雨だというので昼過ぎごろりとしていてふと外をみるとかわらがかわいている・・・ということで2時間補填蒔き。
これで補填も終了とする、けじめ。
あしたからは耕耘機の出番専門となる。
世界水泳残念だったね。
入江と北島がトップだったけど最後のクロールのアメリカはだんとつだった。あっというまに追い抜かれる。それにしても日本は選手年齢が高い。
若い人がそだたないとね。
とても涼しくてしのぎやすいことこの上ないのだがちょいと下がりすぎではないだろうか。
今回のこの前線は韓国ばかりでなく新潟や福島内陸部におおきなダメージを与えた。
20年くらい前だろうか、つゆがあけない夏があったが、米がとれず外米ブレンド云々などといって日本の食卓が大騒ぎの年があった。
今年は冷夏の可能性もあるのだろうか。
ひでりと冷夏だとひでりのほうがましだと思うのだけれど・・・。
アメリカも高温続きだそうだ。
42℃なんてのもあるとか。
過去最高の高温の夏は1936年の大恐慌時とか。
天変地異と経済の異変はダブルことがおおいと言われているが・・・。
原発事故の影響でかけこみ契約栽培 in 九州が大繁盛とか。
フクユタカが高騰するようである。
大豆への影響は今年の収穫を待たないとわからないだろうが宮城・岩手・福島・関東東部は気がかりである。
福島県産は"蒔かない"のではないかと思う。
国全体の総量も減るだろう。
いずれにしても年末・来年初頭にはわかるだろう。
緊急に混乱しているのはやはり牛さんのようだ。
大変なことになっもんだ。
ページビューの合計
2011年7月31日日曜日
2011年7月30日土曜日
梅雨に逆戻り天気。
蒸し暑くてまいったわ。
すいかが食べたい。
昨今はメロンの進出ですいかが肩身の狭いおもいをしているようだが真夏はやっぱりすいかのほうが似合う。
ことしはたかいそうだ。
といってもあの大きさで3000円だとしても高いとは思わないけど・・・。
メロンの3,4倍はあるかな。
畑にすいかが4つなっている。
2つは直径20センチくらいだろうか、まん丸タイプのはずだが。
メロンは2つ、ただし花がいくつも咲いているのでたくさん?
こういう果実って間引きしなければならないと思うんだけれどついついたくさん取りたくて・・・。
谷中ショウガは水分をきちんとやらなかっだせいか腐ってしまったものが多い。
葉の出ているものも黄色っぽくて心配。
レモン3個順調に。
りんごとなしも今のところくっついてはいるがやがて鳥たちがつつき出すと落ちてしまうことがわかっているのでよーく観察して早めに小さくとも収穫してしまったほうがいいようだ。
5枚目のうち6畝ほとんど発芽せず。もっと遅く蒔いたところがほとんど発芽。
というわけで半分をもういちど蒔き、残りは別品種にした。
境界のお茶の木の中に生えているセイタカアワダチソウを引っこ抜いているとき毛虫にやられたようだ。
両手首がかゆく、掻くと広がっていくのがわかる。
がまんする。
町内会とお店全体のビール会。両方パス。
体調と気分が悪いのでパス。手もかゆいし。
調べ物があって「マルコの福音書」。
ちいさなタネをいばらの中に蒔いても実は採れず、またちゃんと収穫できれば30倍、50倍、100倍とれるだろう・・・、だったかな例えを使ったイエスのさとしをかたるところだがちょうど大豆栽培にあてはまる倍率をぴったし言っているのでびっくりした。
一つのタネから生まれたひと株にふつうは30-50さや付く、ひとさやにはほとんどの品種で2粒入っている。虫食いや未熟粒を除けば無農薬なら30-50倍程度になる。
とんでもない数のさや・・・だいたい100-120、150位は付く・・・・だと100倍程度の収量となる。
中近東なので麦とかいんげん豆を例にした話なのだろうか。
イエスのメッセージよりもタネ/収量の倍率に興味が行ってしまい何を調べていたんだっけということになってしまった。
「日本語に主語はいらない」を読み始める。
こちらのほうがより文法的なリサーチに入るのでゆっくり読む必要がある。
アマゾンで「亡びない」とこの書のコメントを読むが賛否両論激しくておもしろい。
日本語なんかやめたほうがいい、なんて思っている"若者"が存在することにびっくりすると同時に幻滅を感じる。
このひとどういう人生をおくってきたんだろう。
言語の優劣は機能面、論理展開適性等の論点からすればあきらかに優劣は存在するのであろうと思うのだが、欠陥は逆に他の部分を引き延ばすことも考えると総合的にはみんなそれぞれに、その使用者たちにとっては大切な意味をもっているはずである。
そもそも"論理"ということばも、西欧の言語使用、西欧の価値基準をよりどころにしたものごとのすすめかたを言っているので"よそ"の社会・文化にすべて適用できるものではないはずである。
普遍的な論理の構築なんてものが異文化間のおおきな・おおくの妥協なしで成り立つわけがない。
そこに働く原理が"中庸"であろう。
"人間の関係"という世界で成立する真実・真理というものはおおむね極端と極端を廃した中よりにあるものだと思うが・・・。
多数決は便宜であって真理・真実・正義とイコールではない。
自国・自民族言語を捨てることほど屈辱的なことはない。
すいかが食べたい。
昨今はメロンの進出ですいかが肩身の狭いおもいをしているようだが真夏はやっぱりすいかのほうが似合う。
ことしはたかいそうだ。
といってもあの大きさで3000円だとしても高いとは思わないけど・・・。
メロンの3,4倍はあるかな。
畑にすいかが4つなっている。
2つは直径20センチくらいだろうか、まん丸タイプのはずだが。
メロンは2つ、ただし花がいくつも咲いているのでたくさん?
こういう果実って間引きしなければならないと思うんだけれどついついたくさん取りたくて・・・。
谷中ショウガは水分をきちんとやらなかっだせいか腐ってしまったものが多い。
葉の出ているものも黄色っぽくて心配。
レモン3個順調に。
りんごとなしも今のところくっついてはいるがやがて鳥たちがつつき出すと落ちてしまうことがわかっているのでよーく観察して早めに小さくとも収穫してしまったほうがいいようだ。
5枚目のうち6畝ほとんど発芽せず。もっと遅く蒔いたところがほとんど発芽。
というわけで半分をもういちど蒔き、残りは別品種にした。
境界のお茶の木の中に生えているセイタカアワダチソウを引っこ抜いているとき毛虫にやられたようだ。
両手首がかゆく、掻くと広がっていくのがわかる。
がまんする。
町内会とお店全体のビール会。両方パス。
体調と気分が悪いのでパス。手もかゆいし。
調べ物があって「マルコの福音書」。
ちいさなタネをいばらの中に蒔いても実は採れず、またちゃんと収穫できれば30倍、50倍、100倍とれるだろう・・・、だったかな例えを使ったイエスのさとしをかたるところだがちょうど大豆栽培にあてはまる倍率をぴったし言っているのでびっくりした。
一つのタネから生まれたひと株にふつうは30-50さや付く、ひとさやにはほとんどの品種で2粒入っている。虫食いや未熟粒を除けば無農薬なら30-50倍程度になる。
とんでもない数のさや・・・だいたい100-120、150位は付く・・・・だと100倍程度の収量となる。
中近東なので麦とかいんげん豆を例にした話なのだろうか。
イエスのメッセージよりもタネ/収量の倍率に興味が行ってしまい何を調べていたんだっけということになってしまった。
「日本語に主語はいらない」を読み始める。
こちらのほうがより文法的なリサーチに入るのでゆっくり読む必要がある。
アマゾンで「亡びない」とこの書のコメントを読むが賛否両論激しくておもしろい。
日本語なんかやめたほうがいい、なんて思っている"若者"が存在することにびっくりすると同時に幻滅を感じる。
このひとどういう人生をおくってきたんだろう。
言語の優劣は機能面、論理展開適性等の論点からすればあきらかに優劣は存在するのであろうと思うのだが、欠陥は逆に他の部分を引き延ばすことも考えると総合的にはみんなそれぞれに、その使用者たちにとっては大切な意味をもっているはずである。
そもそも"論理"ということばも、西欧の言語使用、西欧の価値基準をよりどころにしたものごとのすすめかたを言っているので"よそ"の社会・文化にすべて適用できるものではないはずである。
普遍的な論理の構築なんてものが異文化間のおおきな・おおくの妥協なしで成り立つわけがない。
そこに働く原理が"中庸"であろう。
"人間の関係"という世界で成立する真実・真理というものはおおむね極端と極端を廃した中よりにあるものだと思うが・・・。
多数決は便宜であって真理・真実・正義とイコールではない。
自国・自民族言語を捨てることほど屈辱的なことはない。
2011年7月29日金曜日
ここ何日か気温は低いが
むしむししていて不快このうえない。
きょうは畑は休んでSさんとこへ弔問。
Sさんは神官の子。
神道の作法で緊張するが、導きあり。
玉串料、線香無し、二礼二無音拍手、榊・・・と初めてだった。
遺影はほがらかなやさしい人柄を良く出していた、88歳。
無くなったひともおくったひとも幸せな6年間の介護生活だったと思う。
元気なときから多くを学んだご夫婦だ。
「日本語は亡びない」読了。
前半をもう一回読み直し。
後半の"2人のみゆき"は違和感を感じたが前著作を合わせた金屋さんの思いを考えると載せたかった気持ちはわかる。
ただしこの本での載せ型は調和がとれていないような気もするが。
「日本語に主語はいらない」をあしたから読む予定。
きのうの夜11時代はものすごい雷で目が覚めてしまった。「ぴしゃっ」という音の落雷とともに停電、10分。すぐ復帰。雷対策は良くできているんだなと感心。
きょうはムシムシだが静かに降っている。
眠りは浅いかな?
さすれば夢も数回はみられそう。
早く寝てしまおう。
きょうは畑は休んでSさんとこへ弔問。
Sさんは神官の子。
神道の作法で緊張するが、導きあり。
玉串料、線香無し、二礼二無音拍手、榊・・・と初めてだった。
遺影はほがらかなやさしい人柄を良く出していた、88歳。
無くなったひともおくったひとも幸せな6年間の介護生活だったと思う。
元気なときから多くを学んだご夫婦だ。
「日本語は亡びない」読了。
前半をもう一回読み直し。
後半の"2人のみゆき"は違和感を感じたが前著作を合わせた金屋さんの思いを考えると載せたかった気持ちはわかる。
ただしこの本での載せ型は調和がとれていないような気もするが。
「日本語に主語はいらない」をあしたから読む予定。
きのうの夜11時代はものすごい雷で目が覚めてしまった。「ぴしゃっ」という音の落雷とともに停電、10分。すぐ復帰。雷対策は良くできているんだなと感心。
きょうはムシムシだが静かに降っている。
眠りは浅いかな?
さすれば夢も数回はみられそう。
早く寝てしまおう。
2011年7月28日木曜日
韓国の洪水
がすごい。
氾濫している川の岸にセブンイレブンがあった。
日本と同じパターンの出店ラッシュをしているのだろうか。
こちとらの昨日今日の蒸し暑さも同じ前線の影響だろうか。
「日本語は亡びない」はあと1/3くらいだろうか。
真ん中へんの音韻論前後ででむつかしくなってしまったがあとでもう一度読もう。
薄い本だが内容はすごい。
こういった関係の本は読んだこともなかったので余計新鮮だ。
武澤先生の新しいほうからの2冊もちくま新書。
筑摩はきまじめな書店だけどすごいなあと感じる。
岩波は商業主義に走りすぎたところがあり敬遠しているが、大きくなってしまうといい意味の博打を打たなくなってしまうのかな?
筑摩を応援しよう。
筑摩は大手だけど、商売はへただが"特定"を守りつづけているちいさい出版社はつぶしてはいけないと思う。
3枚目の補填蒔き。
最初に芽を出したものとの時間差があとで問題を起こすこともあるが何もしないよりはいいだろう。
ここの畑は茎切り虫が多い。
十数センチぐらいになった株を根本の辺から咬んでしまい茎を折れ曲がった状態にしてしまう。皮ひとつかどうかわからないがぎりぎり生きてはいるのだがやがては育ちきれなくて枯れてしまう。
3,4年前大発生して閉口したことがある。
夕方からぽつぽつとしてきた
。
今夜も蒸し暑い夜だろう。
きのうは「日本語はほろびない」が夢に出てきてNさんに質問していたりしたが、あまりに印象的だったのでいまだに覚えている。細かいことは何もわからないが。たぶん数分の事だと思うのだが。
きょうはどんな夢を見るのかな。
夢を見やすい条件とは要するに"寝苦しい、眠りが浅い"ということなんだけど。
氾濫している川の岸にセブンイレブンがあった。
日本と同じパターンの出店ラッシュをしているのだろうか。
こちとらの昨日今日の蒸し暑さも同じ前線の影響だろうか。
「日本語は亡びない」はあと1/3くらいだろうか。
真ん中へんの音韻論前後ででむつかしくなってしまったがあとでもう一度読もう。
薄い本だが内容はすごい。
こういった関係の本は読んだこともなかったので余計新鮮だ。
武澤先生の新しいほうからの2冊もちくま新書。
筑摩はきまじめな書店だけどすごいなあと感じる。
岩波は商業主義に走りすぎたところがあり敬遠しているが、大きくなってしまうといい意味の博打を打たなくなってしまうのかな?
