自分の子供がいてそのあと出産したのが12ヶ月後ということでばれなかった・・・すなわち始皇帝はその母と呂不韋との不義の子・・・ことからさまざまなドラマが展開される。
事実を少しずつ認識し始め屈折した気持ちを強めていく始皇帝の人生にはやはり大きな力に撰ばれたものの悲劇を感じずにはいられない。
非道の部分だけ取り上げられて教わった歴史だが物語になるとおもしろい。
どこまで真実かはむつかしい問題だが、運命とか天意といった人間の力ではどうにもならないものを感じる。
列伝のこの章は要するに「呂不韋の邯鄲の夢」ということだろうか。
紀元前二百何年の話。
例年だとこんなにつづけて雨が降る時期ではない・・・。
だから小中学校ではこの時期に運動会をやるところが多いようなんだけど(根本的な理由は別の所にあるが)。谷中しょうがの根っこをたくさん買ってきてもらってあるがあした植えることができるかな。千葉産のやわらかいやつだ。
大豆はあと2週間。
きょうみたいな日は時間のつぶし方で苦労する。
体を動かしている日のほうが本や映像には集中できるものだ。
時間が有り余って何につかうか悩んでいるうちに一日が終わってしまう。
外の作業はすぐびしょびしょになる。
池袋では業界の集まりが有るようだがきのうの疲れもありきょうはパス、ごめんなさい。
きのうは先月取り決めた毎月第四土曜日の"例会"。
いつものことながらにぎやかにおしゃべりできた楽しいゆうべとなる。
分野も背負ってるものも違うけど・・・というより違うからこそいろんなおしゃべりができるんだなと思った。あまりにも同類・同質だとすぐ飽きてしまう。
このお店に集まるひとはみんな友達みたいな感じである。
自分はかなり偏屈で社交的ではないんだけれどやさしく受け入れてくれるひとたちに感謝の一語である。
Mの導きがあるような感じがする。
史記列伝呂不韋を読む。そのあと漫画化された「秦の始皇帝」(文藝春秋)をみる。
呂不韋(りょふい)が一旗揚げて邯鄲の夢をみたいという話し。
呂不韋が邯鄲で身請けした美女を始皇帝の父子礎に差し出すわけだがそのときすでに自分の子供がいてそのあと出産したのが12ヶ月後ということでばれなかった・・・すなわち始皇帝はその母と呂不韋との不義の子・・・ことからさまざまなドラマが展開される。
事実を少しずつ認識し始め屈折した気持ちを強めていく始皇帝の人生にはやはり大きな力に撰ばれたものの悲劇を感じずにはいられない。
非道の部分だけ取り上げられて教わった歴史だが物語になるとおもしろい。
どこまで真実かはむつかしい問題だが、運命とか天意といった人間の力ではどうにもならないものを感じる。
列伝のこの章は要するに「呂不韋の邯鄲の夢」ということだろうか。
紀元前二百何年の話。
例年だとこんなにつづけて雨が降る時期ではない・・・。
だから小中学校ではこの時期に運動会をやるところが多いようなんだけど(根本的な理由は別の所にあるが)。谷中しょうがの根っこをたくさん買ってきてもらってあるがあした植えることができるかな。千葉産のやわらかいやつだ。
大豆はあと2週間。
きょうみたいな日は時間のつぶし方で苦労する。
体を動かしている日のほうが本や映像には集中できるものだ。
時間が有り余って何につかうか悩んでいるうちに一日が終わってしまう。
2011年5月28日土曜日
雨。
大きい台風が近づいている。
日本直撃のようだ。
東北が大変だな。
車を運転していて「DVD100円」とつたやで看板を出していた。
DVDは買ったとしても一度見てしまうと2,3年はみないと思う。
たくさん持っていたとしたらもっと観る率は下がる。
10年間という期間を切ってもせいぜい"数回"だろう。
感動したものほど、視聴後の「感動をあたためる時間、余韻」というものを大切にしようと考えるのが普通だと思うが、映像というものはそんなに観るものではないなと感じた。
さすれば発行枚数の多い映像ソフトは買うのはばかばかしいような気がする。
音楽は違うようだ。
ただしたくさんあれば話は別だが、まず夢中になると何遍でも聞き直す。
レコードがすり切れるほど、という表現は誇大な言い方でもない、実際にそういう盤ははある。
演奏会の場合は別で、あまりにもおおきな感動を得た場合はその感動を維持・あたためる場合にコンサート後音楽からしばし離れるということが自分の場合はあった。
映像と"音だけ"ってどうしてこんなに違うんだろうと考えてみるのだが、音は要するに"抽象"そのもので聞いているものが想像したり解釈付け加えをしたりの作業が多いからなのかなと思う。つまりただ聞いているだけでも"受け身"オンリーでないというところが大きいのかなと思う。
映像はおおむね与えられるだけの"受け身"オンリーの性格が強すぎるように感じる。もちろんそうでない映像もあるけど・・・。
テレビがだめでラジオがいいというひとが多いのもそういうことかな?
通信伝達手段がこんなに進んだ世の中にあってもラジオの消滅が考えられないのもこういうことなのかなと思う。
以上を考えると、ユニバーサルな"朗読"は別として、落語や講談・・・特に講談はかたいと感じられがちだが・・・は生き延びる可能性の多い日本が世界に誇る話芸ではないのかなと思う。内容の拡大もいくらでも期待できるような気がする。がんばってね、鶴瑛・銀治さん。
日本直撃のようだ。
東北が大変だな。
車を運転していて「DVD100円」とつたやで看板を出していた。
DVDは買ったとしても一度見てしまうと2,3年はみないと思う。
たくさん持っていたとしたらもっと観る率は下がる。
10年間という期間を切ってもせいぜい"数回"だろう。
感動したものほど、視聴後の「感動をあたためる時間、余韻」というものを大切にしようと考えるのが普通だと思うが、映像というものはそんなに観るものではないなと感じた。
さすれば発行枚数の多い映像ソフトは買うのはばかばかしいような気がする。
音楽は違うようだ。
ただしたくさんあれば話は別だが、まず夢中になると何遍でも聞き直す。
レコードがすり切れるほど、という表現は誇大な言い方でもない、実際にそういう盤ははある。
演奏会の場合は別で、あまりにもおおきな感動を得た場合はその感動を維持・あたためる場合にコンサート後音楽からしばし離れるということが自分の場合はあった。
映像と"音だけ"ってどうしてこんなに違うんだろうと考えてみるのだが、音は要するに"抽象"そのもので聞いているものが想像したり解釈付け加えをしたりの作業が多いからなのかなと思う。つまりただ聞いているだけでも"受け身"オンリーでないというところが大きいのかなと思う。
映像はおおむね与えられるだけの"受け身"オンリーの性格が強すぎるように感じる。もちろんそうでない映像もあるけど・・・。
テレビがだめでラジオがいいというひとが多いのもそういうことかな?
通信伝達手段がこんなに進んだ世の中にあってもラジオの消滅が考えられないのもこういうことなのかなと思う。
以上を考えると、ユニバーサルな"朗読"は別として、落語や講談・・・特に講談はかたいと感じられがちだが・・・は生き延びる可能性の多い日本が世界に誇る話芸ではないのかなと思う。内容の拡大もいくらでも期待できるような気がする。がんばってね、鶴瑛・銀治さん。
2011年5月27日金曜日
今年は梅雨入りが早いのかな?
きょうもどんより。
ときどきぱらぱらと振ってきたりする。
気象庁は梅雨入りにしたそうだ。
天気もこんなでひまな一日だった。
デジカメはパソコン用にCanonパワーショットA570というのを使っているが電池交換してもすぐに電池切れのお知らせマークがでて困っていたがステレオに使う接点復活剤を電池室の接点に吹きかけたら調子よくなったようだ。
ブログは重くなってしまうので極力写真は使わないようにしているが、感動の共有というのもおおきな意味があるのでピラミッドどくだみなどは載せたほうがいいような気がする。
テレグラフの政治ブログ最近のものでイスラエル・パレスチナの問題があるが、このテーマは果てしなくコメントが続き堂々巡りを繰り返しており決着は永遠につかないのかな。
ほんとに単なる泥仕合、やじのかけ合いである。
ただこういう国籍を問わずいいたい放題の場を提供できるという欧米の文化は貴いものである。
もちろん運営主体のマスコミの論調はそれなりに自分勝手・自由に発言しているけれど。
宗教的に部外者の日本などかなり客観的に眺められるような気がするのだが利害がからむと複雑になる。小市民こそ適切な意見が述べられそうな気がする、どっちが不適切かは明らかだ。
でも"適切"がものを解決するとは限らないのが人間界の難点ともいえる。
チベット仏教の番組をみたあとでこういう争いごとを見たり読んだりするのは苦痛である。
ときどきぱらぱらと振ってきたりする。
気象庁は梅雨入りにしたそうだ。
天気もこんなでひまな一日だった。
デジカメはパソコン用にCanonパワーショットA570というのを使っているが電池交換してもすぐに電池切れのお知らせマークがでて困っていたがステレオに使う接点復活剤を電池室の接点に吹きかけたら調子よくなったようだ。
ブログは重くなってしまうので極力写真は使わないようにしているが、感動の共有というのもおおきな意味があるのでピラミッドどくだみなどは載せたほうがいいような気がする。
テレグラフの政治ブログ最近のものでイスラエル・パレスチナの問題があるが、このテーマは果てしなくコメントが続き堂々巡りを繰り返しており決着は永遠につかないのかな。
ほんとに単なる泥仕合、やじのかけ合いである。
ただこういう国籍を問わずいいたい放題の場を提供できるという欧米の文化は貴いものである。
もちろん運営主体のマスコミの論調はそれなりに自分勝手・自由に発言しているけれど。
宗教的に部外者の日本などかなり客観的に眺められるような気がするのだが利害がからむと複雑になる。小市民こそ適切な意見が述べられそうな気がする、どっちが不適切かは明らかだ。
でも"適切"がものを解決するとは限らないのが人間界の難点ともいえる。
チベット仏教の番組をみたあとでこういう争いごとを見たり読んだりするのは苦痛である。
2011年5月26日木曜日
梅雨空みたいだなあ
ここのところどんよりが多い。
梅雨前線はしっかりと張っていて上へ行ったり下がったり。
日陰になりやすく条件の悪い部分に陸稲蒔く。
トマト、大玉すいか、プリンスメロン植える。
ピーナッツ蒔く。殻をわらずにと殻を割っての二刀流いや二豆流。
土の上に分厚い絨毯となった脱穀場にもともとあったみょうががたくさん出てくる、その花(八百屋さんに売っているもの)は9月に出るのだが市場にはもう出ている、無粋もいいとこだ。"早い"ことが粋だというこの国の美意識もやりすぎは無粋この上ない。燃料ももったいない。
物置から出たビデオ、テレビ朝日「ヒマラヤ最奥の地 ドルポ」が良かった。編集に相当お金と時間がかかったものと思われるがやや構成にしまりがなかったが、全体としての印象がとてもよかった。あんな奥のあんな高いところにあんな透明度の湖があるなんて! 子供たちの目と歯がきれいだった。4000メートルの高原も短い夏には大麦とそばで畑は豊かな緑+αになるんだね。
きびしい自然の中でのほんの一瞬の夏に花開くちいさな植物たち。
そしてチベット仏教、マニ車、輪廻再生、・・・。 ほんとにちいさい子供のころからこの世と来生、意識(魂)の連続、ということが祭りや日々の暮らしの中ですり込まれていく姿に、神様・仏様教のこの国では想像もできない精神の高みを感じた。純粋の極みだ。文明・都会とはけがれの集合体のことかなと思ってしまう。
空からみた・・・「しまなみ海道」がよかった。尾道は見逃し途中からだったが、実際大三島の博物館には行っているのでみていて楽しかった。無人島の武志島はたしか池沢夏樹の旅行記にあった楽しい?無人島であったと思うが個人所有の島であったような気がする、きれいに写っていた。名前がタケシなので欲しいなという気もしたが・・・。
パートのTさんがこのブログを見てしまったという。
公開日記あるいは後悔日記なので、ひとに見られてもいいことを前提に書いているわけだがこう身内のひとに読まれると照れてしまうので今後の内容をよく考えないといけないなと思ったが・・・まあ、このまんまでいいか。
梅雨前線はしっかりと張っていて上へ行ったり下がったり。
日陰になりやすく条件の悪い部分に陸稲蒔く。
トマト、大玉すいか、プリンスメロン植える。
ピーナッツ蒔く。殻をわらずにと殻を割っての二刀流いや二豆流。
土の上に分厚い絨毯となった脱穀場にもともとあったみょうががたくさん出てくる、その花(八百屋さんに売っているもの)は9月に出るのだが市場にはもう出ている、無粋もいいとこだ。"早い"ことが粋だというこの国の美意識もやりすぎは無粋この上ない。燃料ももったいない。
物置から出たビデオ、テレビ朝日「ヒマラヤ最奥の地 ドルポ」が良かった。編集に相当お金と時間がかかったものと思われるがやや構成にしまりがなかったが、全体としての印象がとてもよかった。あんな奥のあんな高いところにあんな透明度の湖があるなんて! 子供たちの目と歯がきれいだった。4000メートルの高原も短い夏には大麦とそばで畑は豊かな緑+αになるんだね。
きびしい自然の中でのほんの一瞬の夏に花開くちいさな植物たち。
そしてチベット仏教、マニ車、輪廻再生、・・・。 ほんとにちいさい子供のころからこの世と来生、意識(魂)の連続、ということが祭りや日々の暮らしの中ですり込まれていく姿に、神様・仏様教のこの国では想像もできない精神の高みを感じた。純粋の極みだ。文明・都会とはけがれの集合体のことかなと思ってしまう。
空からみた・・・「しまなみ海道」がよかった。尾道は見逃し途中からだったが、実際大三島の博物館には行っているのでみていて楽しかった。無人島の武志島はたしか池沢夏樹の旅行記にあった楽しい?無人島であったと思うが個人所有の島であったような気がする、きれいに写っていた。名前がタケシなので欲しいなという気もしたが・・・。
パートのTさんがこのブログを見てしまったという。
公開日記あるいは後悔日記なので、ひとに見られてもいいことを前提に書いているわけだがこう身内のひとに読まれると照れてしまうので今後の内容をよく考えないといけないなと思ったが・・・まあ、このまんまでいいか。
2011年5月25日水曜日
忙しい一日だった
朝起きてりんごひとつ食べたあと夜8時半の夕飯まで何も食べず。
休憩は夕方の30分の入浴だけ。
それにしてはおなかは空かなかったがのどはかわいた。
たまにはこういうのもいいさ。
昼過ぎ関東農政局/県農林振興センター/市役所農政課の大豆栽培に関わる説明会に行く。
自分の仕事の権威付けとかはどうでもいいことなのだが公共のHELPもあってもいいかなとも思う。
ウチは農家と言っても異端なのかもしれないが、だれにも教わらず自分だけで手探りで解決していくスリルが山登りの藪漕ぎ・ルートファインディングのようでもあり多大な生き甲斐を与えてくれるのである。
ただし現実には私的・公的にさまざまな障害が発生するので国の仕組みをきちんと理解しておくことも必要なのかなと思った。
でもまあ今年は地震のことで国レベルは大変だろうと思う。
こんなミニ農家などまかまっている時ではないと思うと恐縮してしまった。
やはり疲れているようだ。
眠くなってしまった。
21時15分。
休憩は夕方の30分の入浴だけ。
それにしてはおなかは空かなかったがのどはかわいた。
たまにはこういうのもいいさ。
昼過ぎ関東農政局/県農林振興センター/市役所農政課の大豆栽培に関わる説明会に行く。
自分の仕事の権威付けとかはどうでもいいことなのだが公共のHELPもあってもいいかなとも思う。
ウチは農家と言っても異端なのかもしれないが、だれにも教わらず自分だけで手探りで解決していくスリルが山登りの藪漕ぎ・ルートファインディングのようでもあり多大な生き甲斐を与えてくれるのである。
ただし現実には私的・公的にさまざまな障害が発生するので国の仕組みをきちんと理解しておくことも必要なのかなと思った。
でもまあ今年は地震のことで国レベルは大変だろうと思う。
こんなミニ農家などまかまっている時ではないと思うと恐縮してしまった。
やはり疲れているようだ。
眠くなってしまった。
21時15分。
2011年5月24日火曜日
おおすずが
濃すぎてまいったが、やはりこれはうまい豆である、改良品種、秋田農試による青森県主体の栽培。
すっきりでもなくしつこくもなくそれでいて「すーっ」としたすがすがしさを感じさせてくれる気品のある豆である。
私は改良品種か在来種かという選択が即営業になっているような物売りではない。
つまり「付加価値」などというものは私は軽蔑している。
うまいか、いいかの本質価値だけでいい。
新規参入の就農者がすぐにこの在来種という看板を売りにしたがる気持ちもわからないではないが、栽培特性・収穫物の味についての先入観による価値過大付加の傾向はまちがっている。
農業試験場(現在は農総研という)の過去の大豆改良の歴史はおおむね栽培適性(収量・気温・耐害虫、土壌・・・)・刈り取り適性(コンバインで刈り取りやすいか)という2点で推し進められてきたことが自然志向の農業者・消費者による批判のまとになっているわけだが、こういった品種ですら50年100年たってしまえば"不純"という形容詞はつくかもしれないが、在来種といえるのではないだろうか。
そもそも昔からあったといってもいつからなのかということはわかっているわけでもなく、極端なことをいうと関東にあったものを明治時代に北海道に入植してそこに蒔きしっかりとそだってしまえば、100年もたてばりっぱな在来種、である。もっともこの場合は"移動"というだけで"種の混交"は行われてはいないが。
大豆は自家受粉なので自然界ではあまり他種との交配ははおこらないが、まったくないわけではない。試験場での交配は人間の手作業によるピンセット仕事である。
在来種といわれているものですらもとをただせば遺伝的には複数種の混交の歴史をになっているものが多いと思う。
とはいえ、戦後ちょいとまでに収集されて農水省に保存されてきた種は歴史的にはそうとう古いものが多く品種改良さかんな昨今のものとくらべたらはるかに長い歴史を背負っている"オリジナル、準オリジナル"なのできちんと守っていかなければならない。
当然うまいものがたくさんあるのでできることなら活かしてやりい。
要するに自分にはなんでもいい。
来歴・正体をはっきりさせておけばいいことだと思う。
おいしくなければだめだ。
もそも在来種はもともとあったところから他へ移動した場合必ずしも気温変動とか害虫にたいしていい結果をあげるかどうかはやってみないとわからない。在来種だという理由だけでたくさんとれるというものではない、へたをするとまったくとれずにみんな虫さんの食料になってしまうことも多い。そして刈り取りも横へ広がるくせをみこして栽培を作戦しないと機械刈り取りはまず無理。我が家と同様完全手刈りの腰痛作業となる。ただうまいものが多いのがたまにきず・・・ではなくきずにたま、か?