筑摩を応援しよう。
筑摩は大手だけど、商売はへただが"特定"を守りつづけているちいさい出版社はつぶしてはいけないと思う。
3枚目の補填蒔き。
最初に芽を出したものとの時間差があとで問題を起こすこともあるが何もしないよりはいいだろう。
ここの畑は茎切り虫が多い。
十数センチぐらいになった株を根本の辺から咬んでしまい茎を折れ曲がった状態にしてしまう。皮ひとつかどうかわからないがぎりぎり生きてはいるのだがやがては育ちきれなくて枯れてしまう。
3,4年前大発生して閉口したことがある。
夕方からぽつぽつとしてきた
。
今夜も蒸し暑い夜だろう。
きのうは「日本語はほろびない」が夢に出てきてNさんに質問していたりしたが、あまりに印象的だったのでいまだに覚えている。細かいことは何もわからないが。たぶん数分の事だと思うのだが。
きょうはどんな夢を見るのかな。
夢を見やすい条件とは要するに"寝苦しい、眠りが浅い"ということなんだけど。
2011年7月27日水曜日
台風のあと
そんなに暑くなくなったような気がする。
長期予報があたったわけだ、・・・今のところ。
お昼前、行きつけだった歯医者さんの前に救急車が止まっていた。
おお先生は若くしてなくなりそのあとお嬢さんがあとをついだのだが・・・いやな予感がする。
テレビで江ノ電に乗った取材。
昔のまんまの車両が今も走っているようだ。
駅の風情もいい。
数回しか乗ったことはない。
車両でいちばんいいのはなんといってもぼろ市を見に行ったときに乗った世田谷線(?)で動く豪華家具といってもよかった。もう走ってないのかな。
思えば子供のころ西武園に向かう電車は一両編成で金属製ではあったが床は木製で例の"あぶら"が塗ってあり独特な(決して不快というわけではなかった)においを発していてそのときの風景はこころの中に残っている。
・・・久しぶりにお昼に書く。
種まきいちおう100%完了。
相手もなしにビールで乾杯。
あとは補填蒔き。
秋津神社のおまつり。
お店では眠たかった。
気が抜けた感じだ。
客も少なかった。
気温は低いが相当蒸している。
風もほとんどないようだ。
昨日は足がつらなかったがきょうはどうだろうか。
レコード危機ながら寝よう。
長期予報があたったわけだ、・・・今のところ。
お昼前、行きつけだった歯医者さんの前に救急車が止まっていた。
おお先生は若くしてなくなりそのあとお嬢さんがあとをついだのだが・・・いやな予感がする。
テレビで江ノ電に乗った取材。
昔のまんまの車両が今も走っているようだ。
駅の風情もいい。
数回しか乗ったことはない。
車両でいちばんいいのはなんといってもぼろ市を見に行ったときに乗った世田谷線(?)で動く豪華家具といってもよかった。もう走ってないのかな。
思えば子供のころ西武園に向かう電車は一両編成で金属製ではあったが床は木製で例の"あぶら"が塗ってあり独特な(決して不快というわけではなかった)においを発していてそのときの風景はこころの中に残っている。
・・・久しぶりにお昼に書く。
種まきいちおう100%完了。
相手もなしにビールで乾杯。
あとは補填蒔き。
秋津神社のおまつり。
お店では眠たかった。
気が抜けた感じだ。
客も少なかった。
気温は低いが相当蒸している。
風もほとんどないようだ。
昨日は足がつらなかったがきょうはどうだろうか。
レコード危機ながら寝よう。
2011年7月26日火曜日
あとすこし。
残すところ5,6畝程度だろうか。
もうすぐ終わる。
あしたはピール持参で畑にいこう。
月末まで補填蒔きをやって8月からは中耕だ。
「日本語は亡びない」は視点がユニークで国文学者からはとてもでてきそうもない見方をしているのでおもしろさこの上ない。
英語の歴史もずいぶん前に読んだ本があるのだが中身についてはほとんど忘れている。
ラテン系もゲルマン系もそろって語尾変化がたっぷりとあったのがどうしてイギリスに入って省略化に向かったのだろうか。
また読んでみよう。
北から入ってきた英語などはもとをずーっとたどれば印欧語のルーツ「サンスクリット」なので極端なことを言えばアジアともつながっているわけだ。
感じが入ってくる前の原日本語のルールがたぶん今まで続いているはずで、6,7世紀に感じが入ってきて同化しようとしたルールが今のカタカナ語の氾濫にも共通に働いているのではないのかな。
まだ先が長いけどおもしろい本に出会ったものだ。
足の疲労がややきつい。
きょうは両足とも夜中につりそうな気がする。
もうすぐ終わる。
あしたはピール持参で畑にいこう。
月末まで補填蒔きをやって8月からは中耕だ。
「日本語は亡びない」は視点がユニークで国文学者からはとてもでてきそうもない見方をしているのでおもしろさこの上ない。
英語の歴史もずいぶん前に読んだ本があるのだが中身についてはほとんど忘れている。
ラテン系もゲルマン系もそろって語尾変化がたっぷりとあったのがどうしてイギリスに入って省略化に向かったのだろうか。
また読んでみよう。
北から入ってきた英語などはもとをずーっとたどれば印欧語のルーツ「サンスクリット」なので極端なことを言えばアジアともつながっているわけだ。
感じが入ってくる前の原日本語のルールがたぶん今まで続いているはずで、6,7世紀に感じが入ってきて同化しようとしたルールが今のカタカナ語の氾濫にも共通に働いているのではないのかな。
まだ先が長いけどおもしろい本に出会ったものだ。
足の疲労がややきつい。
きょうは両足とも夜中につりそうな気がする。
2011年7月25日月曜日
夜がすずしいせいか
昼間の暑さにギブアップとは簡単にならないようだ。
そんなに暑く感じない。
Nさんのきのうのブログに猫じゃらしが載っていた。
偶然かな?
やはり飲んだ次の日は調子悪いけどその次の日は快調のようだ。
きょうの畑は軽快だった。
実際去年よりは涼しいのではないのかな。
「日本語は亡びない」の日本語に内在している"免疫機能"について読む。
ここはおもしろかった。
表面的な単語一つ一つのクレームを考えていくと「うむ、なるほど、そんなに日本語はゆがんでいるのか」ということになるのだが、こひの章の日本語が持つ「衝撃クッション」、外来語日本語化プロセッサー・・・等の機能を考えると日本語は強い言語だなと感じると同時に、言語自体は外からの言語による圧力によってもそう簡単に背骨となる部分が壊れるものではないと考えた。
国指定の国宝は天変地異で消失することはおおいにあり得る。
ことばはそうやすやすと消え去るものではない。
民族の最大の宝は言語だと思う。
延々と受け継がれていく。
細かい末端の変化は当然伴いながら。
中国の新幹線事故、先頭車両はこなごなにされて穴埋めに。
ノルウェーのテロ。
暗い事件が続く。
円も78円割るだろう。
80歳過ぎても首都高を100キロ出して学習院に通って弓道部を指導していたSさんが亡くなった。
そう長いおつきあいではなかったが楽しい思い出もあり、今週ご挨拶に行ってこようと思う。
藤田嗣治に直にいただいたという猫のデッサンがかざってありおじゃまするといつも「いいなあ」と眺めていたっけ。
3人で受けたお茶のお稽古もいま考えると滑稽ではあったがこれからも忘れることのない良き人生の一場面であろう。
先輩たちがみんないなくなっちゃうよ。
こんなに多くのモノを先輩たちからいただきながら、自分より若い人たちに残してあげるものは何もないような気がする。
なにか自分のことしか考えてこなかったような気がする。
そんなに暑く感じない。
Nさんのきのうのブログに猫じゃらしが載っていた。
偶然かな?
やはり飲んだ次の日は調子悪いけどその次の日は快調のようだ。
きょうの畑は軽快だった。
実際去年よりは涼しいのではないのかな。
「日本語は亡びない」の日本語に内在している"免疫機能"について読む。
ここはおもしろかった。
表面的な単語一つ一つのクレームを考えていくと「うむ、なるほど、そんなに日本語はゆがんでいるのか」ということになるのだが、こひの章の日本語が持つ「衝撃クッション」、外来語日本語化プロセッサー・・・等の機能を考えると日本語は強い言語だなと感じると同時に、言語自体は外からの言語による圧力によってもそう簡単に背骨となる部分が壊れるものではないと考えた。
国指定の国宝は天変地異で消失することはおおいにあり得る。
ことばはそうやすやすと消え去るものではない。
民族の最大の宝は言語だと思う。
延々と受け継がれていく。
細かい末端の変化は当然伴いながら。
中国の新幹線事故、先頭車両はこなごなにされて穴埋めに。
ノルウェーのテロ。
暗い事件が続く。
円も78円割るだろう。
80歳過ぎても首都高を100キロ出して学習院に通って弓道部を指導していたSさんが亡くなった。
そう長いおつきあいではなかったが楽しい思い出もあり、今週ご挨拶に行ってこようと思う。
藤田嗣治に直にいただいたという猫のデッサンがかざってありおじゃまするといつも「いいなあ」と眺めていたっけ。
3人で受けたお茶のお稽古もいま考えると滑稽ではあったがこれからも忘れることのない良き人生の一場面であろう。
先輩たちがみんないなくなっちゃうよ。
こんなに多くのモノを先輩たちからいただきながら、自分より若い人たちに残してあげるものは何もないような気がする。
なにか自分のことしか考えてこなかったような気がする。
2011年7月24日日曜日
朝からやや不調
きのうもすぐ酔っぱらってしまい、こないだの台風の時の低温とまたあつくなったりで体調をくずしているようだ。
病院への桜並木の誘導路でカラスが路面をつついているというか何かえさをついばんでいたのだと思うがかわいかった。
カラスはへび同様みんなからきらわれている動物の代表格かもしれない。
毒をもっているわけではなく人間からみたら「いたずらのようなこと」をするというだけのことだが、カラスにしてみれば生きることに真剣なだけなのにね。
「からーす、なぜなくのカラスは山に・・・」という歌をつくったひとは感性の豊かなひとだなと思う。
からすを題材にこんな歌を現代ではつくれるひともいないだろう。
もっともえさにかかわる生息環境も昔と今では違うのかな?
はとぽっぽも憎たらしいんだけどしょうがないな。
信号待ちで空き地の草っぱらをのぞくと猫じゃらしの群落。
見事なくらいきれいに穂を出し風にゆれているさまはすずしげでここちよい。
猫じゃらしだけに占拠された空間である。
2枚目の補填蒔き。
もうここはこれで勘弁してくれ。
夕方、結構すずしい。
今年の夏は去年よりはすずしい、というのがだいぶ前の長期予報だが・・・。
昼間は35度あっても夜さえすずしくなってくれればいい。
それにしてものったり降りたりの激しい仕事の車ではクーラーはしないほうがいいなとつくずく感じる。自然の外気で風をうけてはしっているのがもっとも健康的だなと感じる。
数時間乗りっぱなしは話が別だけど。
「日本語は亡びない」を少し読み進める。
明治には英語の達人とよばれていたひとたちが何人もいるけれども彼らは現代のように学ぶ対象がごくごく限られており、よくもまあ英語圏のひとと渡り合えたなと感心する。
Natureに日本人として初めて投稿した南方熊楠を初め同級の漱石、新渡戸稲造、馬場辰猪、・・・等は学習の材料は書物それも「語学」ものではなく最初から固い著作等の多読であっと思う。
森有礼が日本語廃止などといったのは時代背景を考えても許されざる文部大臣の発言である。
その孫も同じで、「バビロンの川のほとりで」がバイブルのようにあがめられていたわたしたちの青春時代っていったいなんだったのだろう。
英会話ブームはいつから始まったものかしれないがおろかな傾向である。
英会話のために遊学なんてものもあり何考えてるんだろうなと思う。
たくさん読み・観、おおいに考え作文することしか語学の上達法はない。
外国語として読む考え自体をあらためたほうがいいのかもしれない。
「ほんを読む」というただそれだけのことである。
読むことは考えることである。
考えを深めてくれるのは書くことでありしゃべることである。
会話程度、などという腐った日本語がうとましい。
環境がまわりにないから突然はしゃべれないのである。
慣れ・場数で「頭の中に蓄えられている」ものは出てくる。
読み・書き・会話。
いろんな体験・疑似体験・思考がすべてだと思う。
小学生に英会話、窮極の愚かな教育政策である。
英語のできないというより、多くを読み・体験し・考えたことのないひとの発発想である。
いやいや、そもそも天下国家のことなど心配していない「天下国家社員」の発想である。
上にあげた英語の達人たちはそろって「日本語はほろびません」と励ましているはずだ。
町工場や日の当たらない手作り職人はいずれほろびてしまうのかもしれないが、言語が腐りゆがめられ亡びてしまうということはあり得ない。
音楽で言うとリズムや旋法すべてが「ヨーロッパの基準」で評定されてきた。
ここでやっとエキゾティズムを乗り越えて客観的にみようとするようになってはきたようだが・・・。
ことごとくがヨーロッパを基準にものごとを計ろうとしているところにあやまちがある。
そのためにはもっとヨーロッパを知り、批判精神を熟成させなければならない。
もちろんいいところはたくさんある。
病院への桜並木の誘導路でカラスが路面をつついているというか何かえさをついばんでいたのだと思うがかわいかった。
カラスはへび同様みんなからきらわれている動物の代表格かもしれない。
毒をもっているわけではなく人間からみたら「いたずらのようなこと」をするというだけのことだが、カラスにしてみれば生きることに真剣なだけなのにね。
「からーす、なぜなくのカラスは山に・・・」という歌をつくったひとは感性の豊かなひとだなと思う。
からすを題材にこんな歌を現代ではつくれるひともいないだろう。
もっともえさにかかわる生息環境も昔と今では違うのかな?
はとぽっぽも憎たらしいんだけどしょうがないな。
信号待ちで空き地の草っぱらをのぞくと猫じゃらしの群落。
見事なくらいきれいに穂を出し風にゆれているさまはすずしげでここちよい。
猫じゃらしだけに占拠された空間である。
2枚目の補填蒔き。
もうここはこれで勘弁してくれ。
夕方、結構すずしい。
今年の夏は去年よりはすずしい、というのがだいぶ前の長期予報だが・・・。
昼間は35度あっても夜さえすずしくなってくれればいい。
それにしてものったり降りたりの激しい仕事の車ではクーラーはしないほうがいいなとつくずく感じる。自然の外気で風をうけてはしっているのがもっとも健康的だなと感じる。
数時間乗りっぱなしは話が別だけど。
「日本語は亡びない」を少し読み進める。
明治には英語の達人とよばれていたひとたちが何人もいるけれども彼らは現代のように学ぶ対象がごくごく限られており、よくもまあ英語圏のひとと渡り合えたなと感心する。
Natureに日本人として初めて投稿した南方熊楠を初め同級の漱石、新渡戸稲造、馬場辰猪、・・・等は学習の材料は書物それも「語学」ものではなく最初から固い著作等の多読であっと思う。
森有礼が日本語廃止などといったのは時代背景を考えても許されざる文部大臣の発言である。
その孫も同じで、「バビロンの川のほとりで」がバイブルのようにあがめられていたわたしたちの青春時代っていったいなんだったのだろう。
英会話ブームはいつから始まったものかしれないがおろかな傾向である。
英会話のために遊学なんてものもあり何考えてるんだろうなと思う。
たくさん読み・観、おおいに考え作文することしか語学の上達法はない。
外国語として読む考え自体をあらためたほうがいいのかもしれない。
「ほんを読む」というただそれだけのことである。
読むことは考えることである。
考えを深めてくれるのは書くことでありしゃべることである。
会話程度、などという腐った日本語がうとましい。
環境がまわりにないから突然はしゃべれないのである。
慣れ・場数で「頭の中に蓄えられている」ものは出てくる。
読み・書き・会話。
いろんな体験・疑似体験・思考がすべてだと思う。
小学生に英会話、窮極の愚かな教育政策である。
英語のできないというより、多くを読み・体験し・考えたことのないひとの発発想である。
いやいや、そもそも天下国家のことなど心配していない「天下国家社員」の発想である。
上にあげた英語の達人たちはそろって「日本語はほろびません」と励ましているはずだ。
町工場や日の当たらない手作り職人はいずれほろびてしまうのかもしれないが、言語が腐りゆがめられ亡びてしまうということはあり得ない。
音楽で言うとリズムや旋法すべてが「ヨーロッパの基準」で評定されてきた。
ここでやっとエキゾティズムを乗り越えて客観的にみようとするようになってはきたようだが・・・。
ことごとくがヨーロッパを基準にものごとを計ろうとしているところにあやまちがある。
そのためにはもっとヨーロッパを知り、批判精神を熟成させなければならない。
もちろんいいところはたくさんある。
2011年7月23日土曜日
暑くなってしまった。
あしたからまた35℃だって。
テレビの例のおもしろ楽曲分析。
日本人に人気のあるシベリウスのフィンランディア。
楽譜からこうやって分析されるとどしろうとには世界が開ける感じだ。
感性だけの認識はもちろん大切だが、技術みたいなものも素人向けにこうやってわかりやすく説明されるとおもしろさが倍増される。
絵もそうだな。
きわめつくされしかもその意図的な乱れや破格が技術を単なる技でなくしていく。
抽象的なことばばかりこね回していてがらくたばかり作っている焼き物屋がいるが、背骨(spine)をなすものは精神だけでなく"わざ"があることがわかっていないか、わかっていても技の稚拙さを指摘されるのをカモフラージュしているのだろう。
理屈だけの芸術やものつくりには説得力がまったくない。
訴えてくるものが何もない。
・・・・・。
たいして飲んでないけどここちよくよっぱらっている。
きょうもよき日でありました。
ありがとう。
ちょっとCD聞ける状態ではないな。
10時48分、帰還。
テレビの例のおもしろ楽曲分析。
日本人に人気のあるシベリウスのフィンランディア。
楽譜からこうやって分析されるとどしろうとには世界が開ける感じだ。
感性だけの認識はもちろん大切だが、技術みたいなものも素人向けにこうやってわかりやすく説明されるとおもしろさが倍増される。
絵もそうだな。
きわめつくされしかもその意図的な乱れや破格が技術を単なる技でなくしていく。
抽象的なことばばかりこね回していてがらくたばかり作っている焼き物屋がいるが、背骨(spine)をなすものは精神だけでなく"わざ"があることがわかっていないか、わかっていても技の稚拙さを指摘されるのをカモフラージュしているのだろう。
理屈だけの芸術やものつくりには説得力がまったくない。
訴えてくるものが何もない。
・・・・・。
たいして飲んでないけどここちよくよっぱらっている。
きょうもよき日でありました。
ありがとう。
ちょっとCD聞ける状態ではないな。
10時48分、帰還。
2011年7月22日金曜日
台風一過
だが朝はどんよりとした雲が多かった。
きょうもすずしい。
昼過ぎまで忙しくお昼抜きで畑に。
きょうは家の裏の一枚をかきまぜ播種準備。
それと一枚目、二枚目の中耕をやる。
二枚目に鳩ぽっぽ害甚大でまき直し必要を認識する。
早めにお店に。
おとといとその前が雨でひどかったのできのう・きょうは忙しかった。
知り合いから沖縄「なんくるなんくろ」前里秀美、というCDが届く。あとで聞こう。
帰りがけに本屋で金屋武洋「日本語は滅びない」を買う。
Nさんの紹介による著者である。
読む前に、といってももう20ページ読んでしまったが、この表題について自分なりに考えたことを簡単に書いてみたいのだが。
日本語は亡びない、というからには「亡びる」というひとがいるからこういうテーマを出したものと思われるが、世界にはものすごい数の言語があり(過去あって)静かに確実に滅んでいく言語があるということは周知の事実である。
ただしそれは人口が少ないとかあるいはそれゆえに大きな圧力のもとに上位の権力によって"上位の"言語にとってかわられて・・・という具合に亡びていくものと思われるが、ここでいう亡びるとはもちろんそういうことではなく「乱れ、腐り、汚染され、構造そのものが変形して・・・」ということを意味しているものと思う。
最近では「ら抜き」というのが顕著な例だが、丁寧語とか謙譲語の誤用、大江健三郎のようなとても日本語とはいえない翻訳調(こういうのを個性という言い方もできる)、外来語のカタカナ語化の多用・・・といったようにたくさんの困った現象があるわけだがこのままいくと日本語は・・・と心配しているのだろう。
ただ古来日本語にとっておおきな危機がいくつかあったこと、つまり漢字が入ってきたとき、明治維新の時の圧倒する西洋文明の流入に際しての翻訳の問題等を考えると、根幹にある原日本語という背骨は変形されたりこわされたりしたことはなかったと思う。
漢字流入以前にほんとにわが国に文字(のようなもの)がなかったということはいいきれず、ひょっとしたら侵略者たちの都合で闇にほうむりさらられたということも考えられる。もちろんあったとしてもそれを使えるのは当時のごく一部のエリートたちであったと思うが。
漢字に侵略されたというより漢字を利用して原日本語の幅を広げていったと考えたほうがいいと思う。・・・やがてひらかな、カタカナの発明。
明治の洋学流入以前に信長・秀吉のころのオランダ・ポルトガルによる文物流入があったが、明治期と比べるとその影響力は圧倒的にちいさく日本語の歴史という枠の中ではほとんど無視できるのかなと思う。
明治期は日本や中国にはない概念等の翻訳後の発明等、漢字の力を借りて先人たちは大きな苦労をしたと思うがだからといって漢字流入基のように文の構造の差異から生まれた読み下し分みたいな苦労はなかったと思う。
主語、述語、語順等全くの異物のようにみえて中国語と似ている文の構造など、学ぶものたちをにやりとさせてわくわくさせたこともたくさんあったと思う。
根幹は変わらない。
文の背骨はくずれない。
生き物である"ことば"が変わっていくのは当たり前である。
大江さんがよく引用するフラナリー・オコナーの"ハビット"という語もそもそもは言語に関する言葉、それももともとの意味は"衣を羽織る"という意味で、ことばというものは年輪の積み重ねみたいに":原意"の上にいろいろな意味合いを重ね着していくものだということだ。
ことばとは十二単だ。
ただしそれはひとつひとつの単語の話。
ことばの組み合わせの文章の構造みたいなものはそう簡単に変わっていくものではない。
このことを考えると大江さんの文章は悪文の極みかもしれない。
昨今の小学校から英語をなどという愚かな政策が現実化してしまったことを考えると、憂えるところは多々あるのだが教育とはいつも試行錯誤で右へ行ったり左へいったりの繰り返しのようで、いずれはこの英語教育は否定されるものであろう。
学問とか教育についてのきちんとした考え・議論のないこの国でどのようにそれをただしていったらいいのかな、どうしようもないことなのかなと憂えるばかりである。
総理大臣や次官やそれ以下の付随人等の文部省指導要領なるものを作文するひとたちが"教育"とか"学ぶ""いきる"・・について真剣に考えてきた人たちとはとても思えないが、そういうひとたちを育てたのももとはといえば教育者である、いやいや試験制度といったらいいのかな?。
文部省指導要領の字面だけを指導原理にして自分自身の頭で教育というものについて、それはとりもなおさず人生ということについて真剣に考えてこなかったながーい教育者たちの歴史の産物が現行教育である。
さて沖縄ポップス、歌謡・・・だ。
おー、あしたは第四土曜日だ。
さてさてもう遅いのだがCDの感想。
いい声である。
甘すぎたり丸すぎて飽きられるタイプではない。
声量はやや弱いので民謡歌手としては無理かなと思う。
6曲入っていて前5曲は沖縄旋法(mode)の独特の音になっている。
陽旋法。
全部この歌手の作詞・作曲。
歌詞ノートをみないと意味がわからない。
ことばの発音も現地のなまりを生かしていてとてもいい。
こういうのがいい。
しばらく毎晩聞くことになると思う。
最後の6曲目は旋法自体が本土の今のものでふつうの歌謡曲であるがいい曲である。
ただしこのアルバムに6曲目を入れる必要があったかどうかであるが、本土調のものだけでまとめても競争には・・・どうかなと思う。
やはりこのアルバムにいれるしかないのかな。
あー、沖縄旋法はいいなあ。
2回目を聞きながら書いているが5曲目の「芭蕉布」というのがいいなあ。
さあ、聞きながら寝よう・・・・目が覚めちゃったようだけど。
5曲目がいい。
はやるんじゃないかなあ?
きょうもすずしい。
昼過ぎまで忙しくお昼抜きで畑に。
きょうは家の裏の一枚をかきまぜ播種準備。
それと一枚目、二枚目の中耕をやる。
二枚目に鳩ぽっぽ害甚大でまき直し必要を認識する。
早めにお店に。
おとといとその前が雨でひどかったのできのう・きょうは忙しかった。
知り合いから沖縄「なんくるなんくろ」前里秀美、というCDが届く。あとで聞こう。
帰りがけに本屋で金屋武洋「日本語は滅びない」を買う。
Nさんの紹介による著者である。
読む前に、といってももう20ページ読んでしまったが、この表題について自分なりに考えたことを簡単に書いてみたいのだが。
日本語は亡びない、というからには「亡びる」というひとがいるからこういうテーマを出したものと思われるが、世界にはものすごい数の言語があり(過去あって)静かに確実に滅んでいく言語があるということは周知の事実である。
ただしそれは人口が少ないとかあるいはそれゆえに大きな圧力のもとに上位の権力によって"上位の"言語にとってかわられて・・・という具合に亡びていくものと思われるが、ここでいう亡びるとはもちろんそういうことではなく「乱れ、腐り、汚染され、構造そのものが変形して・・・」ということを意味しているものと思う。
最近では「ら抜き」というのが顕著な例だが、丁寧語とか謙譲語の誤用、大江健三郎のようなとても日本語とはいえない翻訳調(こういうのを個性という言い方もできる)、外来語のカタカナ語化の多用・・・といったようにたくさんの困った現象があるわけだがこのままいくと日本語は・・・と心配しているのだろう。
ただ古来日本語にとっておおきな危機がいくつかあったこと、つまり漢字が入ってきたとき、明治維新の時の圧倒する西洋文明の流入に際しての翻訳の問題等を考えると、根幹にある原日本語という背骨は変形されたりこわされたりしたことはなかったと思う。
漢字流入以前にほんとにわが国に文字(のようなもの)がなかったということはいいきれず、ひょっとしたら侵略者たちの都合で闇にほうむりさらられたということも考えられる。もちろんあったとしてもそれを使えるのは当時のごく一部のエリートたちであったと思うが。
漢字に侵略されたというより漢字を利用して原日本語の幅を広げていったと考えたほうがいいと思う。・・・やがてひらかな、カタカナの発明。
明治の洋学流入以前に信長・秀吉のころのオランダ・ポルトガルによる文物流入があったが、明治期と比べるとその影響力は圧倒的にちいさく日本語の歴史という枠の中ではほとんど無視できるのかなと思う。
明治期は日本や中国にはない概念等の翻訳後の発明等、漢字の力を借りて先人たちは大きな苦労をしたと思うがだからといって漢字流入基のように文の構造の差異から生まれた読み下し分みたいな苦労はなかったと思う。
主語、述語、語順等全くの異物のようにみえて中国語と似ている文の構造など、学ぶものたちをにやりとさせてわくわくさせたこともたくさんあったと思う。
根幹は変わらない。
文の背骨はくずれない。
生き物である"ことば"が変わっていくのは当たり前である。
大江さんがよく引用するフラナリー・オコナーの"ハビット"という語もそもそもは言語に関する言葉、それももともとの意味は"衣を羽織る"という意味で、ことばというものは年輪の積み重ねみたいに":原意"の上にいろいろな意味合いを重ね着していくものだということだ。
ことばとは十二単だ。
ただしそれはひとつひとつの単語の話。
ことばの組み合わせの文章の構造みたいなものはそう簡単に変わっていくものではない。
このことを考えると大江さんの文章は悪文の極みかもしれない。
昨今の小学校から英語をなどという愚かな政策が現実化してしまったことを考えると、憂えるところは多々あるのだが教育とはいつも試行錯誤で右へ行ったり左へいったりの繰り返しのようで、いずれはこの英語教育は否定されるものであろう。
学問とか教育についてのきちんとした考え・議論のないこの国でどのようにそれをただしていったらいいのかな、どうしようもないことなのかなと憂えるばかりである。
総理大臣や次官やそれ以下の付随人等の文部省指導要領なるものを作文するひとたちが"教育"とか"学ぶ""いきる"・・について真剣に考えてきた人たちとはとても思えないが、そういうひとたちを育てたのももとはといえば教育者である、いやいや試験制度といったらいいのかな?。
文部省指導要領の字面だけを指導原理にして自分自身の頭で教育というものについて、それはとりもなおさず人生ということについて真剣に考えてこなかったながーい教育者たちの歴史の産物が現行教育である。
さて沖縄ポップス、歌謡・・・だ。
おー、あしたは第四土曜日だ。
さてさてもう遅いのだがCDの感想。
いい声である。
甘すぎたり丸すぎて飽きられるタイプではない。
声量はやや弱いので民謡歌手としては無理かなと思う。
6曲入っていて前5曲は沖縄旋法(mode)の独特の音になっている。
陽旋法。
全部この歌手の作詞・作曲。
歌詞ノートをみないと意味がわからない。
ことばの発音も現地のなまりを生かしていてとてもいい。
こういうのがいい。
しばらく毎晩聞くことになると思う。
最後の6曲目は旋法自体が本土の今のものでふつうの歌謡曲であるがいい曲である。
ただしこのアルバムに6曲目を入れる必要があったかどうかであるが、本土調のものだけでまとめても競争には・・・どうかなと思う。
やはりこのアルバムにいれるしかないのかな。
あー、沖縄旋法はいいなあ。
2回目を聞きながら書いているが5曲目の「芭蕉布」というのがいいなあ。
さあ、聞きながら寝よう・・・・目が覚めちゃったようだけど。
5曲目がいい。
はやるんじゃないかなあ?