一方改良品種は本来の適性地域をはずれたとしてもすくすくと育つ場合が多く味さえよければ無農薬でも在来種と似たような栽培と成る場合が多い。
今ここに書いたことはここ所沢での無肥料・無農薬栽培から観察できたことを書いているわけだが、無農薬は在来種でしかできない、というのは大まちがいである。
「片付け」というのは楽しいもので、中にはそれが趣味というひともあるようで年がら年中部屋の中のレイアウトや本棚の本の入れ替えをしているひともいるようだ。
体も使うので健康的な趣味・ストレス発散だと思う。
自分は半年に一回程度部屋の中がぐしゃぐしゃになるのでいたしかたなく・・・ということににるのだが、結構はかどらずにいらいらするのでヘルシーとはいえない。
部屋のおおさには関係ないと思う。大きくても小さくてもこうなるんだろう。
らしのない性格だと思う。
農繁期直前の時間もてあまし状態だが、かえって何もできないでいらいらしているのかもしれない。
忙しいときのほうが少ない時間を大切にするものだというのは、だれにも共通の現象だろう。
それに、農繁期は太る。これも困ったものだ。
すっきりでもなくしつこくもなくそれでいて「すーっ」としたすがすがしさを感じさせてくれる気品のある豆である。
私は改良品種か在来種かという選択が即営業になっているような物売りではない。
つまり「付加価値」などというものは私は軽蔑している。
うまいか、いいかの本質価値だけでいい。
新規参入の就農者がすぐにこの在来種という看板を売りにしたがる気持ちもわからないではないが、栽培特性・収穫物の味についての先入観による価値過大付加の傾向はまちがっている。
農業試験場(現在は農総研という)の過去の大豆改良の歴史はおおむね栽培適性(収量・気温・耐害虫、土壌・・・)・刈り取り適性(コンバインで刈り取りやすいか)という2点で推し進められてきたことが自然志向の農業者・消費者による批判のまとになっているわけだが、こういった品種ですら50年100年たってしまえば"不純"という形容詞はつくかもしれないが、在来種といえるのではないだろうか。
そもそも昔からあったといってもいつからなのかということはわかっているわけでもなく、極端なことをいうと関東にあったものを明治時代に北海道に入植してそこに蒔きしっかりとそだってしまえば、100年もたてばりっぱな在来種、である。もっともこの場合は"移動"というだけで"種の混交"は行われてはいないが。
大豆は自家受粉なので自然界ではあまり他種との交配ははおこらないが、まったくないわけではない。試験場での交配は人間の手作業によるピンセット仕事である。
在来種といわれているものですらもとをただせば遺伝的には複数種の混交の歴史をになっているものが多いと思う。
とはいえ、戦後ちょいとまでに収集されて農水省に保存されてきた種は歴史的にはそうとう古いものが多く品種改良さかんな昨今のものとくらべたらはるかに長い歴史を背負っている"オリジナル、準オリジナル"なのできちんと守っていかなければならない。
当然うまいものがたくさんあるのでできることなら活かしてやりい。
要するに自分にはなんでもいい。
来歴・正体をはっきりさせておけばいいことだと思う。
おいしくなければだめだ。
もそも在来種はもともとあったところから他へ移動した場合必ずしも気温変動とか害虫にたいしていい結果をあげるかどうかはやってみないとわからない。在来種だという理由だけでたくさんとれるというものではない、へたをするとまったくとれずにみんな虫さんの食料になってしまうことも多い。そして刈り取りも横へ広がるくせをみこして栽培を作戦しないと機械刈り取りはまず無理。我が家と同様完全手刈りの腰痛作業となる。ただうまいものが多いのがたまにきず・・・ではなくきずにたま、か?
一方改良品種は本来の適性地域をはずれたとしてもすくすくと育つ場合が多く味さえよければ無農薬でも在来種と似たような栽培と成る場合が多い。
今ここに書いたことはここ所沢での無肥料・無農薬栽培から観察できたことを書いているわけだが、無農薬は在来種でしかできない、というのは大まちがいである。
「片付け」というのは楽しいもので、中にはそれが趣味というひともあるようで年がら年中部屋の中のレイアウトや本棚の本の入れ替えをしているひともいるようだ。
体も使うので健康的な趣味・ストレス発散だと思う。
自分は半年に一回程度部屋の中がぐしゃぐしゃになるのでいたしかたなく・・・ということににるのだが、結構はかどらずにいらいらするのでヘルシーとはいえない。
部屋のおおさには関係ないと思う。大きくても小さくてもこうなるんだろう。
らしのない性格だと思う。
農繁期直前の時間もてあまし状態だが、かえって何もできないでいらいらしているのかもしれない。
忙しいときのほうが少ない時間を大切にするものだというのは、だれにも共通の現象だろう。
それに、農繁期は太る。これも困ったものだ。
2011年5月23日月曜日
一気に寒くなる。
きょうは青森のおおすずをつぶす。
世間的にも評判のいい豆で、甘みと味の部分のバランスが良い・・・というより味がとても深く、おとなの味である。こういうのはアメリカ人やイギリス人にはわからないだろう。
"甘み"によって欧米でも豆腐が・・・へんてこな形ではあるが・・・食べられるようにはなったが、こういうデリカシーは食べる人のそれまでの習慣によるものなので、肉ばっかり食べている人には理解はむつかしいかもしれない。
ピラミッドどくだみ、いっぱいのつぼみの中でひとつ咲いていた。
きのうおみやげでいただいた善光寺近くの"おやき"を食べる。
いろんな中身のカラフルセット。
野沢菜のが好きで外からみてすぐわかるので最初にそれをたべる。
これ大好き。
このごろは催事でもあまりこないような気がする。
善光寺経由で松本へ抜け(高速はまだなかったかな)雨飾山への3人山行をしたことがあったっけ、そのときもお焼きを買っていった。
むかしおばあちゃんが作ってくれたのと同じタイプのまんじゅうで・・・ただしこの辺のはもちろんあんこだけ・・・胸キュンしてしまう。・・・いやいやいや、平たくつぶして醤油をつけてという「ひらひらだんご」というのもあった。
ありがとう。
雨なのできょうも物置を片付ける。きょうは本。
読みたい本があとからあとから出てくるので、こりゃ毒だわ。
このブログは本業のことはほとんど何もかかずに余計なことばかり書いているが、これでいいのかと悩むことしきりなのだがお焼きを持ってきてくださったNさんのすすめもあるのでこのままでいこうと思う。
きのう書いた「死者の書」はそのものずばりの答えなのだが、このブログを書くにいたらしめた動機がこのたぐいのテーマなのである。
そしたら地震。
そしてスーちゃんの死。
毎日書くネタがなく新聞やテレビをみて感じたことまで書いてその場をしのいでいるが、たとえ間違ったとあとでわかるような文章を書いてもそれについて反省する過程もいろいろなことを考えるので、ブログを書くこと自体が「考えるヒント」を与えてくれているようなのでやめられない。
書くことでいやされているのかもしれない。
単なる憂さ晴らしではない。
世間的にも評判のいい豆で、甘みと味の部分のバランスが良い・・・というより味がとても深く、おとなの味である。こういうのはアメリカ人やイギリス人にはわからないだろう。
"甘み"によって欧米でも豆腐が・・・へんてこな形ではあるが・・・食べられるようにはなったが、こういうデリカシーは食べる人のそれまでの習慣によるものなので、肉ばっかり食べている人には理解はむつかしいかもしれない。
ピラミッドどくだみ、いっぱいのつぼみの中でひとつ咲いていた。
きのうおみやげでいただいた善光寺近くの"おやき"を食べる。
いろんな中身のカラフルセット。
野沢菜のが好きで外からみてすぐわかるので最初にそれをたべる。
これ大好き。
このごろは催事でもあまりこないような気がする。
善光寺経由で松本へ抜け(高速はまだなかったかな)雨飾山への3人山行をしたことがあったっけ、そのときもお焼きを買っていった。
むかしおばあちゃんが作ってくれたのと同じタイプのまんじゅうで・・・ただしこの辺のはもちろんあんこだけ・・・胸キュンしてしまう。・・・いやいやいや、平たくつぶして醤油をつけてという「ひらひらだんご」というのもあった。
ありがとう。
雨なのできょうも物置を片付ける。きょうは本。
読みたい本があとからあとから出てくるので、こりゃ毒だわ。
このブログは本業のことはほとんど何もかかずに余計なことばかり書いているが、これでいいのかと悩むことしきりなのだがお焼きを持ってきてくださったNさんのすすめもあるのでこのままでいこうと思う。
きのう書いた「死者の書」はそのものずばりの答えなのだが、このブログを書くにいたらしめた動機がこのたぐいのテーマなのである。
そしたら地震。
そしてスーちゃんの死。
毎日書くネタがなく新聞やテレビをみて感じたことまで書いてその場をしのいでいるが、たとえ間違ったとあとでわかるような文章を書いてもそれについて反省する過程もいろいろなことを考えるので、ブログを書くこと自体が「考えるヒント」を与えてくれているようなのでやめられない。
書くことでいやされているのかもしれない。
単なる憂さ晴らしではない。
2011年5月22日日曜日
今年初めて
クーラーを使ってるお店に入る。
この感じでお昼前後にみんながクーラー漬けになると大変なことになるんだろうな。
2時頃どしゃ降りの雨。
物置の8ミリビデオの中に「チベット 死者の書」があった。
外はどしゃ降りなのでさっそく観る。
アメリカのホスピスの話から始まる。
元気なときからの「備え」という意味合いで14世ダライ・ラマが語っている。
死についての考察はとりもなおさず生を深く考えることである。
このことは今まで書いてきたことでもあるが自分の場合50も過ぎてこの年齢にもなるとさまざまなひとの死を実際にみてきているので否応なしにこのことを考えざるをえない、特に死に至る過程をずっとそばで付き添った経験を経た場合はそうであると思う。
そして自分自身の死についても自殺も含めてさまざまな考えをめぐらしてきた。この世のほとんどのひとも同じようではないのかな?。
チベット仏教はブーム・ファッションのような感じで受け取られているところもあり、書物の斜め読みからの抜き書き発言みたいなことばをそのまま真実と受け取るのはよくない。人生のハウツーものみたいな本も大量生産されているが読まないほうがいい。ハウツーはダメである。
時代のおおきな潮流を初めとして売れっ子の学者(たとえばサンデル教授みたいな)の発言、新聞の論説・・・といったものもまずは疑ってかかる必要がある。
大きな流れに巻き込まれてしまうのがひとの常。
死の問題はだれにも訪れることであり早いか遅いかという物理的な差異はどうしようもないことであるが、その受け止め方は日常的に備えているかつまり死を「生きる」ということとセットで深く考察しているかという個々人の"つとめ"の積み重ねである。
ダライ・ラマのいう「備え」とはその日々の生活の中にある"修行"のことを言っている。
なにも"道場"での修行のことを言っているのではない。
導くものがいるかもしれないし自分で苦しんで獲得できるかもしれない。
なにげない日々の暮らしの中におおきなあるいはちいさな導きを見いだせるかいなかはそのひとの考える習慣如何だだと思う。
自分はとてもじゃないけど宗教者とはいえない「神様ほとけ様」教みたいなもんだけれど、見えざるちからみたいなものに対するおそれや感謝は少しはあると思う。
天罰、因縁、運がいい・悪い、努力だけではどうにもならないんだけど努力せよ・・・・、年をとったのかなあ?
この感じでお昼前後にみんながクーラー漬けになると大変なことになるんだろうな。
2時頃どしゃ降りの雨。
物置の8ミリビデオの中に「チベット 死者の書」があった。
外はどしゃ降りなのでさっそく観る。
アメリカのホスピスの話から始まる。
元気なときからの「備え」という意味合いで14世ダライ・ラマが語っている。
死についての考察はとりもなおさず生を深く考えることである。
このことは今まで書いてきたことでもあるが自分の場合50も過ぎてこの年齢にもなるとさまざまなひとの死を実際にみてきているので否応なしにこのことを考えざるをえない、特に死に至る過程をずっとそばで付き添った経験を経た場合はそうであると思う。
そして自分自身の死についても自殺も含めてさまざまな考えをめぐらしてきた。この世のほとんどのひとも同じようではないのかな?。
チベット仏教はブーム・ファッションのような感じで受け取られているところもあり、書物の斜め読みからの抜き書き発言みたいなことばをそのまま真実と受け取るのはよくない。人生のハウツーものみたいな本も大量生産されているが読まないほうがいい。ハウツーはダメである。
時代のおおきな潮流を初めとして売れっ子の学者(たとえばサンデル教授みたいな)の発言、新聞の論説・・・といったものもまずは疑ってかかる必要がある。
大きな流れに巻き込まれてしまうのがひとの常。
死の問題はだれにも訪れることであり早いか遅いかという物理的な差異はどうしようもないことであるが、その受け止め方は日常的に備えているかつまり死を「生きる」ということとセットで深く考察しているかという個々人の"つとめ"の積み重ねである。
ダライ・ラマのいう「備え」とはその日々の生活の中にある"修行"のことを言っている。
なにも"道場"での修行のことを言っているのではない。
導くものがいるかもしれないし自分で苦しんで獲得できるかもしれない。
なにげない日々の暮らしの中におおきなあるいはちいさな導きを見いだせるかいなかはそのひとの考える習慣如何だだと思う。
自分はとてもじゃないけど宗教者とはいえない「神様ほとけ様」教みたいなもんだけれど、見えざるちからみたいなものに対するおそれや感謝は少しはあると思う。
天罰、因縁、運がいい・悪い、努力だけではどうにもならないんだけど努力せよ・・・・、年をとったのかなあ?
2011年5月21日土曜日
真夏日のような気がする。
昨晩は扇風機の微風の次の強さで朝までかけて寝る。
きょうは30度近いと思う。
今年の夏も酷暑日連続だろうか。
お昼に「名曲探偵 アマデウス」という番組をみていた。
前にもベートーベンの「悲愴」やバッハのゴールドベルクだったかなをやっていたのを見たような気がする、後者は坂本龍一だったかな。
今日のはドビュッシーの前奏曲集第一巻。アラウやミケランジェリの演奏でⅠ・Ⅱ巻全曲を覚えたものだが楽理などなにもわからないアマチュア以下ファンなので感覚的なことしか言えないのだが、この番組は"技法"の説明からわかりやすく説明してくれ、作曲者の思いがより大きく伝わってくる。音符・和声に込める作曲者の意図が明瞭に伝わってきた。
響き合う音と音、食べ物で言えば味と味、かおり、青味・・・古典的な音のロジックの中に"すこしはずれた、ゆがんだ"と感じられるミニ・ロジックの導入。
無調へはもう一歩の時代、ある時代の中にあってまったく前になかったことをやる、というのはおおむねモノをよく見ていないということになるが、前の時代にかすかにあらわれた萌芽を敏感に感じ取り取り込み自分の創作の感性に合わせて"なにかを"つくりあげてしまう・・・芸術家とは
わがままながらも常に先輩たちの遺産を意識しつつ"自分"を押し通そうとする、自分勝手だが自分にきびしいまじめな人間なのだなと感じる。
デッサンもできないのに抽象に入る絵描きとか陶芸家が身の回りにたくさんいるが、古典的なロジックをはなから逸脱するだけの酔狂人を演じているのは勝手だが、こんなものはおおよそひとのこころを打つものは何ももってはいない。
彼らはただ"芸術"に携わっている・・・いや"芸術家という看板"をかかげていることにのみ満足してしまっているおろかなひとたちである。
もうこういうひとたちをよいしょするのはうんざりだ。
夕刊。佐渡裕がベルリンフィル指揮。
日本人で"ふつうのことで"ベルリンフィルを振ったのは小澤征爾だけだが、単発で振ったのは何人いるんだろう。朝比奈さんが振ったと思うがそれ以外にいたのだろうか。
世界最大・最高の楽器としてのベルリンフィルはウィーンフィルとはちがい、指揮者の意図に敏感に反応してくれる文字通りの世界最高の巨大楽器。
こないだまで安永徹がコンマスをやっていたと思ったら最近また日本人がコンマスをという記事をみたような気がするのだが・・・それだけ現在のこの業界に関しては何も知らない、過去に埋没している自分。
小沢の権力による波及効果なのかどうか知らないがすごいことだ。
小澤征爾の演奏はあまり好みでないので昔からほとんど聞かないがライヴはいいとのこと、しかしNHKのFMの海外ライヴを聴いても感動はない。
やはり日本の指揮者として世界に通用し没後も高く評価されるのは朝比奈隆だけだと思う。
尊敬するひとである。
ベルリンフィルと言えばエンターテインメントのカラヤンと来るわけだが、いつだったかベートーベンの田園を35分(ふつう45分前後)で終えてしまった来日公演を聞いたことがあるが金管楽器のミスが多くて閉口したことがある、ざぶとんをなげてやりたかった。
リハーサルなんかしてないんじゃないのといった感じだ。
カラヤンは50年代のデビュー直後のモノーらルで残っている録音がいいものが多いのだが、業界の権力者となってからは腐ったなんとかだったと思う。
そういうひとを尊敬するという小沢や佐渡という指揮者がどいう感覚の持ち主なのかはわからないが、佐渡についてはなにも聞いたことがないのでいつか聞いてみようと思う。
今はチャマメのCDが早く届くことを待つばかりである。
きょうは30度近いと思う。
今年の夏も酷暑日連続だろうか。
お昼に「名曲探偵 アマデウス」という番組をみていた。
前にもベートーベンの「悲愴」やバッハのゴールドベルクだったかなをやっていたのを見たような気がする、後者は坂本龍一だったかな。
今日のはドビュッシーの前奏曲集第一巻。アラウやミケランジェリの演奏でⅠ・Ⅱ巻全曲を覚えたものだが楽理などなにもわからないアマチュア以下ファンなので感覚的なことしか言えないのだが、この番組は"技法"の説明からわかりやすく説明してくれ、作曲者の思いがより大きく伝わってくる。音符・和声に込める作曲者の意図が明瞭に伝わってきた。
響き合う音と音、食べ物で言えば味と味、かおり、青味・・・古典的な音のロジックの中に"すこしはずれた、ゆがんだ"と感じられるミニ・ロジックの導入。
無調へはもう一歩の時代、ある時代の中にあってまったく前になかったことをやる、というのはおおむねモノをよく見ていないということになるが、前の時代にかすかにあらわれた萌芽を敏感に感じ取り取り込み自分の創作の感性に合わせて"なにかを"つくりあげてしまう・・・芸術家とは
わがままながらも常に先輩たちの遺産を意識しつつ"自分"を押し通そうとする、自分勝手だが自分にきびしいまじめな人間なのだなと感じる。
デッサンもできないのに抽象に入る絵描きとか陶芸家が身の回りにたくさんいるが、古典的なロジックをはなから逸脱するだけの酔狂人を演じているのは勝手だが、こんなものはおおよそひとのこころを打つものは何ももってはいない。
彼らはただ"芸術"に携わっている・・・いや"芸術家という看板"をかかげていることにのみ満足してしまっているおろかなひとたちである。
もうこういうひとたちをよいしょするのはうんざりだ。
夕刊。佐渡裕がベルリンフィル指揮。
日本人で"ふつうのことで"ベルリンフィルを振ったのは小澤征爾だけだが、単発で振ったのは何人いるんだろう。朝比奈さんが振ったと思うがそれ以外にいたのだろうか。
世界最大・最高の楽器としてのベルリンフィルはウィーンフィルとはちがい、指揮者の意図に敏感に反応してくれる文字通りの世界最高の巨大楽器。
こないだまで安永徹がコンマスをやっていたと思ったら最近また日本人がコンマスをという記事をみたような気がするのだが・・・それだけ現在のこの業界に関しては何も知らない、過去に埋没している自分。
小沢の権力による波及効果なのかどうか知らないがすごいことだ。
小澤征爾の演奏はあまり好みでないので昔からほとんど聞かないがライヴはいいとのこと、しかしNHKのFMの海外ライヴを聴いても感動はない。
やはり日本の指揮者として世界に通用し没後も高く評価されるのは朝比奈隆だけだと思う。
尊敬するひとである。
ベルリンフィルと言えばエンターテインメントのカラヤンと来るわけだが、いつだったかベートーベンの田園を35分(ふつう45分前後)で終えてしまった来日公演を聞いたことがあるが金管楽器のミスが多くて閉口したことがある、ざぶとんをなげてやりたかった。
リハーサルなんかしてないんじゃないのといった感じだ。
カラヤンは50年代のデビュー直後のモノーらルで残っている録音がいいものが多いのだが、業界の権力者となってからは腐ったなんとかだったと思う。
そういうひとを尊敬するという小沢や佐渡という指揮者がどいう感覚の持ち主なのかはわからないが、佐渡についてはなにも聞いたことがないのでいつか聞いてみようと思う。
今はチャマメのCDが早く届くことを待つばかりである。
2011年5月20日金曜日
飲み過ぎで
朝から頭が重く難儀する。
気温も高く余計体調悪い。
お昼くらいから回復する。
県のKさんが寄ってくれる。
いつも私の"大豆栽培"を気にかけてくれていて、恐れ多いことだ。
こっちは"必死で・・・"という感じではなく体と頭が働く限りにおいて、農家ではできないことを奔放にためしてわくわく自己満足していることだけだが、かえって農業関係を"仕事としているひと"たちには迷惑をかけているかもしれない。自分のやっていることは明らかに農業にプラスになっていると確信しているので、さまざまな抵抗要因(私的・公的)はあるにしてもがんばっていきたい。
ファッション化している「がんばらなくてもいい」という言葉は病苦や人生のどん底という場面以外にまで使われていることに腹立たしく感じる今日この頃で、なんでもかんでも「がんばらなくていい」と言っている風潮にはかちんとくる。
俺はがんばるよKさん。
おおっぴねは凝固条件の幅が狭く作業は非常にむつかしいが豆との駆け引きがこの上なく楽しい。
できあがったものもおおざっぱにやるとおおむねとんでもないことになる、つまり保水不全、ねっとりまったり通り越し、離水真っ黄色、荒れ・・・どれをとってもデメリットがすぐ浮き出てしまう世界だがぎりぎりのところのひやひやする作業がここち良い緊張を与えてくれる。
値段も安いがリスクはでかいので、へたをすると新豆の力のあるものよりはるかに"高く"つくことになるがうまくいったときの達成感はなにものにも替え難い。
不景気でだいぶだぶついているはずだが・・・。
高い豆ばかりでなくやや劣化したというだけで振り向きもされないものを活かしてやるのもものつくりの責務だと思う、安く売ればいい。ただし技術は手抜きどころかかえって高いものが要求されるので結果としてコストは高くなりがちでそこまで見据えて取り組まないといけないことだが、こういった"仕事以上の遊び"も大切である。
「配分大豆輸入4560円/国産5650円/東京都豆腐商工組合」、へえー、まだこんなことやってんの。
ばらがあとからあとからつぼみが出てくる。
「伊勢神宮の謎を解く」を初めから読み直しているが、結構楽しい。
初めのほうは忘れてしまっている。
最初に提示したことがちゃんと最後の「2つの神」に帰結している。
読書百編とまではいかなくても手間のかかった本は読み返しが必要である。
非常におもしろいし、構成もしっかりしているのがわかる。
大化の改新以前、伊勢神宮、古事記、日本書紀、・・・そのときの中国(漢書、後漢書・・・)について読書しなければと思う。
大化の改新以前はわからないことが一杯でおもしろそうである。
これに比してこれより遙か以前のことに関わる文献の残っている中国という国に敬意を表さざるを得ないことをつくづく感じる。
文献の無い時代の日本人のこころの有りよう・傾向を探る・・・・とてつもない刺激的な作業だな。
米はあった。大豆もあったはず。魚も捕った。狩りももしたろう。
見えざるものへのおそれと感謝。
見え・感じるけど圧倒的なちから・おおいさを持った自然への畏敬の念。
文字はなくとも言葉はあったはずだ。記号程度はあったのかもしれない。
想像するのって楽しいな。
気温も高く余計体調悪い。
お昼くらいから回復する。
県のKさんが寄ってくれる。
いつも私の"大豆栽培"を気にかけてくれていて、恐れ多いことだ。
こっちは"必死で・・・"という感じではなく体と頭が働く限りにおいて、農家ではできないことを奔放にためしてわくわく自己満足していることだけだが、かえって農業関係を"仕事としているひと"たちには迷惑をかけているかもしれない。自分のやっていることは明らかに農業にプラスになっていると確信しているので、さまざまな抵抗要因(私的・公的)はあるにしてもがんばっていきたい。
ファッション化している「がんばらなくてもいい」という言葉は病苦や人生のどん底という場面以外にまで使われていることに腹立たしく感じる今日この頃で、なんでもかんでも「がんばらなくていい」と言っている風潮にはかちんとくる。
俺はがんばるよKさん。
おおっぴねは凝固条件の幅が狭く作業は非常にむつかしいが豆との駆け引きがこの上なく楽しい。
できあがったものもおおざっぱにやるとおおむねとんでもないことになる、つまり保水不全、ねっとりまったり通り越し、離水真っ黄色、荒れ・・・どれをとってもデメリットがすぐ浮き出てしまう世界だがぎりぎりのところのひやひやする作業がここち良い緊張を与えてくれる。
値段も安いがリスクはでかいので、へたをすると新豆の力のあるものよりはるかに"高く"つくことになるがうまくいったときの達成感はなにものにも替え難い。
不景気でだいぶだぶついているはずだが・・・。
高い豆ばかりでなくやや劣化したというだけで振り向きもされないものを活かしてやるのもものつくりの責務だと思う、安く売ればいい。ただし技術は手抜きどころかかえって高いものが要求されるので結果としてコストは高くなりがちでそこまで見据えて取り組まないといけないことだが、こういった"仕事以上の遊び"も大切である。
「配分大豆輸入4560円/国産5650円/東京都豆腐商工組合」、へえー、まだこんなことやってんの。
ばらがあとからあとからつぼみが出てくる。
「伊勢神宮の謎を解く」を初めから読み直しているが、結構楽しい。
初めのほうは忘れてしまっている。
最初に提示したことがちゃんと最後の「2つの神」に帰結している。
読書百編とまではいかなくても手間のかかった本は読み返しが必要である。
非常におもしろいし、構成もしっかりしているのがわかる。
大化の改新以前、伊勢神宮、古事記、日本書紀、・・・そのときの中国(漢書、後漢書・・・)について読書しなければと思う。
大化の改新以前はわからないことが一杯でおもしろそうである。
これに比してこれより遙か以前のことに関わる文献の残っている中国という国に敬意を表さざるを得ないことをつくづく感じる。
文献の無い時代の日本人のこころの有りよう・傾向を探る・・・・とてつもない刺激的な作業だな。
米はあった。大豆もあったはず。魚も捕った。狩りももしたろう。
見えざるものへのおそれと感謝。
見え・感じるけど圧倒的なちから・おおいさを持った自然への畏敬の念。
文字はなくとも言葉はあったはずだ。記号程度はあったのかもしれない。
想像するのって楽しいな。
2011年5月19日木曜日
夏の
光りになる。
空気感、というやつも夏の序曲みたいだ。
経由とガソリンを買いに行く、農業用。
バラのいろがほめられてうれしかった。
原北側かきまぜる。耕耘している自分のあとをオナガ鳥が千鳥足で追いかけてくる。彼らはりこうで、かき混ぜられた土の上にみみずその他土中の虫が出てきたのをめざとく捕まえるという次第である。まだ若いせいか尾は長くなく、ボディーもちいさい青少年という感じだ。
耕耘機を2時間から運転、やや黒い排気ガス。
オイルも交換する。
きょうは飲み会だ。
空気感、というやつも夏の序曲みたいだ。
経由とガソリンを買いに行く、農業用。
バラのいろがほめられてうれしかった。
原北側かきまぜる。耕耘している自分のあとをオナガ鳥が千鳥足で追いかけてくる。彼らはりこうで、かき混ぜられた土の上にみみずその他土中の虫が出てきたのをめざとく捕まえるという次第である。まだ若いせいか尾は長くなく、ボディーもちいさい青少年という感じだ。
耕耘機を2時間から運転、やや黒い排気ガス。
オイルも交換する。
きょうは飲み会だ。
2011年5月18日水曜日
原の3枚をかき混ぜる。
まだそんなに暑くもないので心地よい作業。
南側が隙間無く住宅になり迷惑だが相続とのことでどうしようもない。
日陰になる7,8メートルは蒔いてもほとんど取れない。