2011年7月21日木曜日
きょうの気温は18℃、
水温と同じである。
朝は雨。昼に止む。
ぴあ最終号。
思えば18歳ころに出たかなという記憶がある。
たしか現役の大学生が始めた冊子だったように思う。
100円くらいだったと思うがよく利用したものだ。
寒いくらいで畑はさぞ楽ちんかとおもいきや土が水分を含んでいて重い。
そしてふだんさらさらの土はぴしっとしまってかたくなっている、粘土質ほどではないが。
そんなわけできょうのは体力を要した。
水はたいして飲まなかった。
5枚目終了。
やってる最中に、すずしいせいかはとが何匹かやってきた。
若干引っこ抜かれたり食いちぎられている。
35℃もあるときはまったく見かけないのにね。
お店に行く途中ラジオからプレスリー。
あらためて彼の声・歌・歌い方に感心する。
しびれる女性があとをたたなかったのにも納得がゆく。
男にももてた声だったと思う。
軽快なものよりもスローテンポでビブラートたっぷりの色気まるだしの声がいいのかな。
こういう古典もいいな。
もちろんビートルズも。
きょうの夕飯には2種類の枝豆が並んでいた。
きのうのがまずくてだいぶ残したのをみて、新たに買ってきたものと思う。
群馬の「ゆあがりむすめ」、と入間産というやつだ。
どちらもうまかった。
前者はおととしかな山形の牧野農園からおくってもらったことがあるが枝豆として今はやりの品種らしい。アセチルピロリン臭たっぷり、部屋中がいいにおいになる。欠点はぱんぱんの状態でもいたものはやや堅すぎると言うことである。もう少し手前で収穫したほうがいいのだと個人的には思う。野の味はやや貧困である。
入間のはアセチルピロリン臭はない。野の香りがいい。味がまた豊かで"うまい豆"だと思う。農林振興センターの推薦品種なのだろうか。
えだまめにアセチルピロリン臭は若干飽きてきているので、野のかおりとか"味"の豊かさに重点をおいた選択がなされることを望む。
それにしてもきのうの静岡産はまずかった。
食にたずさわるものとしてあるまじき選択であったと思う。
きょうの畑は"体力"だったせいか疲れた。
すずしくて心地よい夜だ。
暑い夏のちょっとしたごほうびなのかな。
といってもまだ7月21日。
まだまだ先は長い。
朝は雨。昼に止む。
ぴあ最終号。
思えば18歳ころに出たかなという記憶がある。
たしか現役の大学生が始めた冊子だったように思う。
100円くらいだったと思うがよく利用したものだ。
寒いくらいで畑はさぞ楽ちんかとおもいきや土が水分を含んでいて重い。
そしてふだんさらさらの土はぴしっとしまってかたくなっている、粘土質ほどではないが。
そんなわけできょうのは体力を要した。
水はたいして飲まなかった。
5枚目終了。
やってる最中に、すずしいせいかはとが何匹かやってきた。
若干引っこ抜かれたり食いちぎられている。
35℃もあるときはまったく見かけないのにね。
お店に行く途中ラジオからプレスリー。
あらためて彼の声・歌・歌い方に感心する。
しびれる女性があとをたたなかったのにも納得がゆく。
男にももてた声だったと思う。
軽快なものよりもスローテンポでビブラートたっぷりの色気まるだしの声がいいのかな。
こういう古典もいいな。
もちろんビートルズも。
きょうの夕飯には2種類の枝豆が並んでいた。
きのうのがまずくてだいぶ残したのをみて、新たに買ってきたものと思う。
群馬の「ゆあがりむすめ」、と入間産というやつだ。
どちらもうまかった。
前者はおととしかな山形の牧野農園からおくってもらったことがあるが枝豆として今はやりの品種らしい。アセチルピロリン臭たっぷり、部屋中がいいにおいになる。欠点はぱんぱんの状態でもいたものはやや堅すぎると言うことである。もう少し手前で収穫したほうがいいのだと個人的には思う。野の味はやや貧困である。
入間のはアセチルピロリン臭はない。野の香りがいい。味がまた豊かで"うまい豆"だと思う。農林振興センターの推薦品種なのだろうか。
えだまめにアセチルピロリン臭は若干飽きてきているので、野のかおりとか"味"の豊かさに重点をおいた選択がなされることを望む。
それにしてもきのうの静岡産はまずかった。
食にたずさわるものとしてあるまじき選択であったと思う。
きょうの畑は"体力"だったせいか疲れた。
すずしくて心地よい夜だ。
暑い夏のちょっとしたごほうびなのかな。
といってもまだ7月21日。
まだまだ先は長い。
2011年7月20日水曜日
きょうも台風。
ふったりやんだり。
仕事が忙しくてやや疲れる。
床屋に行く。
床屋のTさんは有名なアマチュア風景写真家。
がんの手術で胃をほとんどとってからもう何年たつだろうか、7・8年かな?
小さな沢に入って撮った写真が多い。
きょうのはデジカメでとったモノクロの滝が印象的だった。
原田芳雄没。
そんなに映画は観てきていないけど印象は強かった。
お店に出かけるとき車でやっていた宮崎さんの作品の主題歌や挿入歌がこころに食い入ってきた。サントラなのかどうか映画はきちんと観ていないので記憶が定かではないかいい歌ばかりだ。日本語の歌がいい。
きのうは早稲田のグリークラブと慶応のワグネル・ソサエティがジョイントでやっていたドボルザークの「新世界より」の第二楽章に日本語の詩をつけたものを聞いたがどちらも圧巻であった。
イタリアのベルカント唱法によったわけのわからない化け日本語とは全く違い美しい詩を美しい発声でうたわれたきのう・きょうの歌にはぐいぐいと引きつけられてしまった。
イタリアと言えばドミンゴが震災ひと月後にちゃんと日本公演をこなしていたんだね。70歳。
逃げたジョン・ウィリアムスも70いくつだろう。
音楽はかしこまってかしこまった空間できっちりと聞くときよりも、意外と、きょうみたいに車のラジオから何気なく耳に入ってきた音楽のほうが強い感動を受けることがある・・・というよりそういうときのほうが感動が大きいことが多い。
畑の隅を貸しているMさんがとんもろこしを持ってきてくれた。
りっぱな虫食いもあるがとてもうまかった。
うちの母はよくとんもろこしを作ってくれていたのだが大雨などで倒れやすく、多くはカラスのえさになっていたような記憶がある。
きょうのMさんのとんもろこしはほとんど倒伏なし。蒔いてからはかすかに小雨が何回か降った程度だったと思う。
子供を産むことのできない男にとって植物が芽を出してから収穫にいたるまではわくわくの連続である、これが普通の男の感覚だと思う。
きのうきょうと畑はできなかった。
雨と高温。
一気に雑草が芽を出していることだろう。
種まきリミットあと10日。
気が抜けない。
さて夕飯にもう一品。
えだ豆である。
静岡産。
はっきりいって頭に来たのである。
甘みなし、青味なし、アセチルピロリン臭・ゆたかな野の香りともになし。
これを出荷した農家はこれが今年初めての品種だろうか?そうだとしたら農家に責任はない。この品種を勧めたタネ屋・農協・農林振興センターに責任がすべてある。
たくさんとれるとか見かけがいいだけで選ばれた品種なのだろうか。
だれが「いい」と判断してゴーサインを出したのだろうか?
またこの農家にとって2年目以降の品種だとしたら此の農家は怠慢である、愚かである。
自分の作ったモノはきちんと自分で評定しなければだめである。
実は先週埼玉コープの宅配でやってきた川越産の枝豆が非常に美味だったのである。
やや未熟という感じでぱんぱんに実が入っている感じではなかったが、味がきわめて豊かであった。香りは例のアセチルピロリンではなくふつうの豆の香りなのだがふくよかないい香りがした、そしていい具合に甘い。別段無農薬というレベルのものではなかったと思うがとにかくうまかった。
このこともあったのできょうのはよけいまずく感じた。近所のスーパーのものである。
付け加えとなるが枝豆の時にまずいからといって、最終的な大豆になってからいろいろと加工したものがまずいかどうかは断定できない。
不思議なことにうまくなることが多いのである。
砂糖いらず、もち大豆、金持ち豆、りせん大豆、フローラ、いたち豆・・・。
みんなうまく化けてくれる。
仕事が忙しくてやや疲れる。
床屋に行く。
床屋のTさんは有名なアマチュア風景写真家。
がんの手術で胃をほとんどとってからもう何年たつだろうか、7・8年かな?
小さな沢に入って撮った写真が多い。
きょうのはデジカメでとったモノクロの滝が印象的だった。
原田芳雄没。
そんなに映画は観てきていないけど印象は強かった。
お店に出かけるとき車でやっていた宮崎さんの作品の主題歌や挿入歌がこころに食い入ってきた。サントラなのかどうか映画はきちんと観ていないので記憶が定かではないかいい歌ばかりだ。日本語の歌がいい。
きのうは早稲田のグリークラブと慶応のワグネル・ソサエティがジョイントでやっていたドボルザークの「新世界より」の第二楽章に日本語の詩をつけたものを聞いたがどちらも圧巻であった。
イタリアのベルカント唱法によったわけのわからない化け日本語とは全く違い美しい詩を美しい発声でうたわれたきのう・きょうの歌にはぐいぐいと引きつけられてしまった。
イタリアと言えばドミンゴが震災ひと月後にちゃんと日本公演をこなしていたんだね。70歳。
逃げたジョン・ウィリアムスも70いくつだろう。
音楽はかしこまってかしこまった空間できっちりと聞くときよりも、意外と、きょうみたいに車のラジオから何気なく耳に入ってきた音楽のほうが強い感動を受けることがある・・・というよりそういうときのほうが感動が大きいことが多い。
畑の隅を貸しているMさんがとんもろこしを持ってきてくれた。
りっぱな虫食いもあるがとてもうまかった。
うちの母はよくとんもろこしを作ってくれていたのだが大雨などで倒れやすく、多くはカラスのえさになっていたような記憶がある。
きょうのMさんのとんもろこしはほとんど倒伏なし。蒔いてからはかすかに小雨が何回か降った程度だったと思う。
子供を産むことのできない男にとって植物が芽を出してから収穫にいたるまではわくわくの連続である、これが普通の男の感覚だと思う。
きのうきょうと畑はできなかった。
雨と高温。
一気に雑草が芽を出していることだろう。
種まきリミットあと10日。
気が抜けない。
さて夕飯にもう一品。
えだ豆である。
静岡産。
はっきりいって頭に来たのである。
甘みなし、青味なし、アセチルピロリン臭・ゆたかな野の香りともになし。
これを出荷した農家はこれが今年初めての品種だろうか?そうだとしたら農家に責任はない。この品種を勧めたタネ屋・農協・農林振興センターに責任がすべてある。
たくさんとれるとか見かけがいいだけで選ばれた品種なのだろうか。
だれが「いい」と判断してゴーサインを出したのだろうか?
またこの農家にとって2年目以降の品種だとしたら此の農家は怠慢である、愚かである。
自分の作ったモノはきちんと自分で評定しなければだめである。
実は先週埼玉コープの宅配でやってきた川越産の枝豆が非常に美味だったのである。
やや未熟という感じでぱんぱんに実が入っている感じではなかったが、味がきわめて豊かであった。香りは例のアセチルピロリンではなくふつうの豆の香りなのだがふくよかないい香りがした、そしていい具合に甘い。別段無農薬というレベルのものではなかったと思うがとにかくうまかった。
このこともあったのできょうのはよけいまずく感じた。近所のスーパーのものである。
付け加えとなるが枝豆の時にまずいからといって、最終的な大豆になってからいろいろと加工したものがまずいかどうかは断定できない。
不思議なことにうまくなることが多いのである。
砂糖いらず、もち大豆、金持ち豆、りせん大豆、フローラ、いたち豆・・・。
みんなうまく化けてくれる。
2011年7月19日火曜日
台風の影響で強くふったり
やんだりの天気。
畑は休み。
というわけでのんびりといろいろかと思うところだが現実には何をしたらいいかで迷いいらいらしてしまう。
毎日規則正しく同じことが続いている生活では頭の中で「あれとこれを・・・、それを・・・」と無意識のうちに配分していてそれぞれ時間を無駄にしないように大切にしているような気がする。
ほんとは何もしないでぼーっとしている時間もものすごく大切なのだけれど。
イギリスのマスコミ・盗聴スキャンダルはそうとうな広がりをみせてきて大変なことになりそうだ。
きょうなどは首相のもとでメディア担当の人物を内部批判した人物がfound dead となっている。
死んだ、というだけで殺されたとはまだなっていないがどうみても・・・という感じである。
マードック家というのは有名なメディア産業のチャンピオンで高級紙のタイムズから今回問題となったタブロイド紙にいたるまで多くの情報産業を牛耳っている一家だが、ホームズやモース警部ではおなじみのむスコットランド・ヤード(イギリスの桜田門)との癒着による情報入手といった腐敗手段で捜査そのものに介入してしまったりとかでここのところ批判が集中している。
警察の内部ばかりではすまない問題となりそうだが、キャメロン首相とのつながりまで視野に入れて現内閣はずたずになっていくものと思われる。
現内閣だけの問題ではないと推論する。
テレビ朝日もたしか孫正義とマードック家にねらわれたことが記憶に新しい(古い)。
マスコミ・マスメディアそれぞれに問題だらけであることは確かだが外国資本による支配や特定資本のグローバル支配にはこわいものがある。
毎日のようにやっているカネのかかっていないクイズ番組程度ならまだましなほうなのかな。
あしたは府中の大国魂神社の祭礼。
お天気かなんとかなってくれればいいのだが。
畑は休み。
というわけでのんびりといろいろかと思うところだが現実には何をしたらいいかで迷いいらいらしてしまう。
毎日規則正しく同じことが続いている生活では頭の中で「あれとこれを・・・、それを・・・」と無意識のうちに配分していてそれぞれ時間を無駄にしないように大切にしているような気がする。
ほんとは何もしないでぼーっとしている時間もものすごく大切なのだけれど。
イギリスのマスコミ・盗聴スキャンダルはそうとうな広がりをみせてきて大変なことになりそうだ。
きょうなどは首相のもとでメディア担当の人物を内部批判した人物がfound dead となっている。
死んだ、というだけで殺されたとはまだなっていないがどうみても・・・という感じである。
マードック家というのは有名なメディア産業のチャンピオンで高級紙のタイムズから今回問題となったタブロイド紙にいたるまで多くの情報産業を牛耳っている一家だが、ホームズやモース警部ではおなじみのむスコットランド・ヤード(イギリスの桜田門)との癒着による情報入手といった腐敗手段で捜査そのものに介入してしまったりとかでここのところ批判が集中している。
警察の内部ばかりではすまない問題となりそうだが、キャメロン首相とのつながりまで視野に入れて現内閣はずたずになっていくものと思われる。
現内閣だけの問題ではないと推論する。
テレビ朝日もたしか孫正義とマードック家にねらわれたことが記憶に新しい(古い)。
マスコミ・マスメディアそれぞれに問題だらけであることは確かだが外国資本による支配や特定資本のグローバル支配にはこわいものがある。
毎日のようにやっているカネのかかっていないクイズ番組程度ならまだましなほうなのかな。
あしたは府中の大国魂神社の祭礼。
お天気かなんとかなってくれればいいのだが。
2011年7月18日月曜日
雲行きが
あやしくなってきた。風も強い。
あしたあさつては雨かな?