最後の最後までできあがらないで残るのがこの部分である。
神奈川県のお茶が問題になったそうだ。
さすれば関東全県アウトだろう。
どうなるんだろう。
南側が隙間無く住宅になり迷惑だが相続とのことでどうしようもない。
日陰になる7,8メートルは蒔いてもほとんど取れない。
最後の最後までできあがらないで残るのがこの部分である。
神奈川県のお茶が問題になったそうだ。
さすれば関東全県アウトだろう。
どうなるんだろう。
2011年5月17日火曜日
チャマメ
という言葉が大澤さんのラジオから聞こえてきた。
チャマメというと茶豆のことで大豆、と連想し豆腐か枝豆か納豆のことだろう、ただし"コンサート"という言葉が入っていたので首をかしげていると、そういうグループらしい。
アコーデオンとギターのアンサンブルであった。タンゴらしい・・・。
ちょっと聴きでこれはいいと判断パソコンで調べる。
アルゼンチンではあるがそういうジャンルの民族音楽と書いてある。
民族音楽と言ってもガムランとかアラビアの音楽とか明治以前の日本の音楽といった"民族音楽"ではなく、ヨーロッパからの侵略者が持ち込んだ音楽が新大陸で現地の音楽とフュージョンしたものだが、元来日本人にはタンゴ系の音楽をすんなりと受け入れる素地があるのだろうか、自分は即惚れてしまった。
さっそく一枚購入、ただし2週間待ちだと・・・。
石川ひとみ、というのも実は彼女が現役の時は全然興味がなかったのだが大澤さんの番組で一期一会というギター・リュートもどきの撥弦楽器の伴奏で岬巡りや神田川を唄っているのにほれぼれしてしまったからである、このアルバムは名盤である。オリジナルの歌手が歌ったものよりはるか高みにある歌唱である、彼女の人生が歌に深みを与えている。
ただしそのあといいのが出ないのでがっかりだが、昔のLPをヤフオクで買い求め「夢模様」などの名盤を発見したしだい。
名曲・名唱の数や広がり・深みでは世界中のクラシック・ポップス・ジャズも含めてもやはり太田裕美がチャンピオンである・・・"歌がうまい"という意味ではない、"いい"という意味で。
絵と同様"うた"は、要するに恋愛感情と同一。
音楽の窮極はやはり"ひとのこえ"である。
雨だったので夕方まで物置の片付けで出てきた8ミリビデオをみる。
これはいい作品であった。
内舘牧子さんの脚本(?)、監督(?)、・・・によるNHKの2時間もので漱石の「坊ちゃん」である。
ついこないだアニメのものも見たがやや物足りなかった。アニメ版は原作をいいかげんに読んでいる感じがした。
きょうの実写版はおもしろかった。
坊ちゃん本木雅弘、お千代加藤治子、マドンナ・・・?、校長なんとフランキー境、教頭の赤シャツ江守徹、のだいこ渡辺いっけい、山あらし所ジョージ、・・・と豪華メンバーでなおかつ撮影は明治村使用、最後のマドンナの踊りの舞台は愛媛の内子座とデラックスで絵もとてもきれいであった。
とにかく原作を良く読んでおりりっぱに仕上がっている。
坊ちゃんとマドンナの微妙な恋愛感情が見ている者をどきどきさせてくれ、どっぷりとドラマの中に使ってしまい坊ちゃんに感情移入してしまった。
また下宿の由紀さおりと加藤治子の言葉のやり合いがこの上なくここちよかった。この2人の女性は・・・すごかった、すばらしい。由紀さおりは本業はなんなのかと疑うぐらいであった。
実はさらに過去に・・・30年くらい前だろうか・・・シリーズで坊ちゃんをやっているのを覚えているのだが、やったという事実だけでどんな中身だったかは全く覚えていない、大変おもしろかったという記憶だけはしっかりとあるのだが。マドンナに結城しのぶとかいう中肉中背のやや顔デカの瓜実型美人が・・・、という記憶があるのだが定かではない。きょうのは名前は忘れたがほっそりとした顔ちいさいタイプの美人であった。
坊ちゃんとのやりとりにほんとにわくわくどきどきさせられた。
楽しかった。
結城しのぶ・・・ウィキペディアに出ていた「・・・1975年 NHK『新・坊っちゃん』に急病のため降板した大原麗子の代役としてマドンナ役で出演。」
チャマメというと茶豆のことで大豆、と連想し豆腐か枝豆か納豆のことだろう、ただし"コンサート"という言葉が入っていたので首をかしげていると、そういうグループらしい。
アコーデオンとギターのアンサンブルであった。タンゴらしい・・・。
ちょっと聴きでこれはいいと判断パソコンで調べる。
アルゼンチンではあるがそういうジャンルの民族音楽と書いてある。
民族音楽と言ってもガムランとかアラビアの音楽とか明治以前の日本の音楽といった"民族音楽"ではなく、ヨーロッパからの侵略者が持ち込んだ音楽が新大陸で現地の音楽とフュージョンしたものだが、元来日本人にはタンゴ系の音楽をすんなりと受け入れる素地があるのだろうか、自分は即惚れてしまった。
さっそく一枚購入、ただし2週間待ちだと・・・。
石川ひとみ、というのも実は彼女が現役の時は全然興味がなかったのだが大澤さんの番組で一期一会というギター・リュートもどきの撥弦楽器の伴奏で岬巡りや神田川を唄っているのにほれぼれしてしまったからである、このアルバムは名盤である。オリジナルの歌手が歌ったものよりはるか高みにある歌唱である、彼女の人生が歌に深みを与えている。
ただしそのあといいのが出ないのでがっかりだが、昔のLPをヤフオクで買い求め「夢模様」などの名盤を発見したしだい。
名曲・名唱の数や広がり・深みでは世界中のクラシック・ポップス・ジャズも含めてもやはり太田裕美がチャンピオンである・・・"歌がうまい"という意味ではない、"いい"という意味で。
絵と同様"うた"は、要するに恋愛感情と同一。
音楽の窮極はやはり"ひとのこえ"である。
雨だったので夕方まで物置の片付けで出てきた8ミリビデオをみる。
これはいい作品であった。
内舘牧子さんの脚本(?)、監督(?)、・・・によるNHKの2時間もので漱石の「坊ちゃん」である。
ついこないだアニメのものも見たがやや物足りなかった。アニメ版は原作をいいかげんに読んでいる感じがした。
きょうの実写版はおもしろかった。
坊ちゃん本木雅弘、お千代加藤治子、マドンナ・・・?、校長なんとフランキー境、教頭の赤シャツ江守徹、のだいこ渡辺いっけい、山あらし所ジョージ、・・・と豪華メンバーでなおかつ撮影は明治村使用、最後のマドンナの踊りの舞台は愛媛の内子座とデラックスで絵もとてもきれいであった。
とにかく原作を良く読んでおりりっぱに仕上がっている。
坊ちゃんとマドンナの微妙な恋愛感情が見ている者をどきどきさせてくれ、どっぷりとドラマの中に使ってしまい坊ちゃんに感情移入してしまった。
また下宿の由紀さおりと加藤治子の言葉のやり合いがこの上なくここちよかった。この2人の女性は・・・すごかった、すばらしい。由紀さおりは本業はなんなのかと疑うぐらいであった。
実はさらに過去に・・・30年くらい前だろうか・・・シリーズで坊ちゃんをやっているのを覚えているのだが、やったという事実だけでどんな中身だったかは全く覚えていない、大変おもしろかったという記憶だけはしっかりとあるのだが。マドンナに結城しのぶとかいう中肉中背のやや顔デカの瓜実型美人が・・・、という記憶があるのだが定かではない。きょうのは名前は忘れたがほっそりとした顔ちいさいタイプの美人であった。
坊ちゃんとのやりとりにほんとにわくわくどきどきさせられた。
楽しかった。
結城しのぶ・・・ウィキペディアに出ていた「・・・1975年 NHK『新・坊っちゃん』に急病のため降板した大原麗子の代役としてマドンナ役で出演。」
2011年5月16日月曜日
赤いしゃくやく咲く。
つぼみもいっぱい。
ピラミッドどくだみもつぼみがいっぱい。
赤いバラ一輪切り取り部屋の壁にあるG先生の花瓶に挿す。
「伊勢神宮の謎を解く」読了。
終章はわかりやすく楽しかった。
最後の結論、神鏡と床下の心柱の意味が・・・たぶん指摘の通りだろう、ということが今までの著作から、そして普段の会話から類推される・・・わかる。
伊勢神宮正殿とは、この国の始まり、の抽象化かつ権威の確定ということも読み解ける。
式年遷宮を待つ隣のスペースの中にある覆屋にかくまわれた、次の造替えの時に位置基準になる「心の御柱」の本当の意味・重要さが理解できる。
諏訪の御柱の意味も同様であることが、改めてわかる。
この著作のあとどこへ行くんだろうか。
周辺からどんどん芯へ芯へ、こころの芯へ。
およそ今までの著作のように"建築"があふれているということのほとんど無い、つまり物的証拠の提示・分析による解釈のほほとんどなかったこの著作は正直言ってかなり眠たかったのだが、終章に来て目がぱっちりと開く。
しかし終章だけ読んだのではだめで、やはり初めからじっくり読まなければ、ともう一回斜め読みを始める。
アマゾンのレビューに書き込む・・・このブログの一部をコピーしただけなんだけど。
ピラミッドどくだみもつぼみがいっぱい。
赤いバラ一輪切り取り部屋の壁にあるG先生の花瓶に挿す。
「伊勢神宮の謎を解く」読了。
終章はわかりやすく楽しかった。
最後の結論、神鏡と床下の心柱の意味が・・・たぶん指摘の通りだろう、ということが今までの著作から、そして普段の会話から類推される・・・わかる。
伊勢神宮正殿とは、この国の始まり、の抽象化かつ権威の確定ということも読み解ける。
式年遷宮を待つ隣のスペースの中にある覆屋にかくまわれた、次の造替えの時に位置基準になる「心の御柱」の本当の意味・重要さが理解できる。
諏訪の御柱の意味も同様であることが、改めてわかる。
この著作のあとどこへ行くんだろうか。
周辺からどんどん芯へ芯へ、こころの芯へ。
およそ今までの著作のように"建築"があふれているということのほとんど無い、つまり物的証拠の提示・分析による解釈のほほとんどなかったこの著作は正直言ってかなり眠たかったのだが、終章に来て目がぱっちりと開く。
しかし終章だけ読んだのではだめで、やはり初めからじっくり読まなければ、ともう一回斜め読みを始める。
アマゾンのレビューに書き込む・・・このブログの一部をコピーしただけなんだけど。
2011年5月15日日曜日
五月晴れ!
航空公園の周辺は大渋滞。
読売リサイクルカーニバルかもしれない、このイベントもずいぶんと古く10年以上たっているような気がする。
信号待ちでぼーとしていてふと街路樹の根元を見ると、例のごとくまあるく土の部分があって雑草が生えているわけだが、なんとイネ科の雑草がきれいに並んでいて穂を風になびかせている姿があまりにも美しかったのでしばしうっとりとしてしまった。
草盆栽という趣味の領域があるけど、まさにそのわずかな空間の中に小宇宙を見た思いであった。・・・・こういうことが感じられる"瞬間"があるもんだな、とうれしくなってしまう。
ちょっと得した信号待ちであった。
今朝は納豆用"たぶん日本最小レベル大豆"を豆腐にした。この豆の選別には多大な精神的苦痛を伴う。納豆小粒(地塚大豆)より小さく、さらにこすずより小さく、もちろん千葉黒ツル豆よりちいさく、浦和・所沢ツル豆よりはおおきいというレベルのどうみても納豆にしか向いてない小粒だが、古くなったこともあり豆腐にしてしまった。
そんなに甘くはない。
雑味は豊かである、それもそう皮ばかり体積が多くて中身が相対的に少ないわけだからあたりまえだろう。豆スリも"微細"レベルに調整。
でもまあ、"受け"は悪いだろうが豆腐としては合格点だと思う。
増やすかどうかは・・・・選別の困難を考えるとねー。
冷蔵庫にしまってあった和田さんにもらったフクユタカをつぶす。
前回加工して和田さんにおくったときより遙かに濃く、しかも甘みも隠れなかったのでいい塩梅の味となる。この品種はやはり改良品種としては高タンパクであるということも考えると味・機能両者そろった優秀品種といえる。機能ばかり(豆腐がたくさんとれる、しまりがいい・・・)に着目されて需要がおおきく値段が高いのがたまにきずである。栽培特性はどうなのだろうか?
埼玉のタチナガハ3年前産、常温保存という廃棄レベル大豆をもらったがこれがいいのだ。この品種も煮るのがむつかしく雑味が強く出てしまい甘みがゆがめられてしまいがちだが、きょうのは雑味控えめで甘みがかわいく出ていて豆乳を飲んでみてもいい感じであった・・・ただしいつも700cc飲んでいるのをきょうは350ccつまり一杯で止めた、それ以上は気がすすまなかった。やはり雑味の主張の強い豆である。だから枝豆が非常に美味なのである。
豆腐もうまかった。
きょうはなんの変哲もないフクユタカ、タチナガハという有名品種にあけくれたが真剣に取り組めば楽しめるのは在来種をやっているときと同じである。
家の裏の3枚をかきまぜる。
ぺんぺん草は終わり、すみれとヒルガオが出始めている。
一本のゆずの木に白い花がびっしり。
レモンの木にうす紫の花がけっこうたくさんついている・・・がこれが毎年結実しないんだな。おととしは2つ、去年はゼロ(花も少なかった)、しゃくやくがでつぼみをたくさんつけている。しかしつぼみ数個でありんこがたくさんたかっているものはたぶんつぼみのままで終わると思う、甘いんだろうか?
読売リサイクルカーニバルかもしれない、このイベントもずいぶんと古く10年以上たっているような気がする。
信号待ちでぼーとしていてふと街路樹の根元を見ると、例のごとくまあるく土の部分があって雑草が生えているわけだが、なんとイネ科の雑草がきれいに並んでいて穂を風になびかせている姿があまりにも美しかったのでしばしうっとりとしてしまった。
草盆栽という趣味の領域があるけど、まさにそのわずかな空間の中に小宇宙を見た思いであった。・・・・こういうことが感じられる"瞬間"があるもんだな、とうれしくなってしまう。
ちょっと得した信号待ちであった。
今朝は納豆用"たぶん日本最小レベル大豆"を豆腐にした。この豆の選別には多大な精神的苦痛を伴う。納豆小粒(地塚大豆)より小さく、さらにこすずより小さく、もちろん千葉黒ツル豆よりちいさく、浦和・所沢ツル豆よりはおおきいというレベルのどうみても納豆にしか向いてない小粒だが、古くなったこともあり豆腐にしてしまった。
そんなに甘くはない。
雑味は豊かである、それもそう皮ばかり体積が多くて中身が相対的に少ないわけだからあたりまえだろう。豆スリも"微細"レベルに調整。
でもまあ、"受け"は悪いだろうが豆腐としては合格点だと思う。
増やすかどうかは・・・・選別の困難を考えるとねー。
冷蔵庫にしまってあった和田さんにもらったフクユタカをつぶす。
前回加工して和田さんにおくったときより遙かに濃く、しかも甘みも隠れなかったのでいい塩梅の味となる。この品種はやはり改良品種としては高タンパクであるということも考えると味・機能両者そろった優秀品種といえる。機能ばかり(豆腐がたくさんとれる、しまりがいい・・・)に着目されて需要がおおきく値段が高いのがたまにきずである。栽培特性はどうなのだろうか?