大きな台風のようだ。
畑は12畦。
風が強くすずしかつた。
が、気が抜けて疲れが表面化。
暑い方が「なにくそ」という感じになるのでがんばれるような気がする。
仕事にきわめて関係があるにもかかわらず、仕事上の義務感で耐えているわけではなく、おもしろいからやっているだけである。
つらければ休めばいいのであろうが、そういう性分ではない。
おおきな山の夏山縦走だと思っている。
夕方の仕事は比較的楽だった、というかきのうがよほどひどかったということに気づく。
上を向いても星は出ていない。
気温は低くてもやたらと蒸す。
ビール、ビール。
そういえばなでしこJAPANは勝ったのね。
よかったよかった。
準決勝は見ていて、のびのびとして楽しそうにやっていたのを記憶している。
きょうのはすごかつたみたいね。
おめでとう。
Nさんの今日のブログよかった。
新聞脳とはこういうことのひとつの現れね。
こちとらは政治学科の落ちこぼれであまり新聞やジャーナリズムというものを読んでこず怠慢そのものだった・・・、新聞による悪影響(affected)以前の問題だけど。いつもひとにはばかにされてきたんです。でも自分で考えてはきたと思うんだけれど。
美術評論家の坂崎乙郎先生が朝日の論説委員をしていた彼の兄にいだいていたコンプレックスのまねをしていたわけではないが、社説とかはあまり読んでこなかったのです。
鴨居 玲の絵に会いたいなあ。
あしたあさつては雨かな?
大きな台風のようだ。
畑は12畦。
風が強くすずしかつた。
が、気が抜けて疲れが表面化。
暑い方が「なにくそ」という感じになるのでがんばれるような気がする。
仕事にきわめて関係があるにもかかわらず、仕事上の義務感で耐えているわけではなく、おもしろいからやっているだけである。
つらければ休めばいいのであろうが、そういう性分ではない。
おおきな山の夏山縦走だと思っている。
夕方の仕事は比較的楽だった、というかきのうがよほどひどかったということに気づく。
上を向いても星は出ていない。
気温は低くてもやたらと蒸す。
ビール、ビール。
そういえばなでしこJAPANは勝ったのね。
よかったよかった。
準決勝は見ていて、のびのびとして楽しそうにやっていたのを記憶している。
きょうのはすごかつたみたいね。
おめでとう。
Nさんの今日のブログよかった。
新聞脳とはこういうことのひとつの現れね。
こちとらは政治学科の落ちこぼれであまり新聞やジャーナリズムというものを読んでこず怠慢そのものだった・・・、新聞による悪影響(affected)以前の問題だけど。いつもひとにはばかにされてきたんです。でも自分で考えてはきたと思うんだけれど。
美術評論家の坂崎乙郎先生が朝日の論説委員をしていた彼の兄にいだいていたコンプレックスのまねをしていたわけではないが、社説とかはあまり読んでこなかったのです。
鴨居 玲の絵に会いたいなあ。
2011年7月17日日曜日
夜中に足がつりそうに
なり、姿勢の調整であれやこれやしていたりで寝られなかった。
畑の疲れがそろそろ出てくる頃かなと思うがその前兆だろう。
畑の縁の草むしりと境界のお茶の木剪定で疲れてしまう。
そのあと12畦。
溝を切ってもわずかにしめっているという程度なのでこの高温ではすぐかわいてしまう、つまり雨が降らない限りは発芽しないだろう。
ちなみに10日に蒔いたものは発芽している。
きょうもお店では発熱、おまけにからだがかゆい。
閉店まで苦痛であった。
銀行のストレステスト、へえはやり言葉になってしまつたの?
試算、こんなことばも詐欺仕様でどうにも使えることばだ。
試算するひとの都合でいかようにでも要因の選別ができるし見落としもはなはだしい。
costとbenefitの差し引き勘定なんて仮定や予測の話ではとてもじゃないが信用できない。
80年代まで原発を指導してきたリーダーたちがにたにたしながら「前電源停電は想定外」などという発言をしているのをみていて腹が立った。彼らは最高齢に88歳をいただく知識人たちだが年齢的に戦犯ぎりぎりのエリートとして終戦を迎えた連中だろう。
農業関係の遺伝子操作のすすめ的な埼玉大での講義の記事がのっていた。
医薬部門をはじめ最先端生命科学の領域に対しては賛否両論があるものの、最終的には研究者の良識による制限・塩梅というものが要求される領域だと思うがたぶん好奇心には勝てない問題だと思う。
行き着くところまで行くしかないのだろう。
なにか"コト"が起こってからしか反省しないのが人間の性である。
最小限のマイナスに押さえるためにもっとも必要なのは・・・・幼少期からの教育にあると思う。
こころの問題である。
疲れた。
寝よう。
畑の疲れがそろそろ出てくる頃かなと思うがその前兆だろう。
畑の縁の草むしりと境界のお茶の木剪定で疲れてしまう。
そのあと12畦。
溝を切ってもわずかにしめっているという程度なのでこの高温ではすぐかわいてしまう、つまり雨が降らない限りは発芽しないだろう。
ちなみに10日に蒔いたものは発芽している。
きょうもお店では発熱、おまけにからだがかゆい。
閉店まで苦痛であった。
銀行のストレステスト、へえはやり言葉になってしまつたの?
試算、こんなことばも詐欺仕様でどうにも使えることばだ。
試算するひとの都合でいかようにでも要因の選別ができるし見落としもはなはだしい。
costとbenefitの差し引き勘定なんて仮定や予測の話ではとてもじゃないが信用できない。
80年代まで原発を指導してきたリーダーたちがにたにたしながら「前電源停電は想定外」などという発言をしているのをみていて腹が立った。彼らは最高齢に88歳をいただく知識人たちだが年齢的に戦犯ぎりぎりのエリートとして終戦を迎えた連中だろう。
農業関係の遺伝子操作のすすめ的な埼玉大での講義の記事がのっていた。
医薬部門をはじめ最先端生命科学の領域に対しては賛否両論があるものの、最終的には研究者の良識による制限・塩梅というものが要求される領域だと思うがたぶん好奇心には勝てない問題だと思う。
行き着くところまで行くしかないのだろう。
なにか"コト"が起こってからしか反省しないのが人間の性である。
最小限のマイナスに押さえるためにもっとも必要なのは・・・・幼少期からの教育にあると思う。
こころの問題である。
疲れた。
寝よう。
2011年7月16日土曜日
来週雨が・・・、
でも台風なのか。
きのうの奥村愛はヴァイオリンです、間違い。
イタリア組曲というのはピアノとヴァイオリンによる「プルチネルラ」からの音楽を編曲したもの、どっちが原曲だったっけ?
いまやっているところが一番まとまつた畑であと2、3日で終わると思う。
畑の境界のお茶の木の剪定も結構疲れる。
茶毒蛾の毛虫には要注意である。
最近は港区とか中央区の街路樹でも出ると言うことだ。
お店にたっていてつらかつた。
熱が出てきたのである。
ここ一週間で一番ひどい。
きょうは満月のようだ。
うすぐもにぼーっとした感じである。
西洋ではluna=狂気、の連想が成り立つが中国や日本の古典ではどういうふうになっいーているんだろうか。月の引力が動物の精神に何か影響するというのもまんざらでたらめではないような気がする・・・・というか、自分はそう考えたい。そういうタイプのようだ。
帰ってきて大好きな冷やし中華が出ていたので食べたら熱はひっこんでしまった。
食べなくてもひっこんだかどうかはわからないが冷やし中華のおかげにしておく。
私は音楽をやるものではないので、音楽産業の収入の分配についてはまったく知識がないがいつも不思議に思っていることは作曲・作詞したものよりも演奏・演技するもののほうが取り分が圧倒的に多いということである。
ベートーベンに著作権料を払う必要はないのだろうが何か釈然としないモノがある。
クラシック音楽界は現実にはエンターテインメントそのものである。
カネにうずまく世渡りの業界である。
諏訪内さんは学生の頃いちやくトップスターに躍り出たかと思ったら、「音楽家には、音楽でないモノを学び感じ取ることが必要です」とかなんとかいってハーバードの音楽とは関係ない学部に学士入学した才媛のはず、リベラル・アーツの提唱である、もちろんみれはとても大切なことである。しかし"宣伝"することではなかった。宣伝とはとりもなおさずただのエンターテインメントである。
一億弱の申告漏れ。海外での公演料だとか。
見解の相違ではなく意図的なものとは、税務署の見解。
彼女は好きな演奏家なのでこれ以上は・・・。
それにしてもクラシック業界は売れてるものとそうでないものの貧富の差はひどい。
芸人とはそういうものなのでこのことをとやかくいってもしかたない。
しかし・・・・作曲作業は明らかに芸術行為としても、それを再生する作業にあまりにカネがうずまいている現況にはなにかうんざりするものがある。
だからぼくは過去に埋没している。
再生芸術とはクラシック業界を皮肉ったものの言い方だが、再生=演奏には明らかに創造的な作業・知的活動が要求される。しかし"創造"というレベルに達するにはあまりにもはるか手前のものだらけである。
もっともベートーベンを演奏して、演奏者を全く感じさせずその演奏はベートーベンそのものであった、などという言い方・解釈もまあ理解できなくもないのだがほめすぎの場合が多い、小沢がウィーフィルつまりウィーン国立歌劇場の総監督に選ばれた理由もわかる、演奏がいまいったタイプなのである。そのためにあるときから急にオペラをやり始めた、それまではシンフォニー指揮者だったのが。
後進育成とか云々はここでは点数に入れない。
ものつくりとしての立場からのみ苦言を言う。
(ヒットラー・ユーゲントであった)カラヤンによってクラシックが世界レベルでお茶の間に・・・、ということは評価できるが・・・というのがマスコミのおおむねの見解だが実はそれが間違っていたのかもしれない。
小説、ポップアートなどと同様の流布要因に悪の根があるのかもしれない。
芸術よ、武士は食わねど・・・、は必要だよ。
なにかかっかっとしてきてしまい、よくないな。
もう、寝よう。
きのうの奥村愛はヴァイオリンです、間違い。
イタリア組曲というのはピアノとヴァイオリンによる「プルチネルラ」からの音楽を編曲したもの、どっちが原曲だったっけ?