埼玉のタチナガハ3年前産、常温保存という廃棄レベル大豆をもらったがこれがいいのだ。この品種も煮るのがむつかしく雑味が強く出てしまい甘みがゆがめられてしまいがちだが、きょうのは雑味控えめで甘みがかわいく出ていて豆乳を飲んでみてもいい感じであった・・・ただしいつも700cc飲んでいるのをきょうは350ccつまり一杯で止めた、それ以上は気がすすまなかった。やはり雑味の主張の強い豆である。だから枝豆が非常に美味なのである。
豆腐もうまかった。
きょうはなんの変哲もないフクユタカ、タチナガハという有名品種にあけくれたが真剣に取り組めば楽しめるのは在来種をやっているときと同じである。
家の裏の3枚をかきまぜる。
ぺんぺん草は終わり、すみれとヒルガオが出始めている。
一本のゆずの木に白い花がびっしり。
レモンの木にうす紫の花がけっこうたくさんついている・・・がこれが毎年結実しないんだな。おととしは2つ、去年はゼロ(花も少なかった)、しゃくやくがでつぼみをたくさんつけている。しかしつぼみ数個でありんこがたくさんたかっているものはたぶんつぼみのままで終わると思う、甘いんだろうか?
2011年5月14日土曜日
きのうはgoogleの不具合・点検で
昼から夜遅くまで書き込めませんでした。
きのうは夜武澤先生と電話でお話しました。
220/290ページに至って結論めいたことが出てきて読みやすくなりました。
この前100ページが苦痛でした。
終わりに近づいてくると、小説でもないのに、終わって欲しくないという思いが強くなってくるのです。
津田左右吉は早稲田が生んだ最高の学者かと思いますが、批判的に武澤先生に指摘されるところも多く、気落ちしていたのですが偉大な思想家や学者とはそういうものなのかもしれない。
日本人のこころの基層・古層とは何かを求める思索。
神道発生は歴史的には新しいもので先生の思索は神道以前の考察に専念。
諸大王並立から代表大王、天皇の概念成立(大海人皇子=天武天皇)にいたるまでの"皇祖神"の意味の変遷・アマテラスの確定にいたるまでの深い考察がなされています。
信仰というベースで読まれると誤解を受けかねませんが、多くの書物を渉猟しさらにはそれ以前の仏教・神社の考察は建築家としての経験から感得された理解等も大いに加味され、毎著作ごと説得力をもってこちらにせまってくるものがあります。
古事記・日本書紀はつまみ読みしかしてないので200ページ以下100ページがほんとに苦痛でしたが(一ヶ月かかる、つまり一日に3ページ、文章は井筒俊彦流にやさしくなのですが)なんとか終章にたどり着いてほっとしています。
山登りで稜線に出た感じです。
この本は読み終わったら最初から読み直してみようと思います。
母の3年目の命日なので墓参り、きょうだい集まる。
赤いバラがきれいに咲いていた。
出入りのサッシ屋さんがすきみたいで挿し木をしたり枝を切ってくれたりで伸び放題だったものがきれいに整理された感じ。
しろうと目にもいいバラだと思う。
花びらのやたらと多いのは桜と同様きらいだが、これはすごくいい花だと思う。
お墓にとげのある赤いバラというのは禁忌だと思うが一輪挿しにでも挿しておこうか。
きのうは夜武澤先生と電話でお話しました。
220/290ページに至って結論めいたことが出てきて読みやすくなりました。
この前100ページが苦痛でした。
終わりに近づいてくると、小説でもないのに、終わって欲しくないという思いが強くなってくるのです。
津田左右吉は早稲田が生んだ最高の学者かと思いますが、批判的に武澤先生に指摘されるところも多く、気落ちしていたのですが偉大な思想家や学者とはそういうものなのかもしれない。
日本人のこころの基層・古層とは何かを求める思索。
神道発生は歴史的には新しいもので先生の思索は神道以前の考察に専念。
諸大王並立から代表大王、天皇の概念成立(大海人皇子=天武天皇)にいたるまでの"皇祖神"の意味の変遷・アマテラスの確定にいたるまでの深い考察がなされています。
信仰というベースで読まれると誤解を受けかねませんが、多くの書物を渉猟しさらにはそれ以前の仏教・神社の考察は建築家としての経験から感得された理解等も大いに加味され、毎著作ごと説得力をもってこちらにせまってくるものがあります。
古事記・日本書紀はつまみ読みしかしてないので200ページ以下100ページがほんとに苦痛でしたが(一ヶ月かかる、つまり一日に3ページ、文章は井筒俊彦流にやさしくなのですが)なんとか終章にたどり着いてほっとしています。
山登りで稜線に出た感じです。
この本は読み終わったら最初から読み直してみようと思います。
母の3年目の命日なので墓参り、きょうだい集まる。
赤いバラがきれいに咲いていた。
出入りのサッシ屋さんがすきみたいで挿し木をしたり枝を切ってくれたりで伸び放題だったものがきれいに整理された感じ。
しろうと目にもいいバラだと思う。
花びらのやたらと多いのは桜と同様きらいだが、これはすごくいい花だと思う。
お墓にとげのある赤いバラというのは禁忌だと思うが一輪挿しにでも挿しておこうか。
2011年5月12日木曜日
朝からずーっと雨。
地震の2日前から37-8度の熱がひどいせきとともに1週間続き、そのあとひと月せきが残りせきをするたびに右胸がすこしいたい感じがしていた。
せきがとまってそのままにしていた。なんでもなくてもふつうせきはときどきするものであるがやはりせきの度に胸が少し痛かったので気になり医者に行く。
熱の出ない肺炎がはやっているとの情報を何人かから聞く。
かかりつけの病院に行く。
内科のの先生はなんと22,3才に見える"女の子"(失礼!)であった。
18に6年たしても24なのでたぶん25才以上なのかなとも考えるのだがなんとも心配してしまったのだが、応対はしっかりとしており説明も明快で心地よい診察であった。美人ではないがかわいい子(これまた失礼!)である。
結局激しいせきをつづけた果ての肋間神経痛かなということで、肺炎ではないだろうとのこと。レントゲンもきれいに写っていた・・・今はネガを使わずにレントゲン室からLANで診察室へ伝送されてくるんだね。
10年も前になるだろうか三井記念病院の耳鼻咽喉科部長の奥野妙子先生の診察を受けたときはあまりの茶人ぶりにびっくりしてしまったものだが、それ以来のさわやか女医対面経験であった。
きょうの彼女はいい医者になる。
奥野先生はもう引退されてるのかな? 彼女も日本の宝ともいえるすばらしい技術とこころの持ち主の名医。偏差値だけで医者になったひとではないなと思った。
丸山真男が原爆投下後3日目に広島にいたということをテレビでやっていた。G先生と同じ空間にいたことにびっくりする。お二方とも"被爆"ということになるが、G先生と同様丸山真男同様差別・いじめられたことだと思う。G先生は81才、丸山は1995(1996?)亡くなっているが後年原爆症というものはなかったと思うのだが・・・?
かたやG先生は小沢昭一と同じ最後の海軍兵学校生、丸山は賛否両論熱烈な信者・批判者を生み出したご存じのような戦後デモクラシーのオピニオンリーダーだが人生のある時期に人間の生きる・死ぬにかかわる決定的な経験を経てそれをばねにし、戦後の混乱期から生産的な仕事をした偉大なひとたちだ。
ぼくらになに言う資格もないかもしれないが家族や親友・恋人を失ってしまった被災地の方々の"つよく生きる"をお祈りするばかりだ。
彼らが"生きる"ことが病や不遇で苦しみのなかにあるひとに勇気を与えてくれる。
ひとのこころの中を想像することのできるのは、苦しみもがいたひとたちの特権である。
丸山の他者感覚を持ちうるひととはこういうひとたちである。
せきがとまってそのままにしていた。なんでもなくてもふつうせきはときどきするものであるがやはりせきの度に胸が少し痛かったので気になり医者に行く。
熱の出ない肺炎がはやっているとの情報を何人かから聞く。
かかりつけの病院に行く。
内科のの先生はなんと22,3才に見える"女の子"(失礼!)であった。
18に6年たしても24なのでたぶん25才以上なのかなとも考えるのだがなんとも心配してしまったのだが、応対はしっかりとしており説明も明快で心地よい診察であった。美人ではないがかわいい子(これまた失礼!)である。
結局激しいせきをつづけた果ての肋間神経痛かなということで、肺炎ではないだろうとのこと。レントゲンもきれいに写っていた・・・今はネガを使わずにレントゲン室からLANで診察室へ伝送されてくるんだね。
10年も前になるだろうか三井記念病院の耳鼻咽喉科部長の奥野妙子先生の診察を受けたときはあまりの茶人ぶりにびっくりしてしまったものだが、それ以来のさわやか女医対面経験であった。
きょうの彼女はいい医者になる。
奥野先生はもう引退されてるのかな? 彼女も日本の宝ともいえるすばらしい技術とこころの持ち主の名医。偏差値だけで医者になったひとではないなと思った。
丸山真男が原爆投下後3日目に広島にいたということをテレビでやっていた。G先生と同じ空間にいたことにびっくりする。お二方とも"被爆"ということになるが、G先生と同様丸山真男同様差別・いじめられたことだと思う。G先生は81才、丸山は1995(1996?)亡くなっているが後年原爆症というものはなかったと思うのだが・・・?
かたやG先生は小沢昭一と同じ最後の海軍兵学校生、丸山は賛否両論熱烈な信者・批判者を生み出したご存じのような戦後デモクラシーのオピニオンリーダーだが人生のある時期に人間の生きる・死ぬにかかわる決定的な経験を経てそれをばねにし、戦後の混乱期から生産的な仕事をした偉大なひとたちだ。
ぼくらになに言う資格もないかもしれないが家族や親友・恋人を失ってしまった被災地の方々の"つよく生きる"をお祈りするばかりだ。
彼らが"生きる"ことが病や不遇で苦しみのなかにあるひとに勇気を与えてくれる。
ひとのこころの中を想像することのできるのは、苦しみもがいたひとたちの特権である。
丸山の他者感覚を持ちうるひととはこういうひとたちである。
2011年5月11日水曜日
きょうは雨
半袖の上に上着が必要。
がれきの山は結局自衛隊にしか取り扱えないようだ。
全員過労状態で働いている。
使命感と家族・被災者の感謝か大きな支えになって彼らを動かしている。
無理しすぎないでください。
3時頃から大降りになる。
物置の本を整理する。
これは結構やっかいで読みたくなるものがたくさん出てくる。
大幅に長生きしないととてもじゃないけど無理だろう。
たしかに読んだはずなのに何も中身を思い出せない者もあれば、ただ「つまんない」を明瞭に覚えているものある。
予期しないものを発見した喜びは本屋の立ち読みよりはあるかもしれない。
かつて立ち読みで衝動買いしたものが結構しまってあるわけで、一度は一目惚れしたものには今でもなにがしかの引力を感じるわけである。
結論としては、時間が足りない、である。
でもこう言えるのはまだまだ「活き活き」しているからなのかな?
8時になっても結構降ってる。
できたてはなんでもうまいのか。
これはやさしいようでむつかしい、むつかしいようでやさしい問題である。
食べ物によってあるいはまた同じものでも食べ方にもよるだろう。
大型飲食店などでも「手作りできたて感」を売りにして、つくりたてもどきを出しているチェーンも結構あるが、決してうまいものばかりではない。その欠点を補うために"本来"ではない"工作"が行われる。
こうした安直・大量生産の考えが大切なものをこわしているわけだが、多くのひとが支持するからと行って大手を振ってしまうのは歴史の意志なのかなと、ため息ばかりである。
豆腐はかならずしもできたてがうまいわけではなく時と品種による、体調にもよる。
特に品種がおおきくものをいう。あとはつくりかたである。
まあ、あったかで湯気がたっていれば満足してしまうレベルの客相手の商売では今言った条件も馬に念仏だろうけれど・・・。
がれきの山は結局自衛隊にしか取り扱えないようだ。
全員過労状態で働いている。
使命感と家族・被災者の感謝か大きな支えになって彼らを動かしている。
無理しすぎないでください。
3時頃から大降りになる。
物置の本を整理する。
これは結構やっかいで読みたくなるものがたくさん出てくる。
大幅に長生きしないととてもじゃないけど無理だろう。
たしかに読んだはずなのに何も中身を思い出せない者もあれば、ただ「つまんない」を明瞭に覚えているものある。
予期しないものを発見した喜びは本屋の立ち読みよりはあるかもしれない。
かつて立ち読みで衝動買いしたものが結構しまってあるわけで、一度は一目惚れしたものには今でもなにがしかの引力を感じるわけである。
結論としては、時間が足りない、である。
でもこう言えるのはまだまだ「活き活き」しているからなのかな?
8時になっても結構降ってる。
できたてはなんでもうまいのか。
これはやさしいようでむつかしい、むつかしいようでやさしい問題である。
食べ物によってあるいはまた同じものでも食べ方にもよるだろう。
大型飲食店などでも「手作りできたて感」を売りにして、つくりたてもどきを出しているチェーンも結構あるが、決してうまいものばかりではない。その欠点を補うために"本来"ではない"工作"が行われる。
こうした安直・大量生産の考えが大切なものをこわしているわけだが、多くのひとが支持するからと行って大手を振ってしまうのは歴史の意志なのかなと、ため息ばかりである。
豆腐はかならずしもできたてがうまいわけではなく時と品種による、体調にもよる。
特に品種がおおきくものをいう。あとはつくりかたである。
まあ、あったかで湯気がたっていれば満足してしまうレベルの客相手の商売では今言った条件も馬に念仏だろうけれど・・・。
2011年5月10日火曜日
ブログ不具合のようです。題名の欄しか書込みできません。
パソコンの不具合のようです。
今ここは一番新しいDELLのパソコンで書いています。Windows7です。
いつもは据え置きのエプソンのVISTA仕様のものを使っていますがどうしたらいいのでしょうか。
再セットアップやるようかしら、ブログ書き込み以外はなんにも不具合がないのですが・・・。
途中までバックアップがされているのでそれを使ってみようかな。
バックアップディスクを実行したことは過去一度もなくそのたびにパソコンはまっさらにクリーニングされちろゃうんですけど。
・・・・・。
と、下に戻って据え置きを開いてみるとなんと書き込めるではないか。
どうなってるのこれ。
やはりノートより据え置きのほうがキーボードが使いやすいので便利だ。
速くキーボードが打てる、慣れの問題だと思うのだけれど。
こういうこともあるのでしばらくやってなかったバックアップをしておこう。
ということで2時間後。大丈夫のようです。
パソコンは"突然"があるのでやはり複数台ないとだめだね。
きのうの午後からブログがおかしくなったので書かなかったが、きのう家の裏の畑に脱穀がらをまきトラクターでかきまぜる。
きょうは畑なし。
武澤先生のご本を読み進めるがむつかしくなってきた、というかやや混乱してきた。
まだ180/296だ。
他本との併読状態が良くないかな?
カタカナの神様の名前が混乱してるのと、(架空・現実)の出来事が混乱しているためかもしれない。「ゆっくり読んでね」と先生に言われたことを思い出す。
夕方から降ったりやんだり。
結構蒸し暑い。
今ここは一番新しいDELLのパソコンで書いています。Windows7です。
いつもは据え置きのエプソンのVISTA仕様のものを使っていますがどうしたらいいのでしょうか。
再セットアップやるようかしら、ブログ書き込み以外はなんにも不具合がないのですが・・・。
途中までバックアップがされているのでそれを使ってみようかな。
バックアップディスクを実行したことは過去一度もなくそのたびにパソコンはまっさらにクリーニングされちろゃうんですけど。
・・・・・。
と、下に戻って据え置きを開いてみるとなんと書き込めるではないか。
どうなってるのこれ。
やはりノートより据え置きのほうがキーボードが使いやすいので便利だ。
速くキーボードが打てる、慣れの問題だと思うのだけれど。
こういうこともあるのでしばらくやってなかったバックアップをしておこう。
ということで2時間後。大丈夫のようです。
パソコンは"突然"があるのでやはり複数台ないとだめだね。
きのうの午後からブログがおかしくなったので書かなかったが、きのう家の裏の畑に脱穀がらをまきトラクターでかきまぜる。
きょうは畑なし。
武澤先生のご本を読み進めるがむつかしくなってきた、というかやや混乱してきた。
まだ180/296だ。
他本との併読状態が良くないかな?
カタカナの神様の名前が混乱してるのと、(架空・現実)の出来事が混乱しているためかもしれない。「ゆっくり読んでね」と先生に言われたことを思い出す。
夕方から降ったりやんだり。
結構蒸し暑い。
2011年5月9日月曜日
タネ屋さんの前を通ると
いろんな苗がコンテナごとに分けられてひとがたかっている。
日曜日となるとごった返している。
おおむね家庭菜園のひとたちだろう。
静岡の原発一カ所のYES/NO判断で全国すべての原発のある自治体は大揺れのようだ。
原発の地域への経済貢献は相当大きなもので、ある町(村?)の収入の4割が原発交付金なるものから提供されてるとのことだ。そういえば福島第一の直近のひとの地震直後のインタビューでも「あれやこれや仕事をもらったりカネをもらったりでおれには文句は言えネー」というおじいさんのことばが印象的だった。
政治の即時判断というのは政治家が身命を賭しておこなうばくちでどっちへころんでも大きな批判は免れないが、何が正義かを考える基準の材料もあとからあとから増加・複雑化して困難の極みに達している。
日曜日となるとごった返している。
おおむね家庭菜園のひとたちだろう。
静岡の原発一カ所のYES/NO判断で全国すべての原発のある自治体は大揺れのようだ。
原発の地域への経済貢献は相当大きなもので、ある町(村?)の収入の4割が原発交付金なるものから提供されてるとのことだ。そういえば福島第一の直近のひとの地震直後のインタビューでも「あれやこれや仕事をもらったりカネをもらったりでおれには文句は言えネー」というおじいさんのことばが印象的だった。
政治の即時判断というのは政治家が身命を賭しておこなうばくちでどっちへころんでも大きな批判は免れないが、何が正義かを考える基準の材料もあとからあとから増加・複雑化して困難の極みに達している。
2011年5月8日日曜日
きょうは昼から
お江戸日本橋亭 に。
田辺鶴瑛さんの講談を楽しむ。
前座の銀治さんも一部詰まってしまったりもあったが上手な語りであった。
たっぷりと余裕のある本人自身も楽しんでいるのが感じられる"もの語り"であった。
鶴瑛師匠ははさすが語りの神様で、ぐいぐいと引き込まれて新作の良さを感じさせてくれました。
三木露風のお母様の伝記物語で、婦人参政権運動の闘志であった彼女の苦労の人生講談。市川房枝さん以外そのすじのひとは知らなかった自分が恥ずかしかった。語りが上手で、「あー、これがプロというものか」と感じた。
思えば小学校の時の雨で体育が中止になったりしたときよく担任がしてくれた「朗読」がとても好きであった。
日本語教育の貧困さを、文部省指導要領準拠教育にいきどおりを感じながらの帰途となる。
しばらく冷蔵庫の中のの在庫整理となり、珍品の処分が続く。
田辺鶴瑛さんの講談を楽しむ。
前座の銀治さんも一部詰まってしまったりもあったが上手な語りであった。
たっぷりと余裕のある本人自身も楽しんでいるのが感じられる"もの語り"であった。
鶴瑛師匠ははさすが語りの神様で、ぐいぐいと引き込まれて新作の良さを感じさせてくれました。
三木露風のお母様の伝記物語で、婦人参政権運動の闘志であった彼女の苦労の人生講談。市川房枝さん以外そのすじのひとは知らなかった自分が恥ずかしかった。語りが上手で、「あー、これがプロというものか」と感じた。
思えば小学校の時の雨で体育が中止になったりしたときよく担任がしてくれた「朗読」がとても好きであった。
日本語教育の貧困さを、文部省指導要領準拠教育にいきどおりを感じながらの帰途となる。
しばらく冷蔵庫の中のの在庫整理となり、珍品の処分が続く。
2011年5月7日土曜日
寒い雨模様
お昼を食べながらイグアスの滝周辺の植物・動物たちの営みを見る。
コンパクトにまとまったちいさな宇宙。
ぼうふらの生態からはじまってそれをえさにしているあま(雨)つばめの生態、弱肉強食のトカゲや哺乳動物たちまで過酷だけど豊かなという相反する要因の中で必死に生きている動物たちは美しかった。
もちろん人間の目から見た視覚的な美しさももちろんいっぱいある。
人間同様個々のドラマは幸不幸、不遇・僥倖の連続で卵の段階で食われてしまったり、巣立ちの前に巣から落っこちてトカゲに食われたりといった鳥の例をあげるまでもなく、そこだけを見つめると理不尽だらけのようで涙を誘う。
でも全体は all of a piece (守備一貫) している。
こういった映像を組み立ててくれたひと、ぼうふらの研究をしているひと・・・にほんとに感謝する。
産学協同などという即利益の学問とは遠く離れている世界で研究に打ち込んでいるひとたちに感謝する。
何かに役立つ(もちろんそれもあるにはあるだろうが・・・)からやっているわけではなく、"惚れ込んで"その道に入ったひとたちの情熱は必ずだれかが感じ取ってくれるはずである、時間・国境を越えてかもしれないが。
夕飯は金目鯛のひもの焼いたのとべいなす焼いたのみそあんかけでとてもおいしかった。
平泉、小笠原が世界遺産に。
ジャイアンツに入った小笠原はきらいだけどこないだ(きのう?)の2000本安打は今日の日の祝砲だったのかな。
青ヶ島の先は小笠原である。
生態系も独特らしい。
行ってみたいなあ。
平泉はもう10年も前だろうかMRに案内してもらってとても感激したところである。
近藤はほんとにちいな構造物でガラス越しの見学だがその螺鈿細工には感動したものである。
金堂自体がコンクリートの覆屋(おおいや)に覆われており、無粋だとは思われたがまあしょうがないことだろう。江戸時代にたてられた木造の覆屋自体もそばに保存されていた。
中部電力浜岡原発はやはり「ダメ」になったようだ。
しょうがないだろうと同時に夏は関東はおおいに節電すべきだと思う。
イギリスの選挙制度改革国民投票はやはり「ノー」であった。
カメロン・クレッグの溝は深まっていくだろう。
焼き肉事件。
ユッケひと皿280円。
焼き肉屋へ行ったのは10数年前が最後だが、ワタミなどではメニューにあったような気がする。
あまり肉は食べないが、たしか焼き肉屋ではふつう800-1000円くらいするんじゃなかったかな。
280円ね?
コンパクトにまとまったちいさな宇宙。
ぼうふらの生態からはじまってそれをえさにしているあま(雨)つばめの生態、弱肉強食のトカゲや哺乳動物たちまで過酷だけど豊かなという相反する要因の中で必死に生きている動物たちは美しかった。
もちろん人間の目から見た視覚的な美しさももちろんいっぱいある。
人間同様個々のドラマは幸不幸、不遇・僥倖の連続で卵の段階で食われてしまったり、巣立ちの前に巣から落っこちてトカゲに食われたりといった鳥の例をあげるまでもなく、そこだけを見つめると理不尽だらけのようで涙を誘う。
でも全体は all of a piece (守備一貫) している。
こういった映像を組み立ててくれたひと、ぼうふらの研究をしているひと・・・にほんとに感謝する。
産学協同などという即利益の学問とは遠く離れている世界で研究に打ち込んでいるひとたちに感謝する。
何かに役立つ(もちろんそれもあるにはあるだろうが・・・)からやっているわけではなく、"惚れ込んで"その道に入ったひとたちの情熱は必ずだれかが感じ取ってくれるはずである、時間・国境を越えてかもしれないが。
夕飯は金目鯛のひもの焼いたのとべいなす焼いたのみそあんかけでとてもおいしかった。
平泉、小笠原が世界遺産に。
ジャイアンツに入った小笠原はきらいだけどこないだ(きのう?)の2000本安打は今日の日の祝砲だったのかな。
青ヶ島の先は小笠原である。
生態系も独特らしい。
行ってみたいなあ。
平泉はもう10年も前だろうかMRに案内してもらってとても感激したところである。
近藤はほんとにちいな構造物でガラス越しの見学だがその螺鈿細工には感動したものである。
金堂自体がコンクリートの覆屋(おおいや)に覆われており、無粋だとは思われたがまあしょうがないことだろう。江戸時代にたてられた木造の覆屋自体もそばに保存されていた。
中部電力浜岡原発はやはり「ダメ」になったようだ。
しょうがないだろうと同時に夏は関東はおおいに節電すべきだと思う。
イギリスの選挙制度改革国民投票はやはり「ノー」であった。
カメロン・クレッグの溝は深まっていくだろう。
焼き肉事件。
ユッケひと皿280円。
焼き肉屋へ行ったのは10数年前が最後だが、ワタミなどではメニューにあったような気がする。
あまり肉は食べないが、たしか焼き肉屋ではふつう800-1000円くらいするんじゃなかったかな。
280円ね?
2011年5月6日金曜日
休み明けで
またすぐ土曜日。
農業共済新聞が毎月一回おくられてくる。投稿コーナーの牛の絵がとてもよかった。飼い主の愛情が顔の描き方から伝わってくる。
ことし蒔くタネの選択をする。
栗ちゃんのところに寄る。
何か(スキューバ・ダイビングだと思うが)のクラブの集まりで被災地に行ったそうだ。
がれきの山を見てただ"無力感"にさいなまれただけだったそうだ。
きちんと指揮をするひととカネ、機械が必要だと言っていた。
自然の力の前にはどうにもならんと・・・。
国にも同情的になってしまうと。順番にひとつひとつ片付けていくしかないんだろう。
外野で文句を言うのがいかに楽かということだ。
"しろうと"がいきなり現地に行ってもじゃまになるだけのようだ。
アマチュア写真家の・・・それも雑誌「風景写真」にいつも当選していた・・・床屋さんに行く。
いつも鏡の脇には1,2月前の写真が。
とても楽しみである。
何年か前に胃ガンで胃のほとんどを切り取ってしまいげっそりとやせてしまったが今は元に近い体型に。調子はいいようだ。ただし大きな山にはのぼらないで車で行ってちょっと立ち寄れるところが中心のようだ。撮影スポットはどこにもある。
いきいきとしていてすてきな床屋さんだ。
お医者さんのいうことを良く聞いてきちんと病気に対応してね。
夜お店に近所の実家に都内から毎日仕事の手伝いに来ているお客様が、音楽の話をし・・・彼女のご主人はロック評論家・・・ビートルズ、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエルなどの話をし昔はとにかく「田舎者根性で洋楽を聞いたものだよね」という話になり、海の向こうの音楽をひとよりも早く聞いているという気取り感・優越感が青春の大事なエネルギーだったんだよね、という話になりそれでは今の子は何を聞いているのということになり、彼女のいうには「洋楽は聴かない」ということだった。
なんでだろう、と考えてはみるのだが。
みんなの知らない世界を少しでも早く取り入れ知ったかぶりになるのは青春の特権・醍醐味でもあり見方を変えるとはずかしくもださくもあるただのまねごとなのだが、こういう過程を通して感覚を磨きオリジナリティとは何かについて真剣に考えるようにもなるのだが、こういう経過を経ることがないのかな。
別の次元で従来通りの"進化・大人化"はやっているとは思うのだが見えてこない。
こんなことはこんど酒の席で話してみたい。
究極の教育とは"独学"だと思うが、集団の中でしか学べないことは独学では無理だ。
経済や外交についてなんの見識もなしに政治家になったものがまず逃げる場所は「教育」だ。
勉強しなくてもなにがしかのことは言える。
でもその程度はすぐ程度を見透かされてしまう。
じつは一番大切で一番むつかしいのはこれまた経済でも外交でもなく「教育」だ。
もっと議論しなければいけないと思う。
スノッブのように思える自国文化卑下、欧米かぶれもある時期では自然におこる通過点で必要な"格闘技"である。
ただそこをどうやって通り抜けていくかが大事で、そこには導き手がいると思う。
それがないと「活字、メディア」は権力であるということが、頭ではわかっていても"実感"できず、疑ってかかるくせを身につけることはむつかしいと思う。
今の学校はただ事実、過去の遺産を真実だと教え覚えさせるだけである。
教わらなくても自分でわかってしまう数少ない高い頭脳のひとだけがノーベル賞レベルになったりするわけだが、そんな高級な世界でなくとも日常の経営、政治、近所トラブルなどでも先に述べた「疑う心」から分析・組み立てていく能力はおおいに必要である。
試験だけで階段を上り詰めた高い地位にあるひとたちが行うとんちんかんな判断、犯罪は結局は間違った教育の成果である。
夜帰ってくると安住紳一郎が登山だと。
市毛良枝さんが出ていたがずいぶん年取ったな。
立川に石井スポーツがあったのはしらなかった。
ちらっとだが立川駅の全景が写り、こりゃ所沢に集客力がないのももっともだと思った。
なんでもあればひとが寄ってくるか?
石井スポーツで買い物という段になり、いかに山道具が軽く・ちいさく・便利になったかと感じた。
水筒なんかビニールの袋でちょうど点滴の袋と同じで、それからホースを引き常時口元に置きザックを開けることなく吸い込めば(咬めば)水が飲めるという仕組み。
ヘッドランプも今までの1/3ぐらいの大きさしかないんじゃないだろうか。
アイスバイル(氷壁登攀ピッケル)もおもしろい・・・というか合理的なんだろう・・・形をしていた。
山ガールということばが出ており、なんとなく何を意味しているのかと言うことが想像できるがこういう軽薄なミーハーのハイキングはやめたほうがいい。
トトロの山の散歩程度にしてくれ。
とにかくいろんなものがあってドイトと同じく見ているだけで楽しい時間が過ごせそうで今度行ってみよう。ただし行けば買ってしまうだろう。時節柄"キャンドル"だな。
低い山でいいから、行ってみたいなあ。
農業共済新聞が毎月一回おくられてくる。投稿コーナーの牛の絵がとてもよかった。飼い主の愛情が顔の描き方から伝わってくる。
ことし蒔くタネの選択をする。
栗ちゃんのところに寄る。
何か(スキューバ・ダイビングだと思うが)のクラブの集まりで被災地に行ったそうだ。
がれきの山を見てただ"無力感"にさいなまれただけだったそうだ。
きちんと指揮をするひととカネ、機械が必要だと言っていた。
自然の力の前にはどうにもならんと・・・。
国にも同情的になってしまうと。順番にひとつひとつ片付けていくしかないんだろう。
外野で文句を言うのがいかに楽かということだ。
"しろうと"がいきなり現地に行ってもじゃまになるだけのようだ。
アマチュア写真家の・・・それも雑誌「風景写真」にいつも当選していた・・・床屋さんに行く。
いつも鏡の脇には1,2月前の写真が。
とても楽しみである。
何年か前に胃ガンで胃のほとんどを切り取ってしまいげっそりとやせてしまったが今は元に近い体型に。調子はいいようだ。ただし大きな山にはのぼらないで車で行ってちょっと立ち寄れるところが中心のようだ。撮影スポットはどこにもある。
いきいきとしていてすてきな床屋さんだ。
お医者さんのいうことを良く聞いてきちんと病気に対応してね。
夜お店に近所の実家に都内から毎日仕事の手伝いに来ているお客様が、音楽の話をし・・・彼女のご主人はロック評論家・・・ビートルズ、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエルなどの話をし昔はとにかく「田舎者根性で洋楽を聞いたものだよね」という話になり、海の向こうの音楽をひとよりも早く聞いているという気取り感・優越感が青春の大事なエネルギーだったんだよね、という話になりそれでは今の子は何を聞いているのということになり、彼女のいうには「洋楽は聴かない」ということだった。
なんでだろう、と考えてはみるのだが。
みんなの知らない世界を少しでも早く取り入れ知ったかぶりになるのは青春の特権・醍醐味でもあり見方を変えるとはずかしくもださくもあるただのまねごとなのだが、こういう過程を通して感覚を磨きオリジナリティとは何かについて真剣に考えるようにもなるのだが、こういう経過を経ることがないのかな。
別の次元で従来通りの"進化・大人化"はやっているとは思うのだが見えてこない。
こんなことはこんど酒の席で話してみたい。
究極の教育とは"独学"だと思うが、集団の中でしか学べないことは独学では無理だ。
経済や外交についてなんの見識もなしに政治家になったものがまず逃げる場所は「教育」だ。
勉強しなくてもなにがしかのことは言える。
でもその程度はすぐ程度を見透かされてしまう。
じつは一番大切で一番むつかしいのはこれまた経済でも外交でもなく「教育」だ。
もっと議論しなければいけないと思う。
スノッブのように思える自国文化卑下、欧米かぶれもある時期では自然におこる通過点で必要な"格闘技"である。
ただそこをどうやって通り抜けていくかが大事で、そこには導き手がいると思う。
それがないと「活字、メディア」は権力であるということが、頭ではわかっていても"実感"できず、疑ってかかるくせを身につけることはむつかしいと思う。
今の学校はただ事実、過去の遺産を真実だと教え覚えさせるだけである。
教わらなくても自分でわかってしまう数少ない高い頭脳のひとだけがノーベル賞レベルになったりするわけだが、そんな高級な世界でなくとも日常の経営、政治、近所トラブルなどでも先に述べた「疑う心」から分析・組み立てていく能力はおおいに必要である。
試験だけで階段を上り詰めた高い地位にあるひとたちが行うとんちんかんな判断、犯罪は結局は間違った教育の成果である。
夜帰ってくると安住紳一郎が登山だと。
市毛良枝さんが出ていたがずいぶん年取ったな。
立川に石井スポーツがあったのはしらなかった。
ちらっとだが立川駅の全景が写り、こりゃ所沢に集客力がないのももっともだと思った。
なんでもあればひとが寄ってくるか?