いまやっているところが一番まとまつた畑であと2、3日で終わると思う。
畑の境界のお茶の木の剪定も結構疲れる。
茶毒蛾の毛虫には要注意である。
最近は港区とか中央区の街路樹でも出ると言うことだ。
お店にたっていてつらかつた。
熱が出てきたのである。
ここ一週間で一番ひどい。
きょうは満月のようだ。
うすぐもにぼーっとした感じである。
西洋ではluna=狂気、の連想が成り立つが中国や日本の古典ではどういうふうになっいーているんだろうか。月の引力が動物の精神に何か影響するというのもまんざらでたらめではないような気がする・・・・というか、自分はそう考えたい。そういうタイプのようだ。
帰ってきて大好きな冷やし中華が出ていたので食べたら熱はひっこんでしまった。
食べなくてもひっこんだかどうかはわからないが冷やし中華のおかげにしておく。
私は音楽をやるものではないので、音楽産業の収入の分配についてはまったく知識がないがいつも不思議に思っていることは作曲・作詞したものよりも演奏・演技するもののほうが取り分が圧倒的に多いということである。
ベートーベンに著作権料を払う必要はないのだろうが何か釈然としないモノがある。
クラシック音楽界は現実にはエンターテインメントそのものである。
カネにうずまく世渡りの業界である。
諏訪内さんは学生の頃いちやくトップスターに躍り出たかと思ったら、「音楽家には、音楽でないモノを学び感じ取ることが必要です」とかなんとかいってハーバードの音楽とは関係ない学部に学士入学した才媛のはず、リベラル・アーツの提唱である、もちろんみれはとても大切なことである。しかし"宣伝"することではなかった。宣伝とはとりもなおさずただのエンターテインメントである。
一億弱の申告漏れ。海外での公演料だとか。
見解の相違ではなく意図的なものとは、税務署の見解。
彼女は好きな演奏家なのでこれ以上は・・・。
それにしてもクラシック業界は売れてるものとそうでないものの貧富の差はひどい。
芸人とはそういうものなのでこのことをとやかくいってもしかたない。
しかし・・・・作曲作業は明らかに芸術行為としても、それを再生する作業にあまりにカネがうずまいている現況にはなにかうんざりするものがある。
だからぼくは過去に埋没している。
再生芸術とはクラシック業界を皮肉ったものの言い方だが、再生=演奏には明らかに創造的な作業・知的活動が要求される。しかし"創造"というレベルに達するにはあまりにもはるか手前のものだらけである。
もっともベートーベンを演奏して、演奏者を全く感じさせずその演奏はベートーベンそのものであった、などという言い方・解釈もまあ理解できなくもないのだがほめすぎの場合が多い、小沢がウィーフィルつまりウィーン国立歌劇場の総監督に選ばれた理由もわかる、演奏がいまいったタイプなのである。そのためにあるときから急にオペラをやり始めた、それまではシンフォニー指揮者だったのが。
後進育成とか云々はここでは点数に入れない。
ものつくりとしての立場からのみ苦言を言う。
(ヒットラー・ユーゲントであった)カラヤンによってクラシックが世界レベルでお茶の間に・・・、ということは評価できるが・・・というのがマスコミのおおむねの見解だが実はそれが間違っていたのかもしれない。
小説、ポップアートなどと同様の流布要因に悪の根があるのかもしれない。
芸術よ、武士は食わねど・・・、は必要だよ。
なにかかっかっとしてきてしまい、よくないな。
もう、寝よう。
2011年7月15日金曜日
朝からピーカンで
猛暑の一日であった。
遠出の配達があり2時間車に乗りッ放し。暑がりなのでクーラー最強、22、3度くらいだったのではないだろうか。
帰ってきて車から降りたらふらふらになる。
クーラーは強すぎるとこういうことになる、でも居眠りよけにはいたしかたない。
畑は6畦で終了。
どんなに時間がなくても、ひとうねでもふたうねでもいいから毎日続けることだ。
夕方になってもアスファルトの上は熱風、ただし日陰は風があるため涼しい、読書もできよう。
お店で、買い物で知り合ったというお客様がウチの前で井戸端会議。
よく来てくれるお客様なのでこちらも参入・・・・やがて千客万来。
この方たちは福の神であった。
きょうの売り上げの3割は夕方6時から閉店8時までに売り上げている。
異常な暑さの一日であった。
家に帰ると、む所沢の音楽ホールミューズの広告。
あったあつた、家に着くまで聞いていたNHK FMで奥村 愛というピアニストが弾いているストラビンスキーのイタリア組曲にうつとりとしていたのだが、「どこかで聞いた名前・・・・」と思っていたら「才色兼備のソリスト・・・」という売り込みのキャッチコピーでミューズが11月に呼んでいる女の子であった。たしかに美人である。FMの演奏もまあまあよかった。
歌手は顔と声質がべて、自分にとつては。
器楽奏者は顔はどうでもよく演奏がすべて。
聞いてみたい気もするのだが、今更あたらしい演奏家というのもなんとなく気がひけるのである。
それほど自分にとっての音楽界とは1980年代までで完結してしまっている感じである。
柳家小三治が10月。お店の8階では林家正蔵が3000円、来月かな。
落語ブームのようで満員御礼となることだろう。
9月にはあのゲルバーのベートーベン名曲集。
彼ももう70歳である。
最近は聞いていないが、過去のものはあきらかに巨匠の片鱗がうかがえた。
今はどんなもんだろう。
悲壮(pathetique)が聞きたい。
Houghのピアニスト3大要素のホモにあたるひとである。
客観的にどうというよりも自分このみの演奏をしてくれる(ただし20年以上前)ピアニストである。
広告の写真はどうみても70歳には見えず昔のまんま、つまり30年くらい前のもののように思える。
テレグラフのブログでヒットラー、広告、antiセミティズム、採用試験にtwitter利用・・・・といった流れの議論があつておもしろかったのだがもう眠たいのでまたいつか書こう。
とにかくきょうは目一杯の一日であった。
疲労感はきのうおとといほどはない。
Nさんのブログを見ながら寝てしまおう。
遠出の配達があり2時間車に乗りッ放し。暑がりなのでクーラー最強、22、3度くらいだったのではないだろうか。
帰ってきて車から降りたらふらふらになる。
クーラーは強すぎるとこういうことになる、でも居眠りよけにはいたしかたない。
畑は6畦で終了。
どんなに時間がなくても、ひとうねでもふたうねでもいいから毎日続けることだ。
夕方になってもアスファルトの上は熱風、ただし日陰は風があるため涼しい、読書もできよう。
お店で、買い物で知り合ったというお客様がウチの前で井戸端会議。
よく来てくれるお客様なのでこちらも参入・・・・やがて千客万来。
この方たちは福の神であった。
きょうの売り上げの3割は夕方6時から閉店8時までに売り上げている。
異常な暑さの一日であった。
家に帰ると、む所沢の音楽ホールミューズの広告。
あったあつた、家に着くまで聞いていたNHK FMで奥村 愛というピアニストが弾いているストラビンスキーのイタリア組曲にうつとりとしていたのだが、「どこかで聞いた名前・・・・」と思っていたら「才色兼備のソリスト・・・」という売り込みのキャッチコピーでミューズが11月に呼んでいる女の子であった。たしかに美人である。FMの演奏もまあまあよかった。
歌手は顔と声質がべて、自分にとつては。
器楽奏者は顔はどうでもよく演奏がすべて。
聞いてみたい気もするのだが、今更あたらしい演奏家というのもなんとなく気がひけるのである。
それほど自分にとっての音楽界とは1980年代までで完結してしまっている感じである。
柳家小三治が10月。お店の8階では林家正蔵が3000円、来月かな。
落語ブームのようで満員御礼となることだろう。
9月にはあのゲルバーのベートーベン名曲集。
彼ももう70歳である。
最近は聞いていないが、過去のものはあきらかに巨匠の片鱗がうかがえた。
今はどんなもんだろう。
悲壮(pathetique)が聞きたい。
Houghのピアニスト3大要素のホモにあたるひとである。
客観的にどうというよりも自分このみの演奏をしてくれる(ただし20年以上前)ピアニストである。
広告の写真はどうみても70歳には見えず昔のまんま、つまり30年くらい前のもののように思える。
テレグラフのブログでヒットラー、広告、antiセミティズム、採用試験にtwitter利用・・・・といった流れの議論があつておもしろかったのだがもう眠たいのでまたいつか書こう。
とにかくきょうは目一杯の一日であった。
疲労感はきのうおとといほどはない。
Nさんのブログを見ながら寝てしまおう。
2011年7月14日木曜日
スーパーのレジに並んでいた
腰が90度曲がっていたおばあちゃんが自分の番の途中でその場をはなれ2階への階段を目指し電池はどこかいなと聞いて・・・ということになった。そのレジの列にいたひとたちはそこから離れた時点から「認知症・・・?」で心配になり、おばあちゃんのあとについて行き声をかけて「導いた」ということだ。レジのおねえさんを含め列のひとたちみんないい人たちだった。
・・・ラジオへの投稿のお話。
いい話だった。
自然にこういうことが出てくるのがうれしかった。
今日の朝熊谷の予想は37度だった。
お昼から最初の畑の中耕、これはほこりと暑さでまいった。
2時から4時半まで種まき。
今夏最重要の品種である。
去年発見のもので100グラムから4キロ弱穫れ、そのうち3キロ強蒔く。
1ooキロ越せばいいのだけれど。
きのう同様疲労が激しく2畦蒔いては休んでいた。
暑さはそんなに苦しくは感じなかったのだけれど。
お店でマンゴージュースなるものを飲む。100パーセントジュース。
気持ち悪かった。
どろつとしていて飲み干すのがつらかった。
トマトジュースのような飲み物を連想した、味はもちろん別だが。
トマトジュースは最初だいきらいな飲み物で最近やつと塩が入ったやつを飲めるようになったばかりである。
トマトは大好き。ジュースは・・・・。
これと同じ理屈だ。
マンゴーはうまい。
ジュースは・・・。
固形と液体でこうもちがうふうに感じる者だろうか。
「伊勢神宮の謎を解く」を読み返していて、津田左右吉の引用があり彼が「・・・古代のひとたちは、自然界を統一的に見るというまでに思想が進歩していなかった・・・・、とりもなおさず文化の程度がなほ低かった・・・・」といったことに批判的に述べられていたが、学問の時代背景を考えると他者感覚を働かせなければならないところだが、時代があとになるほど「こころや文化」といわれるものが進歩していくという考えが、今考えたらどんなにおかしいことかということが普通のひとにもわかるところだが画期をなした学者であつてもこういうことは頻繁に起こりうることだろう。
こころとか超越的なモノに対する意識は言葉や文字が未発達な数千年前のほうが却ってとぎすまされていたのかもしれない。
五感のさえは、時代の積み重ねによる知識の補助を除外した、古代のほうが(現代とはニュアンスがやや異なるかもしれないが)冴え渡っていたに違いない。
知識の積み重ね・補助はわたしたちの感覚を鈍化させていく原因なのかもしれない。
ボールに水を張り氷を浮かべて冷や奴をしようと思ったんだけどお宅の豆腐は浮かなかったよ・・・・。
こんなひとが気取り顔で能書きを述べている姿を想像してみてください。
このまちにはこんな程度がいるのです。
・・・ラジオへの投稿のお話。
いい話だった。
自然にこういうことが出てくるのがうれしかった。
今日の朝熊谷の予想は37度だった。
お昼から最初の畑の中耕、これはほこりと暑さでまいった。
2時から4時半まで種まき。
今夏最重要の品種である。
去年発見のもので100グラムから4キロ弱穫れ、そのうち3キロ強蒔く。
1ooキロ越せばいいのだけれど。
きのう同様疲労が激しく2畦蒔いては休んでいた。
暑さはそんなに苦しくは感じなかったのだけれど。
お店でマンゴージュースなるものを飲む。100パーセントジュース。
気持ち悪かった。
どろつとしていて飲み干すのがつらかった。
トマトジュースのような飲み物を連想した、味はもちろん別だが。
トマトジュースは最初だいきらいな飲み物で最近やつと塩が入ったやつを飲めるようになったばかりである。
トマトは大好き。ジュースは・・・・。
これと同じ理屈だ。
マンゴーはうまい。
ジュースは・・・。
固形と液体でこうもちがうふうに感じる者だろうか。
「伊勢神宮の謎を解く」を読み返していて、津田左右吉の引用があり彼が「・・・古代のひとたちは、自然界を統一的に見るというまでに思想が進歩していなかった・・・・、とりもなおさず文化の程度がなほ低かった・・・・」といったことに批判的に述べられていたが、学問の時代背景を考えると他者感覚を働かせなければならないところだが、時代があとになるほど「こころや文化」といわれるものが進歩していくという考えが、今考えたらどんなにおかしいことかということが普通のひとにもわかるところだが画期をなした学者であつてもこういうことは頻繁に起こりうることだろう。
こころとか超越的なモノに対する意識は言葉や文字が未発達な数千年前のほうが却ってとぎすまされていたのかもしれない。
五感のさえは、時代の積み重ねによる知識の補助を除外した、古代のほうが(現代とはニュアンスがやや異なるかもしれないが)冴え渡っていたに違いない。
知識の積み重ね・補助はわたしたちの感覚を鈍化させていく原因なのかもしれない。
ボールに水を張り氷を浮かべて冷や奴をしようと思ったんだけどお宅の豆腐は浮かなかったよ・・・・。
こんなひとが気取り顔で能書きを述べている姿を想像してみてください。
このまちにはこんな程度がいるのです。
2011年7月13日水曜日
暑い毎日のフィニッシュに
夕立が・・・、と思うのだが何もない。
薄雲の中に満月一歩前の月が。
きょうは12畦。
その前にかきまぜ一時間半。
作業は楽だったのだが、終了してから一気に疲れが出る。
仕事中高い山に行きたいなあ、などと山のことを思い出していた。
帰ると会津裏街道(?)つまり東武会津日光線ぞいの大内宿をやつていた。
例のネギをはしの代わりにして食べるそばもやっていた、加藤茶と仲本工事が案内。
言ったことないけど行きたい鉄道沿線。
この鉄道沿線には新緑・黄葉の見事なぶな林を抱えた名山が多い。
低いけれど魅力的な山域だ。
尾瀬とはややずれて、ひともそんなに多くないのでいつかきっとと思っていたがいかずじまいになつてしまった。
山登りはもう・・・・、かな。
薄雲の中に満月一歩前の月が。
きょうは12畦。
その前にかきまぜ一時間半。
作業は楽だったのだが、終了してから一気に疲れが出る。
仕事中高い山に行きたいなあ、などと山のことを思い出していた。
帰ると会津裏街道(?)つまり東武会津日光線ぞいの大内宿をやつていた。
例のネギをはしの代わりにして食べるそばもやっていた、加藤茶と仲本工事が案内。
言ったことないけど行きたい鉄道沿線。
この鉄道沿線には新緑・黄葉の見事なぶな林を抱えた名山が多い。
低いけれど魅力的な山域だ。
尾瀬とはややずれて、ひともそんなに多くないのでいつかきっとと思っていたがいかずじまいになつてしまった。
山登りはもう・・・・、かな。
2011年7月12日火曜日
植木屋さんに畑の車誘導路の
草むしりと「生えないカバー」をしてもらう。
胃ガンの手術が3年前とは思えないほどの元気で相棒といっしょに朝6時から夕方4時まで働いてもらう。
畑の周辺部の草むしり等がどうしてもおろそかになりがちなので助かる。
本日は18畦蒔く。風があったので苦しくは感じなかった。休憩も少ない。