石井スポーツで買い物という段になり、いかに山道具が軽く・ちいさく・便利になったかと感じた。
水筒なんかビニールの袋でちょうど点滴の袋と同じで、それからホースを引き常時口元に置きザックを開けることなく吸い込めば(咬めば)水が飲めるという仕組み。
ヘッドランプも今までの1/3ぐらいの大きさしかないんじゃないだろうか。
アイスバイル(氷壁登攀ピッケル)もおもしろい・・・というか合理的なんだろう・・・形をしていた。
山ガールということばが出ており、なんとなく何を意味しているのかと言うことが想像できるがこういう軽薄なミーハーのハイキングはやめたほうがいい。
トトロの山の散歩程度にしてくれ。
とにかくいろんなものがあってドイトと同じく見ているだけで楽しい時間が過ごせそうで今度行ってみよう。ただし行けば買ってしまうだろう。時節柄"キャンドル"だな。
低い山でいいから、行ってみたいなあ。
2011年5月5日木曜日
きょうは寒い。
ゴールデンウィーク中全部出てくれたパートさん、ありがとう。
脱穀が完了してしまい手持ち無沙汰で弱るが、こまかいことをいうとやることはたくさんある。
ビン・ラディンのニュースは一番最初にラジオで聴いたのかな。
すぐパソコンでBBCのニュースを見るとビン・ラディンの普段の顔と並べて銃弾を顔面に受けて穴が開き顔がゆがんでいる写真が出ていたが、こんなの出して大丈夫かなと思っていたらこちらのテレビでは死体の顔はだれも見ていないと言うし新聞にも出ていないようだ。
事件直後は写真が流れたのかい。
政治的配慮が働いたのかな。
ピーナッツのかたい殻をわろうとしたが20粒もやると指が疲れてしまってダウン。
一部外殻のまま蒔こうと思う・・・たぶん大丈夫ではないのかな。
地中にあって虫や菌から身を守るためこういうことになっているのかな。
大豆は自然に割れるのにね。
冷蔵庫の片付け。
結構珍品・変異が出てくる。
茶豆が少量ずつ異様に多く残っているが使い道がないようで、一部かびの生えだしたものは捨てる。色豆のブームは去ったな。時々やればいい。色がついていると言うだけではなんの価値もない。うまくなければだめだ。
P連のときのお友達のくりちゃんがボランティアで被災地に行ってきたそうだ、買い物に来たKさんが教えてくれた。思っていたよりひどかったということだ。あしたかあさってちょっと寄ってみよう。また行くということなので豆腐を持って行ってもらおう。
連休は最終日が一番ヒマだという原則が本日も成り立つ。
帰ってくると空から見た鎌倉というのをやっていた。
鎌倉は斜面だらけの土地だけど津波は来にくいとはいいながらも土砂崩れが簡単に起きやすい土地なのかなと感じた。海・山・歴史の3拍子そろった高級住宅地だけど安全という面ではかなり危なっかしい土地のようにも思える。
また円が80円台にまでなる。
脱穀が完了してしまい手持ち無沙汰で弱るが、こまかいことをいうとやることはたくさんある。
ビン・ラディンのニュースは一番最初にラジオで聴いたのかな。
すぐパソコンでBBCのニュースを見るとビン・ラディンの普段の顔と並べて銃弾を顔面に受けて穴が開き顔がゆがんでいる写真が出ていたが、こんなの出して大丈夫かなと思っていたらこちらのテレビでは死体の顔はだれも見ていないと言うし新聞にも出ていないようだ。
事件直後は写真が流れたのかい。
政治的配慮が働いたのかな。
ピーナッツのかたい殻をわろうとしたが20粒もやると指が疲れてしまってダウン。
一部外殻のまま蒔こうと思う・・・たぶん大丈夫ではないのかな。
地中にあって虫や菌から身を守るためこういうことになっているのかな。
大豆は自然に割れるのにね。
冷蔵庫の片付け。
結構珍品・変異が出てくる。
茶豆が少量ずつ異様に多く残っているが使い道がないようで、一部かびの生えだしたものは捨てる。色豆のブームは去ったな。時々やればいい。色がついていると言うだけではなんの価値もない。うまくなければだめだ。
P連のときのお友達のくりちゃんがボランティアで被災地に行ってきたそうだ、買い物に来たKさんが教えてくれた。思っていたよりひどかったということだ。あしたかあさってちょっと寄ってみよう。また行くということなので豆腐を持って行ってもらおう。
連休は最終日が一番ヒマだという原則が本日も成り立つ。
帰ってくると空から見た鎌倉というのをやっていた。
鎌倉は斜面だらけの土地だけど津波は来にくいとはいいながらも土砂崩れが簡単に起きやすい土地なのかなと感じた。海・山・歴史の3拍子そろった高級住宅地だけど安全という面ではかなり危なっかしい土地のようにも思える。
また円が80円台にまでなる。
2011年5月4日水曜日
幹線道路は大渋滞。
横断するだけなので仕事に差し障りはほとんどない。
浦和のNさん来る。
ピーナッツを蒔いたそうである。
うちの場合は大豆の作業の合間に、はんぱな土地に蒔いておりいつも7月なのであまり実がつかない。遅すぎるのだろう。今週か来週に蒔いてみようと思う。ただしまだ外側のかたい殻はまだ割ってない。
遠くからなので申し訳ない、ありがとう。
冷蔵庫の奥におととしのごみまじりが入っていた。午後選別、かなりいいかげんに選別したがタネだけ取れればいいとの判断から。
久しぶりに本屋に行く。薄暗い。
アマゾン依存症のひとはいっときアマゾンから離れて本屋立ち読みをしてみたほうがいい。
本屋がどんどん減っていってるそうだ。
あまり本を買わなくなってしまっていたので久しぶりにいったら楽しくてしょうがない。
きのう書いた「終着駅」、モームの「アシェンデン」の新訳・・・これはモームがイギリスの諜報部員、つまりジェームズボンドみたいなことをやっていたことを題材に書いた物である・・、昔は新潮文庫で西川正巳か゛訳していたと思うのだが。それと「サミング・アップ」を買う、これも昔「要約すると」の題で新潮文庫になっていた。40年近くも前に呼んだものだがなつかしくてまた読んでみたくなる。
アシェンデンは非常におもしろくわくわくしたのを覚えている。
立ち読みというものには大きな意味がある。
ついで・間違って・・・、がおおきな楽しみを生む。
本は液晶画面ではダメだと思う。
全否定はしないけれど、便利帖という意味の用途でちょっと見調べや時間つぶしにはいいけど。
じっくりとことばをたどり飲み込み味わうのは紙の感触を介してではないだろうか。
そして書き込むのはキーボードばかりでなく現実の紙に書いていくべきだと思う。
たしかにキーボードは"速い"し、修正・加筆もすぐできる。
書き直しの手間・時間がちいさいのでタイムロスによる思考の緊張を維持したままどんどん次へ次へとすすめることができる。
だが待てよ・・・・。
曹操や孔明が戦いの最中にあっても竹簡に記録された古典を読み、竹簡に詩や考えを記述・記録していった姿を思うと、自分の手で文字を描き文章を構成していく営みを介してのゆっくり思考のほうがことば一語一語との関わりの深さが身にしみて感じられるのではないだろうか。
そんなこといいながら自分も紙に文章を書くことはあまりないが考えることと活字化が同時に行われる便利さには利点も多いが、ことばとの関わりの上で根本的な欠陥も生まれてくると思う。
両刀使いでたくさんの文章を書いているひとたちはどういう差異を感じているのだろうか。
浦和のNさん来る。
ピーナッツを蒔いたそうである。
うちの場合は大豆の作業の合間に、はんぱな土地に蒔いておりいつも7月なのであまり実がつかない。遅すぎるのだろう。今週か来週に蒔いてみようと思う。ただしまだ外側のかたい殻はまだ割ってない。
遠くからなので申し訳ない、ありがとう。
冷蔵庫の奥におととしのごみまじりが入っていた。午後選別、かなりいいかげんに選別したがタネだけ取れればいいとの判断から。
久しぶりに本屋に行く。薄暗い。
アマゾン依存症のひとはいっときアマゾンから離れて本屋立ち読みをしてみたほうがいい。
本屋がどんどん減っていってるそうだ。
あまり本を買わなくなってしまっていたので久しぶりにいったら楽しくてしょうがない。
きのう書いた「終着駅」、モームの「アシェンデン」の新訳・・・これはモームがイギリスの諜報部員、つまりジェームズボンドみたいなことをやっていたことを題材に書いた物である・・、昔は新潮文庫で西川正巳か゛訳していたと思うのだが。それと「サミング・アップ」を買う、これも昔「要約すると」の題で新潮文庫になっていた。40年近くも前に呼んだものだがなつかしくてまた読んでみたくなる。
アシェンデンは非常におもしろくわくわくしたのを覚えている。
立ち読みというものには大きな意味がある。
ついで・間違って・・・、がおおきな楽しみを生む。
本は液晶画面ではダメだと思う。
全否定はしないけれど、便利帖という意味の用途でちょっと見調べや時間つぶしにはいいけど。
じっくりとことばをたどり飲み込み味わうのは紙の感触を介してではないだろうか。
そして書き込むのはキーボードばかりでなく現実の紙に書いていくべきだと思う。
たしかにキーボードは"速い"し、修正・加筆もすぐできる。
書き直しの手間・時間がちいさいのでタイムロスによる思考の緊張を維持したままどんどん次へ次へとすすめることができる。
だが待てよ・・・・。
曹操や孔明が戦いの最中にあっても竹簡に記録された古典を読み、竹簡に詩や考えを記述・記録していった姿を思うと、自分の手で文字を描き文章を構成していく営みを介してのゆっくり思考のほうがことば一語一語との関わりの深さが身にしみて感じられるのではないだろうか。
そんなこといいながら自分も紙に文章を書くことはあまりないが考えることと活字化が同時に行われる便利さには利点も多いが、ことばとの関わりの上で根本的な欠陥も生まれてくると思う。
両刀使いでたくさんの文章を書いているひとたちはどういう差異を感じているのだろうか。
2011年5月3日火曜日
きょうは早く終わる。
お昼前に製造等終了。
横になっていたくもあるがそうもいかないか。
きょうも黄砂のようだ。
ついに脱穀100%完了。
ほぐしも完了。
ごみ入りのまま冷蔵庫保存のものを選択、とても全部は入らない。
去年秋の収量は1.1ヘクタール播種(うち3反は3度蒔き、結果はゼロ)で総ゴミ混じり収量1000キロ程度だと思う。
9月末までには選別終了予定。
800キロくらいにはなるだろうか。
今時点である選別ずみのものは30袋(一袋30キロ)弱ある(2009年以前)ので冷蔵庫にしまいきれなくなるので夏のひややっこのシーズンに放出予定。
「最後の旅」みおわる。新潮文庫で翻訳されている「終着駅 トルストイ最後の旅」という翻訳本が出ているがそれが原作なのかな?
究極の霞み食い仙人のトルストイと亭主・家族・家思いの奥さんソフィーとの確執と考えられるトルストイの"人生最後の家出"が題材となった映画だが、「終着駅」原作者の解釈がおおいに入った作品で真実はわからないと思う。ただしここのところ奥さんのソフィーに分があるような見解が多く出されてきているようでそれを映像化したものだろう。
夫婦の心理の微妙なすれ違いといった日本人監督なら得意とする領域の描写はなく、すっきりはっきりと「なにがなんなのさ」とわかってしまうところがアメリカ人の原作なのかなと思うところだが、やはりこの解釈がだとうなのかなとも思う。
本人トルストイがいない限り彼の最後の家出や晩年の奥さんへの思いといった心理等は永遠にやみの中なのだと思うが、この原作・映画の解釈通り「純粋培養霞み食い、取り巻き連中による御神輿まつりあげ」のトルストイに対しる「亭主、家庭、家」をきちんと守ろうとする」ソフィーのこころとのすれ違いなのかなと思う。
夫婦愛はお互いに強く感じていたと思うのだが・・・。
現代の「価値観の相違離婚」とは同列に語りたくない。
強い愛情は存している、はずだ。
まわりの取り巻きたちがトルストイ本人自体の幸せよりは「トルストイ主義」とよばれる社会主義運動を推進しようとトルストイ自体はおかざりでいいともいえるように描かれている。
なにはともあれロシア革命の数年前である、ドクトル・ジバゴに出てくる革命のインテリ戦士たちのはげみとなるようなトルストイだが、人間の本性・現実からは遊離した世界の中におり、それでもなおかつ彼の思考の自由さを地べたをはいつくばるようなレベルから支えていた奥はりっぱだと思う。
「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」の作者がただの「とびっきり霞み食い」とは考えにくくどうしても取り巻きにあおられていたというのが真実でもあるかのように思われる。
神にもう一歩といわれるこういった高邁な思想も、醒めてみれば浦和のNさんのいう「エンターテインメント」とさしたる相違はないのかもしれない。
栄光の有頂天はひとを不純にする、純粋のようにみえて実は不純な"純粋"に成り下がってしまう。
ただしこれは人間のさがなのでどんなに偉い人たちにも起こりうることでまあいいかなとも思うのだが、そんなくだらない"世間のよいしょ"など意に関せずもくもくと本業・天職に打ち込んでいるのが美しい。
9人の子供ができて最後の子供が生まれて一年後に奥さんがなくなりすぐに子供たち9人を捨てて、逃げてしまったアメリカのばか亭主のことをさっきテレビでやっていたがトルストイは13人の子供がいた。
子供の数だけで夫婦仲の善し悪しは決めつけられないけれども、本質的な意味での不仲というのはありえないと思う。どちらかが不倫をしたわけでもない、破産宣告を受けたわけでもない・・・。
世界(ヨーロッパ)3大悪妻・・・ソクラテスのおくさん、モーツァルトのコンスタンツェと並んで・・・のひとりと言われるが、ただ単に話をおもしろくするために、でっちあげというわけではないが、大きくしてしまったのではないかな。
男ったらしのマーラーの奥さんのアルマももうすぐ映画になるみたいだが、淫奔の限りをつくすといいながらマーラーに大きな精神的影響を与えるもので、悪妻がねたみや嫉妬まで含めて芸術促進に貢献したと考えるのもプラス思考の考えかもしれない。
横になっていたくもあるがそうもいかないか。
きょうも黄砂のようだ。
ついに脱穀100%完了。
ほぐしも完了。
ごみ入りのまま冷蔵庫保存のものを選択、とても全部は入らない。
去年秋の収量は1.1ヘクタール播種(うち3反は3度蒔き、結果はゼロ)で総ゴミ混じり収量1000キロ程度だと思う。
9月末までには選別終了予定。
800キロくらいにはなるだろうか。
今時点である選別ずみのものは30袋(一袋30キロ)弱ある(2009年以前)ので冷蔵庫にしまいきれなくなるので夏のひややっこのシーズンに放出予定。
「最後の旅」みおわる。新潮文庫で翻訳されている「終着駅 トルストイ最後の旅」という翻訳本が出ているがそれが原作なのかな?