お店に出てからもきのうおとといほどの熱は感じなかった。
Nさんのブログを新しいほうのをみた。
「法をひとつひとつ明確にしてゆけば、必ずしも弱者を守るものではないのがわかる。反対に、法は強者を保護するやうに作られてゐる、と断言しても過言ではない」と。
身の回りで言うと"淘汰される"職業、というものなど典型的な「法に見捨てられた」ものの一例である。淘汰されるにはそれなりの意味はあるのだろうけど、淘汰されるべきでないものも淘汰されていってしまう例も多い。大いなる力をもったエスタブリッシュメントの保護のために。
法とは制定した時点での政治や経済、社会生活、文化・・・もろもろの「できあがっている基準・標準価値観」をもとに作られたもので、当然将来的に修正されていく許容力まで考えて作文されているものだが、「できあがった価値観=エスタブリッシュメント」とは見方を変えれば強者そのもので歴史とはだいたいにおいてエスタブリッシュメントに逆らうひとたちによって変えられていくものである。
政治思想、正義感、芸術、さまざまなものつくり、・・・。
みんなが「まあいいだろう、まあこんなもんだよ」ということに我慢できない人たちがエスタブリッシュメントに逆らいこわし新しいものをつくつていくのである。そしてそれがやがてエスタブリッシュメントになる。そしてまたそれに逆らうものが出てきて・・・。
こういったことの繰り返し、らせん型かジグザグアップダウンか何型かわからないがとにかく一直線に歴史が上へなり下へ進むものではない。
弁証法ということばでひとくくりにしてしまうのもよくないかもしれない。
大きな流れになじまないという性向は人類の少数部分のひとたちに生まれもって備え付けられた遺伝子・装置なのかもしれない。
だから人生の幸せ・不幸せなどということばがいかに定義できないものであるかがわかる。
他人からはひとの幸せ・不幸せは評定できない。
沼波弄山(ぬなみろうざん)つまり萬古焼きの本物が鑑定団に。
初代がずばぬけて新しく、その後は保守的陳腐化していく過程が絵でよくわかった。
こんな伝統焼き物があるんだなと思った。
それにしてもすばらしく"新しい"300年前であった。
10作品くらいしか残っていないとのことだ。
胃ガンの手術が3年前とは思えないほどの元気で相棒といっしょに朝6時から夕方4時まで働いてもらう。
畑の周辺部の草むしり等がどうしてもおろそかになりがちなので助かる。
本日は18畦蒔く。風があったので苦しくは感じなかった。休憩も少ない。
お店に出てからもきのうおとといほどの熱は感じなかった。
Nさんのブログを新しいほうのをみた。
「法をひとつひとつ明確にしてゆけば、必ずしも弱者を守るものではないのがわかる。反対に、法は強者を保護するやうに作られてゐる、と断言しても過言ではない」と。
身の回りで言うと"淘汰される"職業、というものなど典型的な「法に見捨てられた」ものの一例である。淘汰されるにはそれなりの意味はあるのだろうけど、淘汰されるべきでないものも淘汰されていってしまう例も多い。大いなる力をもったエスタブリッシュメントの保護のために。
法とは制定した時点での政治や経済、社会生活、文化・・・もろもろの「できあがっている基準・標準価値観」をもとに作られたもので、当然将来的に修正されていく許容力まで考えて作文されているものだが、「できあがった価値観=エスタブリッシュメント」とは見方を変えれば強者そのもので歴史とはだいたいにおいてエスタブリッシュメントに逆らうひとたちによって変えられていくものである。
政治思想、正義感、芸術、さまざまなものつくり、・・・。
みんなが「まあいいだろう、まあこんなもんだよ」ということに我慢できない人たちがエスタブリッシュメントに逆らいこわし新しいものをつくつていくのである。そしてそれがやがてエスタブリッシュメントになる。そしてまたそれに逆らうものが出てきて・・・。
こういったことの繰り返し、らせん型かジグザグアップダウンか何型かわからないがとにかく一直線に歴史が上へなり下へ進むものではない。
弁証法ということばでひとくくりにしてしまうのもよくないかもしれない。
大きな流れになじまないという性向は人類の少数部分のひとたちに生まれもって備え付けられた遺伝子・装置なのかもしれない。
だから人生の幸せ・不幸せなどということばがいかに定義できないものであるかがわかる。
他人からはひとの幸せ・不幸せは評定できない。
沼波弄山(ぬなみろうざん)つまり萬古焼きの本物が鑑定団に。
初代がずばぬけて新しく、その後は保守的陳腐化していく過程が絵でよくわかった。
こんな伝統焼き物があるんだなと思った。
それにしてもすばらしく"新しい"300年前であった。
10作品くらいしか残っていないとのことだ。
2011年7月11日月曜日
たいして暑くないと思い
1時から3時までかきまぜ、トラクターに乗ってるだけなのでなんのことはなし・・・と思いきや、これがあとまで尾をひく。
3時から4時半まで種まき。
楽な農作業だと思ったが夕方お店でやや熱があるのを感じる。
体を動かしてなくてもこういうことになってしまうようだ。
帰り道きれいな月にうっとりする。
満月でもきれいな形の三日月でもない。
"ひかり方"がいいのである。
九ちゃんの「見上げてごらん・・・」をハミングしながら駐車場に向かうが涙が抑えられなかった。
及川さん、M、母・・・はもういない、じゃないあの星、この星、そっちの星になってこちらを見守ってくれているに違いない。
元気になれとささやいている。
此の歌は支えてくれるうたのようだ。
東北の被災地でもこの歌を口ずさみながら空を見上げて涙を抑えきれないでいる方がいるに違いない。
気仙沼に行ったパートのAさんはもう帰宅したろうか。
3時から4時半まで種まき。
楽な農作業だと思ったが夕方お店でやや熱があるのを感じる。
体を動かしてなくてもこういうことになってしまうようだ。
帰り道きれいな月にうっとりする。
満月でもきれいな形の三日月でもない。
"ひかり方"がいいのである。
九ちゃんの「見上げてごらん・・・」をハミングしながら駐車場に向かうが涙が抑えられなかった。
及川さん、M、母・・・はもういない、じゃないあの星、この星、そっちの星になってこちらを見守ってくれているに違いない。
元気になれとささやいている。
此の歌は支えてくれるうたのようだ。
東北の被災地でもこの歌を口ずさみながら空を見上げて涙を抑えきれないでいる方がいるに違いない。
気仙沼に行ったパートのAさんはもう帰宅したろうか。
2011年7月10日日曜日
きのうは葛飾の埼玉屋さんも浦和に来てくれて
「そば 寶」は大盛況。
大変いやされたゆうべであった。
実は昼間無理したこともありやや熱っぽく感じたのだがて楽しくてあつという間に時間が過ぎてしまった。
たぶん熱中症だったのだと思う。
心地よくよっていたせいかよく眠れた、明け方夢を見ていたはずだがまったく覚えていない。
きょうはあるブレンドの豆腐を作ったが近来まれにみる出来の良さできのうじゃなかったのが残念である。作った本人が感動してしまっているなんて、なんか変だよね。自分の演説に涙していたある団体の長のことを思い出していたがあれと同じレベルかな、同じだとしたらだいぶ卑しいことである。
12-16時まで畑。
きのう梅雨明け宣言できょうはピーカン天気。
12時台は別段暑くも感じずに楽ちんであった。
13\-15時がくせものできのうと同じく15分やったら水飲んで休憩という感じ。
この休憩は車が作った日陰で腰掛けているわけだがこのとき吹いてくる一陣の風がなんともいえずいいのである。
農作業はこの風のここちよさを感じさせるためにやつているといっても言い過ぎではない。
こんなことにまで感動する設定をしてくれた見えざる力に感謝するばかりである。
額にあせするこのような作業を介してしかわからない感覚の世界だろう。
クラブ生協のKさんが通りかかりおしゃべり。
この時期の女性の作業はやめたほうがいいとアドバイス、真っ黒になっちゃうよ。
結局4枚目終了。
5枚目を4畦で終了。
きょうはほんとに暑かったのかな、一部時間帯を゜のぞくとほんとに楽であった・・・きのうの飲み会が心地よかったのとお昼に発見したNさんのブログのことが頭にあったのでうきうきしていたのかもしれない。
このブログはすごい。
仕事や読書、趣味・遊びを介して自分が人生で何を追い求めてきたのかが感じ取れるようになるのが50代ぐらいにやつてくるのかな、夜の電話も併せて考えると、それをある程度明確な形にしておきたくなるのかなと思う。
武澤先生が60が再スタートといったことばを思い出す。
それまでにやってきたこと、あたためてきたこと、見え始めてきたことを形にしたいのだと思う。
カネがをどうやってもうけたらいいかとか、どうやって票を集めたらいいかとか、どうしたら子分がたくさん出来ちやほやしてくれるかといった地面すれすれの低空飛行とは一線を画する。
ここに人生の幸せが存する、これを感じ取れるかいなか・・・。
職業とは手段である。
人生とか文化とかを解釈するための道具である。
この道具をとぎすまされたものにするためには自分の仕事に必死になるしかない。
その作業を通してしか得られないものがむこうの方に待ち受けている・・・ごほうび、なのかな。
Nさんのブログは深いので自分の頭が耐えられるかどうか不安だが全部読んでみせる。何年かかるかな?
えへへへ、第四週が楽しみだ。
大変いやされたゆうべであった。
実は昼間無理したこともありやや熱っぽく感じたのだがて楽しくてあつという間に時間が過ぎてしまった。
たぶん熱中症だったのだと思う。
心地よくよっていたせいかよく眠れた、明け方夢を見ていたはずだがまったく覚えていない。
きょうはあるブレンドの豆腐を作ったが近来まれにみる出来の良さできのうじゃなかったのが残念である。作った本人が感動してしまっているなんて、なんか変だよね。自分の演説に涙していたある団体の長のことを思い出していたがあれと同じレベルかな、同じだとしたらだいぶ卑しいことである。
12-16時まで畑。
きのう梅雨明け宣言できょうはピーカン天気。
12時台は別段暑くも感じずに楽ちんであった。
13\-15時がくせものできのうと同じく15分やったら水飲んで休憩という感じ。
この休憩は車が作った日陰で腰掛けているわけだがこのとき吹いてくる一陣の風がなんともいえずいいのである。
農作業はこの風のここちよさを感じさせるためにやつているといっても言い過ぎではない。
こんなことにまで感動する設定をしてくれた見えざる力に感謝するばかりである。
額にあせするこのような作業を介してしかわからない感覚の世界だろう。
クラブ生協のKさんが通りかかりおしゃべり。
この時期の女性の作業はやめたほうがいいとアドバイス、真っ黒になっちゃうよ。
結局4枚目終了。
5枚目を4畦で終了。
きょうはほんとに暑かったのかな、一部時間帯を゜のぞくとほんとに楽であった・・・きのうの飲み会が心地よかったのとお昼に発見したNさんのブログのことが頭にあったのでうきうきしていたのかもしれない。
このブログはすごい。
仕事や読書、趣味・遊びを介して自分が人生で何を追い求めてきたのかが感じ取れるようになるのが50代ぐらいにやつてくるのかな、夜の電話も併せて考えると、それをある程度明確な形にしておきたくなるのかなと思う。
武澤先生が60が再スタートといったことばを思い出す。
それまでにやってきたこと、あたためてきたこと、見え始めてきたことを形にしたいのだと思う。
カネがをどうやってもうけたらいいかとか、どうやって票を集めたらいいかとか、どうしたら子分がたくさん出来ちやほやしてくれるかといった地面すれすれの低空飛行とは一線を画する。
ここに人生の幸せが存する、これを感じ取れるかいなか・・・。
職業とは手段である。
人生とか文化とかを解釈するための道具である。
この道具をとぎすまされたものにするためには自分の仕事に必死になるしかない。
その作業を通してしか得られないものがむこうの方に待ち受けている・・・ごほうび、なのかな。
Nさんのブログは深いので自分の頭が耐えられるかどうか不安だが全部読んでみせる。何年かかるかな?
えへへへ、第四週が楽しみだ。
2011年7月9日土曜日
今夏最高の不快指数
と思う。
蒸し風呂みたいだ。
冷蔵庫に入っても汗でぬれているため3分くらいしか入っていられない。
もう少し高い温度の大豆用冷蔵庫で涼む。
きょうも「良く焼けてますね」と言われる。
顔が真っ黒だそうだ。
ラジオで京都の舞妓さんはちょいと前までは八坂小学校を出ていないとなれない、つまり京都の人間でもごくせまい範囲の人間しかなれなかったということだ。
お相撲さん。
ウィーン少年合唱団。
ウィーンフィル・メンバー。
・・・こういったものは今は外に向かって開かれてしまっているが本来はその土地のこころが染みついた現地人でないとだめだということなのね。
外に開いた理由は? お相撲さんの場合を考えればなんとなく理解できるかな。
夕方より北浦和。
例になく盛り上がり葛飾から来た新井さんにも感謝感謝。
同業者同士の集まりがいかに欠点が多いかがわかってもらえたかと思う。
だいぶ蛇行歩行していたが無事帰宅。
楽しいゆうべであった。
蒸し風呂みたいだ。
冷蔵庫に入っても汗でぬれているため3分くらいしか入っていられない。
もう少し高い温度の大豆用冷蔵庫で涼む。
きょうも「良く焼けてますね」と言われる。
顔が真っ黒だそうだ。
ラジオで京都の舞妓さんはちょいと前までは八坂小学校を出ていないとなれない、つまり京都の人間でもごくせまい範囲の人間しかなれなかったということだ。
お相撲さん。
ウィーン少年合唱団。
ウィーンフィル・メンバー。
・・・こういったものは今は外に向かって開かれてしまっているが本来はその土地のこころが染みついた現地人でないとだめだということなのね。
外に開いた理由は? お相撲さんの場合を考えればなんとなく理解できるかな。
夕方より北浦和。
例になく盛り上がり葛飾から来た新井さんにも感謝感謝。
同業者同士の集まりがいかに欠点が多いかがわかってもらえたかと思う。
だいぶ蛇行歩行していたが無事帰宅。
楽しいゆうべであった。
2011年7月8日金曜日
忙しすぎて畑は2時から4時まで
のかき混ぜだけ。
ただし種まき続きだったので息抜きになる。
土をかき混ぜて表に出てくる虫ははさみ虫が多い。
あつという間に尾長がつかまえてしまう。
時にちいさい芋虫系が。
パートが東松島市と気仙沼市友達のところに励ましに行く。
ささやかながらリンゴの箱に豆腐をめいっぱい詰めてもたせる。
白松が最中を買ってこいと業務命令。
楽しみだなあ。
仕事からの帰り道、家に近いところで酔っぱらいが自転車もろとも横たわった状態からなんとか立ち直ろうとしていた。
車を止めて出ようとしたが対向車が先に止まり手助けに入っていたので遠慮した。
免許を取るときたしか「どうろに倒れている人がいたら・・・・」というドライバーとしての義務を思い出す。こういうことか。
しかしあの酔っぱらいは家族・または警察にでも連絡しないと帰宅困難じゃないのかと予測する。
一票の格差云々の問題をラジオでニュースしていたが、これはとても規準の求めにくい問題である。
人間としてはみな同じ一票でなければならない。
しかし都市からばかり代議士が出ると地方はどういうことになるのだろうか。
原発誘致などというのはそもそも都市・地方間の経済格差が原因である。
代議士は天下・国家の見識を披瀝・討論するのが仕事だが、やはり生まれ育った場所を心の中から排除してそういった高邁な議論をすることは無理である。