究極の霞み食い仙人のトルストイと亭主・家族・家思いの奥さんソフィーとの確執と考えられるトルストイの"人生最後の家出"が題材となった映画だが、「終着駅」原作者の解釈がおおいに入った作品で真実はわからないと思う。ただしここのところ奥さんのソフィーに分があるような見解が多く出されてきているようでそれを映像化したものだろう。
夫婦の心理の微妙なすれ違いといった日本人監督なら得意とする領域の描写はなく、すっきりはっきりと「なにがなんなのさ」とわかってしまうところがアメリカ人の原作なのかなと思うところだが、やはりこの解釈がだとうなのかなとも思う。
本人トルストイがいない限り彼の最後の家出や晩年の奥さんへの思いといった心理等は永遠にやみの中なのだと思うが、この原作・映画の解釈通り「純粋培養霞み食い、取り巻き連中による御神輿まつりあげ」のトルストイに対しる「亭主、家庭、家」をきちんと守ろうとする」ソフィーのこころとのすれ違いなのかなと思う。
夫婦愛はお互いに強く感じていたと思うのだが・・・。
現代の「価値観の相違離婚」とは同列に語りたくない。
強い愛情は存している、はずだ。
まわりの取り巻きたちがトルストイ本人自体の幸せよりは「トルストイ主義」とよばれる社会主義運動を推進しようとトルストイ自体はおかざりでいいともいえるように描かれている。
なにはともあれロシア革命の数年前である、ドクトル・ジバゴに出てくる革命のインテリ戦士たちのはげみとなるようなトルストイだが、人間の本性・現実からは遊離した世界の中におり、それでもなおかつ彼の思考の自由さを地べたをはいつくばるようなレベルから支えていた奥はりっぱだと思う。
「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」の作者がただの「とびっきり霞み食い」とは考えにくくどうしても取り巻きにあおられていたというのが真実でもあるかのように思われる。
神にもう一歩といわれるこういった高邁な思想も、醒めてみれば浦和のNさんのいう「エンターテインメント」とさしたる相違はないのかもしれない。
栄光の有頂天はひとを不純にする、純粋のようにみえて実は不純な"純粋"に成り下がってしまう。
ただしこれは人間のさがなのでどんなに偉い人たちにも起こりうることでまあいいかなとも思うのだが、そんなくだらない"世間のよいしょ"など意に関せずもくもくと本業・天職に打ち込んでいるのが美しい。
9人の子供ができて最後の子供が生まれて一年後に奥さんがなくなりすぐに子供たち9人を捨てて、逃げてしまったアメリカのばか亭主のことをさっきテレビでやっていたがトルストイは13人の子供がいた。
子供の数だけで夫婦仲の善し悪しは決めつけられないけれども、本質的な意味での不仲というのはありえないと思う。どちらかが不倫をしたわけでもない、破産宣告を受けたわけでもない・・・。
世界(ヨーロッパ)3大悪妻・・・ソクラテスのおくさん、モーツァルトのコンスタンツェと並んで・・・のひとりと言われるが、ただ単に話をおもしろくするために、でっちあげというわけではないが、大きくしてしまったのではないかな。
男ったらしのマーラーの奥さんのアルマももうすぐ映画になるみたいだが、淫奔の限りをつくすといいながらマーラーに大きな精神的影響を与えるもので、悪妻がねたみや嫉妬まで含めて芸術促進に貢献したと考えるのもプラス思考の考えかもしれない。
2011年5月2日月曜日
黄色っぽい空
所沢市富岡地区の土埃ではなく中国からやってきた黄砂とのこと。
あしたの朝車の窓ガラスはほこりだらけだろう。
イギリスでは結婚式の話題の陰に隠れてしまい外国からみると"選挙制度改革の国民投票(レファレンダム)"については関心がちいさくなってしまっているようにみえる。
一票の重みを公平に政治に反映するためのシステムはさまざまなやり方が考えられているが完璧なものは無理だと思う。
多数決をとりながらも少数意見を活かす方法の模索・試行錯誤が現代の選挙制度探求の歴史だと思うが、思うに今イギリスで提案されている方法は結構面倒なわりには煩雑な感じがする。
現行維持になるんではないかと思うのだが、この投票の原因となった"連立回避"はどこの国でも似たような考えを持っていると思うが、新しい制度でも連立にならざるをえない状況は回避できるのだろうか。
1,2,3と順位をつけて投票などというのも電子投票導入の必要性を感じさせるような面倒くささを予感させるが、やり方によっては電子投票はかなり精密・公平(何が公平かということもむつかしいことだが)な投票・民意の反映(計測)でき、楽に集計できる方法にとなるのかなと思う。
ただオンライン選挙は不正の横行も今の技術では予想され実現するにはまだまだ先のような気もするのだが。
お金の世界ではオンラインで決済が一般化しつつあるといっても現実問題としてきのうのソニーの問題のようにハッカーにやられたというような事例があとからあとから出てくるので、"神聖な"選挙の投票をオンラインにするかどうかみんなが納得するには時間がかかると思う。
制度の問題はやってみなければわからない、とうことで永遠にひとつの答えは出ないのかなと思う。一時的によくてもいずれ欠点が・・・ということの繰り返しだろう。
それ以上におおきな問題は「政治家の資質」と「政党の資質」だと思う。
なるべきでないひとがなり、なりたくてもあるいはなりたくなくても能力のある人が野にあるままということが国の行く末に与える影響を考えると心がいたむ。
2代目、3代目・・・の議員は志はきれいで純粋培養された「天下国家意識」があるかもしれないがいかんせんおおむね頭が悪い。
成り上がり者は頭はいいが「天下国家」は宣伝道具で我が身の上昇志向と家族の繁栄意識しかない。
何が悪いんだろう・・・?
ビン・ラディンが殺害されたというニュースが入る。
あしたの朝車の窓ガラスはほこりだらけだろう。
イギリスでは結婚式の話題の陰に隠れてしまい外国からみると"選挙制度改革の国民投票(レファレンダム)"については関心がちいさくなってしまっているようにみえる。
一票の重みを公平に政治に反映するためのシステムはさまざまなやり方が考えられているが完璧なものは無理だと思う。
多数決をとりながらも少数意見を活かす方法の模索・試行錯誤が現代の選挙制度探求の歴史だと思うが、思うに今イギリスで提案されている方法は結構面倒なわりには煩雑な感じがする。
現行維持になるんではないかと思うのだが、この投票の原因となった"連立回避"はどこの国でも似たような考えを持っていると思うが、新しい制度でも連立にならざるをえない状況は回避できるのだろうか。
1,2,3と順位をつけて投票などというのも電子投票導入の必要性を感じさせるような面倒くささを予感させるが、やり方によっては電子投票はかなり精密・公平(何が公平かということもむつかしいことだが)な投票・民意の反映(計測)でき、楽に集計できる方法にとなるのかなと思う。
ただオンライン選挙は不正の横行も今の技術では予想され実現するにはまだまだ先のような気もするのだが。
お金の世界ではオンラインで決済が一般化しつつあるといっても現実問題としてきのうのソニーの問題のようにハッカーにやられたというような事例があとからあとから出てくるので、"神聖な"選挙の投票をオンラインにするかどうかみんなが納得するには時間がかかると思う。
制度の問題はやってみなければわからない、とうことで永遠にひとつの答えは出ないのかなと思う。一時的によくてもいずれ欠点が・・・ということの繰り返しだろう。
それ以上におおきな問題は「政治家の資質」と「政党の資質」だと思う。
なるべきでないひとがなり、なりたくてもあるいはなりたくなくても能力のある人が野にあるままということが国の行く末に与える影響を考えると心がいたむ。
2代目、3代目・・・の議員は志はきれいで純粋培養された「天下国家意識」があるかもしれないがいかんせんおおむね頭が悪い。
成り上がり者は頭はいいが「天下国家」は宣伝道具で我が身の上昇志向と家族の繁栄意識しかない。
何が悪いんだろう・・・?
ビン・ラディンが殺害されたというニュースが入る。
2011年5月1日日曜日
風が強くて
気温は高いのに寒い感じ。
やや体調不良というか疲れている。
飲んだほうがいいのかもしれない。
キャノンのインクカートリッジ回収をネットで申し込む、こんなことまでしてくれるんだね。もっともそもそもの値段が高いので回収コストはたぶん最初に払っていることになってるんだろう。
タモリの番組で上野のことをやっていたが、今古地図がはやっているのかしら。
不忍池のところまで海だったと言うから東京の山手線の東側はかなりのところまで海だったのかしらね。
ただ地震の「なんとかトラフ」とか「なんとかプレート」というのを見ていると東京湾沖だけ空白になっていて津波は起きにくいと理解してしまうのだが、それでいいのかしら。
実際関東大震災は津波は起きなかったんだよね。直下型というやつかな? 神戸でも津波は起きなかったと思うんだけど・・・、液状化という言葉はあのとき初めて習った。
津波が起きる・起きないの分かれ目がわからないがあとで調べてみよう。
父が祖父から聞いた話では関東大震災はそんなにゆれなかった(といっても何と比較して・・・というところがないんだけど)ということでここの集落で倒壊した家屋は無かったそうだ。ただ油揚げを揚げている時で油が踊っていたということはおばあちゃんが言っていた記憶がある。
浦和のNさんは三重県の出身でチリ津波のときのことを話してくれましたが、ものすごい津波で津波が"引く"時に多くのひとや物が連れて行かれてしまったことを語ってくれました。
東京湾沖を境目にしてその東と西はやはり大きな津波の危険性をはらんだ地域だというようだ。
静岡の海岸沿いにも原発があってこの夏から稼働云々という記事が新聞に載っていたが万全の対策を打っておかないと困るんだと思うけどね。
脱穀ほぼ完了。
あとは細かいものと早くやり過ぎたものの"ほぐし"をやるだけ。
ごみがはいったまま多くは冷蔵庫へしまう予定、スペースが限られているので古いもので量の多いものを加工しようと思う。
いよいよ種まきの準備態勢に入る。
品種の選定に結構悩む。
耐熱品種ということで去年大豊作のものを中心に蒔く予定。
あーあ、それにしても疲れたよ。ただし達成感があるのできのうほどの疲労感はない。
人間の気分ておもしろいものだな。
「わたしが子供だったころ/上條さなえ」をみる。
良くできていた。
平将門をやったひとがお父さん役。
やさしいお父さんだったんだね。
親夫婦は壊れていても父の子に対する愛は強く・・・強いんだけど"こんなことしかできない"という男としての無力感に苦しんで亡くなっていったお父様だったのかな。
でも亡くなったあとでもお互いに強く思い合っているのがこちらにもわかり、とても幸せな親子であったのだと思う。
そしてそこここにいる"まちのひとびと"のあたたかい気持ちに支えられているという感謝の念から生まれた「弱い立場のひとたちを初めふつうの人たちに対する先生のやさしさの原点」がここにあったのだなと思う。環境が彼女を作ったと言うより、もともと持っている遺伝子が環境によって洗練されたのだと思う。幸せな親子であった。
ずーっと泣いてみていたが、自分もかなり屈折してはいるのだがまだまだ甘ちゃんかなと感じる。先生の前では嘘はつけない。
ドラマ組み込みのドキュメンタリーでとても良くできていたが、できれば完全ドラマ化してもらいたいね。もっとも早くしないと主役のさなえちゃんは成長期なのでどんどん大人になっちゃうな。
良かった良かった。
やや体調不良というか疲れている。
飲んだほうがいいのかもしれない。
キャノンのインクカートリッジ回収をネットで申し込む、こんなことまでしてくれるんだね。もっともそもそもの値段が高いので回収コストはたぶん最初に払っていることになってるんだろう。
タモリの番組で上野のことをやっていたが、今古地図がはやっているのかしら。
不忍池のところまで海だったと言うから東京の山手線の東側はかなりのところまで海だったのかしらね。
ただ地震の「なんとかトラフ」とか「なんとかプレート」というのを見ていると東京湾沖だけ空白になっていて津波は起きにくいと理解してしまうのだが、それでいいのかしら。
実際関東大震災は津波は起きなかったんだよね。直下型というやつかな? 神戸でも津波は起きなかったと思うんだけど・・・、液状化という言葉はあのとき初めて習った。
津波が起きる・起きないの分かれ目がわからないがあとで調べてみよう。
父が祖父から聞いた話では関東大震災はそんなにゆれなかった(といっても何と比較して・・・というところがないんだけど)ということでここの集落で倒壊した家屋は無かったそうだ。ただ油揚げを揚げている時で油が踊っていたということはおばあちゃんが言っていた記憶がある。
浦和のNさんは三重県の出身でチリ津波のときのことを話してくれましたが、ものすごい津波で津波が"引く"時に多くのひとや物が連れて行かれてしまったことを語ってくれました。
東京湾沖を境目にしてその東と西はやはり大きな津波の危険性をはらんだ地域だというようだ。
静岡の海岸沿いにも原発があってこの夏から稼働云々という記事が新聞に載っていたが万全の対策を打っておかないと困るんだと思うけどね。
脱穀ほぼ完了。
あとは細かいものと早くやり過ぎたものの"ほぐし"をやるだけ。
ごみがはいったまま多くは冷蔵庫へしまう予定、スペースが限られているので古いもので量の多いものを加工しようと思う。
いよいよ種まきの準備態勢に入る。
品種の選定に結構悩む。
耐熱品種ということで去年大豊作のものを中心に蒔く予定。
あーあ、それにしても疲れたよ。ただし達成感があるのできのうほどの疲労感はない。
人間の気分ておもしろいものだな。
「わたしが子供だったころ/上條さなえ」をみる。
良くできていた。
平将門をやったひとがお父さん役。
やさしいお父さんだったんだね。
親夫婦は壊れていても父の子に対する愛は強く・・・強いんだけど"こんなことしかできない"という男としての無力感に苦しんで亡くなっていったお父様だったのかな。
でも亡くなったあとでもお互いに強く思い合っているのがこちらにもわかり、とても幸せな親子であったのだと思う。
そしてそこここにいる"まちのひとびと"のあたたかい気持ちに支えられているという感謝の念から生まれた「弱い立場のひとたちを初めふつうの人たちに対する先生のやさしさの原点」がここにあったのだなと思う。環境が彼女を作ったと言うより、もともと持っている遺伝子が環境によって洗練されたのだと思う。幸せな親子であった。
ずーっと泣いてみていたが、自分もかなり屈折してはいるのだがまだまだ甘ちゃんかなと感じる。先生の前では嘘はつけない。
ドラマ組み込みのドキュメンタリーでとても良くできていたが、できれば完全ドラマ化してもらいたいね。もっとも早くしないと主役のさなえちゃんは成長期なのでどんどん大人になっちゃうな。
良かった良かった。
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