もちろんふるさとへの利益誘導などというものを廃してもである。
ふるさとを基層・古層にかかえながらの天下国家である。
そういうものを無視した大所高所とかインターナショナリズムなどというものはない。
地方が天から降ってくる富をあてにすることなく自立できる経済のしくみが肝要である。
富の都市集中への反省から大事なことがわかってくると思う。
単純に一対二だ三だとかいう問題ではない。
もちろん代議士の資質、それもつまるところ教育の問題。
夕刊のコラムで松下生計塾の塾長が「卒業生たちが日本を変えてくれる」という今までの期待の声は減り、「日本をだめにしつつあるのは君たちだ」と言われるようになってきたとという文章が載っていた。
エリートといわれるひとたちの資質が何かおかしい。
すべて選んだひとの責任なのかよ。
エリートになるに値しない人が軽薄な弁舌だけでなってしまう社会に問題がある。
こういうエリートを選んだひと以上にこういうエリートをそだてた大学以前特に小中学校教育に疑問をいだかざるを得ない。
もひとつ「マルチ」という表題のコラム。
ピアニスト兼もの書きということらしく売れっ子だと本人は感じているのだろう。
なにか有頂天になって書いた文章のようだが自分とダ・ヴィンチを並べてマルチなどといつているところがいけすかなくていやな気分になる。
演奏を聴けばおおむね正体はわかるが廉価版でない正規盤しかでてないのでどうしようかな。
証拠の点検なしで避難はできないからね。
ただ文章のあちこちに有頂天になっている気分が見え見えで、ひとことで「安っぽいな」という印象を受ける。
本業がすべてである。
ただしそれは仕事でも趣味であってもいい。
そのひとの人生にとっての「本業」ということである。
本業以外は教養ととらえる、あるいは本業の一部を構成するものである、と考えよう。
本業はひとつでいい。
ただし種まき続きだったので息抜きになる。
土をかき混ぜて表に出てくる虫ははさみ虫が多い。
あつという間に尾長がつかまえてしまう。
時にちいさい芋虫系が。
パートが東松島市と気仙沼市友達のところに励ましに行く。
ささやかながらリンゴの箱に豆腐をめいっぱい詰めてもたせる。
白松が最中を買ってこいと業務命令。
楽しみだなあ。
仕事からの帰り道、家に近いところで酔っぱらいが自転車もろとも横たわった状態からなんとか立ち直ろうとしていた。
車を止めて出ようとしたが対向車が先に止まり手助けに入っていたので遠慮した。
免許を取るときたしか「どうろに倒れている人がいたら・・・・」というドライバーとしての義務を思い出す。こういうことか。
しかしあの酔っぱらいは家族・または警察にでも連絡しないと帰宅困難じゃないのかと予測する。
一票の格差云々の問題をラジオでニュースしていたが、これはとても規準の求めにくい問題である。
人間としてはみな同じ一票でなければならない。
しかし都市からばかり代議士が出ると地方はどういうことになるのだろうか。
原発誘致などというのはそもそも都市・地方間の経済格差が原因である。
代議士は天下・国家の見識を披瀝・討論するのが仕事だが、やはり生まれ育った場所を心の中から排除してそういった高邁な議論をすることは無理である。
もちろんふるさとへの利益誘導などというものを廃してもである。
ふるさとを基層・古層にかかえながらの天下国家である。
そういうものを無視した大所高所とかインターナショナリズムなどというものはない。
地方が天から降ってくる富をあてにすることなく自立できる経済のしくみが肝要である。
富の都市集中への反省から大事なことがわかってくると思う。
単純に一対二だ三だとかいう問題ではない。
もちろん代議士の資質、それもつまるところ教育の問題。
夕刊のコラムで松下生計塾の塾長が「卒業生たちが日本を変えてくれる」という今までの期待の声は減り、「日本をだめにしつつあるのは君たちだ」と言われるようになってきたとという文章が載っていた。
エリートといわれるひとたちの資質が何かおかしい。
すべて選んだひとの責任なのかよ。
エリートになるに値しない人が軽薄な弁舌だけでなってしまう社会に問題がある。
こういうエリートを選んだひと以上にこういうエリートをそだてた大学以前特に小中学校教育に疑問をいだかざるを得ない。
もひとつ「マルチ」という表題のコラム。
ピアニスト兼もの書きということらしく売れっ子だと本人は感じているのだろう。
なにか有頂天になって書いた文章のようだが自分とダ・ヴィンチを並べてマルチなどといつているところがいけすかなくていやな気分になる。
演奏を聴けばおおむね正体はわかるが廉価版でない正規盤しかでてないのでどうしようかな。
証拠の点検なしで避難はできないからね。
ただ文章のあちこちに有頂天になっている気分が見え見えで、ひとことで「安っぽいな」という印象を受ける。
本業がすべてである。
ただしそれは仕事でも趣味であってもいい。
そのひとの人生にとっての「本業」ということである。
本業以外は教養ととらえる、あるいは本業の一部を構成するものである、と考えよう。
本業はひとつでいい。
2011年7月7日木曜日
涼しく畑ができる。
20畦くらいまいただろうか。
4枚目もあと少し。
あしたあさってが35度前後の予想。
ピアノ2台にドラムスあわせのアルバム。
プレビンとフリーマンだが、この演奏はすごい、おもしろい。
ジャズやポップスをやったりクラシックでオケの指揮をしたりとプレビンのスーパーマンぶりはたいしたもんなのだが、おどろかせるばかりでなくうたうところはちゃんと歌っており単なる見世物屋のピアニストでないことはあきらかである。
クラシックに挫折して、というより早々と見切りをつけてジャズへというパターンの歩みに入るすぐれたピアノ弾きは多いのだが両方とも本物というのも希有なことである。
ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」の45回転レコードをあとで聴いてみよう。
今はなき第一家庭電気が作った景品用の45回転重量レコードで、スーパーアナログと言われているジャンルのレコードである。
経産省のエリート役人が担当分野会社のインサイダー取引。
首になって額に汗する仕事をしなさい。
武士は食わねど高楊枝、は必要である。
本来こういったパブリックと名のついた仕事をする柄ではないのであろう。
卑しさのあふれた公人だらけの国だ。
育ちの悪さを感じる、もちろん自分で自分を育てるということまで含めて・・・。
九電で原発誘導やらせテレビ・ディスカッション。
こんなことまでしなければならない追い込まれた気持ちはもちろんわかるけどいましなきゃならないことはほかのところにある。
4枚目もあと少し。
あしたあさってが35度前後の予想。
ピアノ2台にドラムスあわせのアルバム。
プレビンとフリーマンだが、この演奏はすごい、おもしろい。
ジャズやポップスをやったりクラシックでオケの指揮をしたりとプレビンのスーパーマンぶりはたいしたもんなのだが、おどろかせるばかりでなくうたうところはちゃんと歌っており単なる見世物屋のピアニストでないことはあきらかである。
クラシックに挫折して、というより早々と見切りをつけてジャズへというパターンの歩みに入るすぐれたピアノ弾きは多いのだが両方とも本物というのも希有なことである。
ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」の45回転レコードをあとで聴いてみよう。
今はなき第一家庭電気が作った景品用の45回転重量レコードで、スーパーアナログと言われているジャンルのレコードである。
経産省のエリート役人が担当分野会社のインサイダー取引。
首になって額に汗する仕事をしなさい。
武士は食わねど高楊枝、は必要である。
本来こういったパブリックと名のついた仕事をする柄ではないのであろう。
卑しさのあふれた公人だらけの国だ。
育ちの悪さを感じる、もちろん自分で自分を育てるということまで含めて・・・。
九電で原発誘導やらせテレビ・ディスカッション。
こんなことまでしなければならない追い込まれた気持ちはもちろんわかるけどいましなきゃならないことはほかのところにある。
2011年7月6日水曜日
きょうはそんなに暑く感じなく楽だった。
12畦くらい蒔いたろうか。
ひさしぶりにざるとうふをやっているがよく売れる。
ウチはよせどうふがどうみてもざるをしのいでるのでざるをやる意味はないと思うのだが、ざるはざるで・・・というお客様もいるのでまあ、いいか。
九州のなんとかという豆腐屋がはやらせたもので、ひとまねはいやなのでできればやりたくないんだけど。
そしてざるは「寄せ豆腐」の仕上げの悪さをごまかす方法論でもあるので正直言ってきらいなアイテムなのである。
ただし寄せがよければ当然ざるの仕上げもよくなるというのは当たり前のことだが。
ソニー・クラークの「クール ストラッティン」というブルーノートの超有名盤を聞きながらブログを書いている、20年ぶりぐらいだろうか。あのロングスカートの女性の足下を゜ジャケットにしあげた"粋"を覚えておられるかたも多いだろう。
タイトルはピアニストのソニー クラークの名前を冠しているが、自分にとってのこの盤の身上はアート ファーマーのやわらかいトランペットである・・・・いやいややはりピアノか?ドラムスもいい、ええい、みんないい。
名盤である、言葉はいらないな。
代議士とはあんなものだろう。
マスコミの寄せる言葉も稚拙だ、新聞ジャーナリズムもあんなもんだろう。
「放射線の教え方」・・・ほう、フランスの例ね?
肝心なことはふれないで逃げている。
声優の小林修さん死去、ヤマトに出ていたな。
すずしい夜だ。
クーラーのない自分の部屋でパソコンを打っているが快調・・・と思いきやデスクではないので腰がいたい。メインのほうの再インストールをやりたいのだが、種まきをとにかくおえなきゃね。
夜の飲み会は楽しみだ。
すずしい夜に「クール ストラッティン」がほんとにここちよい。
ほんとにいいものは2度聴きするものではない。
余韻をあたためるものだ、暑い時期に「あたためる」というのもつらいことかな・・・?
あーあ、腰がいたい。
ひさしぶりにざるとうふをやっているがよく売れる。
ウチはよせどうふがどうみてもざるをしのいでるのでざるをやる意味はないと思うのだが、ざるはざるで・・・というお客様もいるのでまあ、いいか。
九州のなんとかという豆腐屋がはやらせたもので、ひとまねはいやなのでできればやりたくないんだけど。
そしてざるは「寄せ豆腐」の仕上げの悪さをごまかす方法論でもあるので正直言ってきらいなアイテムなのである。
ただし寄せがよければ当然ざるの仕上げもよくなるというのは当たり前のことだが。
ソニー・クラークの「クール ストラッティン」というブルーノートの超有名盤を聞きながらブログを書いている、20年ぶりぐらいだろうか。あのロングスカートの女性の足下を゜ジャケットにしあげた"粋"を覚えておられるかたも多いだろう。
タイトルはピアニストのソニー クラークの名前を冠しているが、自分にとってのこの盤の身上はアート ファーマーのやわらかいトランペットである・・・・いやいややはりピアノか?ドラムスもいい、ええい、みんないい。
名盤である、言葉はいらないな。
代議士とはあんなものだろう。
マスコミの寄せる言葉も稚拙だ、新聞ジャーナリズムもあんなもんだろう。
「放射線の教え方」・・・ほう、フランスの例ね?
肝心なことはふれないで逃げている。
声優の小林修さん死去、ヤマトに出ていたな。
すずしい夜だ。
クーラーのない自分の部屋でパソコンを打っているが快調・・・と思いきやデスクではないので腰がいたい。メインのほうの再インストールをやりたいのだが、種まきをとにかくおえなきゃね。
夜の飲み会は楽しみだ。
すずしい夜に「クール ストラッティン」がほんとにここちよい。
ほんとにいいものは2度聴きするものではない。
余韻をあたためるものだ、暑い時期に「あたためる」というのもつらいことかな・・・?
あーあ、腰がいたい。
2011年7月5日火曜日
きょうは長かった。
5時間近くやる。
暑さも半端ではなかった。
へろへろ。
あせもでかゆい。
ことしの梅雨は始まりが早かったが雨そのものは非常にすくないような気がする。
ただ畑をかき混ぜると表面すぐ下はしめってはいるのでひでりというほどではないのだろう。
大臣がまた辞めた。
安っぽい業界だなと思った。
それを取り巻くマスコミもいつもと同じパターンだ。
夕方夕立。
出勤途上でひざから下がびしょびしょとなる。
東京方面に向かって黒雲が伸びておりこの近辺はその端っこですぐに雨はやんだようだ。
帰るころはやや涼しくなっていた、三日月。
畑も若干しめってくれて恵みの雨だ。
鑑定団の桐生出張鑑定がよかった。
黄瀬戸が結構いいだろうなと思ったら予想をはるかに上回る高額だった。
最後の初期伊万里だったかな、値段はともかく欲しかった。骨董趣味はないけどあれはよかった。
でも今一番欲しいのは大豆選別機だ。
久しぶりにきてくれたお客様に「ずいぶん焼けているわね」と言われる。
どちらかというと色白の不健康とみられがちだつたがうれしかった。
返答は「大豆1トン作ってます。」
相手にも喜んでいただいた。自分のことをほんとうにわかってくれるひとが何人かいるだけで幸せなことだ。
異業種間の交流がすすめられるけど意外とこれもだめである。
想像するほどきれいな世界でもなく、町内会同様「ねたみ、やっかみ、侮蔑」の世界である。
どうでもいい。
ほんものはやはり見えざる力がセットしてくれているのかもしれない。
求めようとしても、大声で宣伝してもだめなものはだめである。
暑さも半端ではなかった。
へろへろ。
あせもでかゆい。
ことしの梅雨は始まりが早かったが雨そのものは非常にすくないような気がする。
ただ畑をかき混ぜると表面すぐ下はしめってはいるのでひでりというほどではないのだろう。
大臣がまた辞めた。
安っぽい業界だなと思った。
それを取り巻くマスコミもいつもと同じパターンだ。
夕方夕立。
出勤途上でひざから下がびしょびしょとなる。
東京方面に向かって黒雲が伸びておりこの近辺はその端っこですぐに雨はやんだようだ。
帰るころはやや涼しくなっていた、三日月。
畑も若干しめってくれて恵みの雨だ。
鑑定団の桐生出張鑑定がよかった。
黄瀬戸が結構いいだろうなと思ったら予想をはるかに上回る高額だった。
最後の初期伊万里だったかな、値段はともかく欲しかった。骨董趣味はないけどあれはよかった。
でも今一番欲しいのは大豆選別機だ。
久しぶりにきてくれたお客様に「ずいぶん焼けているわね」と言われる。
どちらかというと色白の不健康とみられがちだつたがうれしかった。
返答は「大豆1トン作ってます。」
相手にも喜んでいただいた。自分のことをほんとうにわかってくれるひとが何人かいるだけで幸せなことだ。
異業種間の交流がすすめられるけど意外とこれもだめである。
想像するほどきれいな世界でもなく、町内会同様「ねたみ、やっかみ、侮蔑」の世界である。
どうでもいい。
ほんものはやはり見えざる力がセットしてくれているのかもしれない。
求めようとしても、大声で宣伝してもだめなものはだめである。
2011年7月4日月曜日
二日酔いは回避。
目覚めはよかった。
日本酒やワインを避ければまず大丈夫。
それにしても浅草から筑波エクスプレスで秋葉原に一回戻り山手線へというのがとても便利であった。秋葉原の駅はまるつきり別世界のような豹変ぶりであった。
電気街というより若い子向けの・・・になったのかしら。
父親の時代では新宿、渋谷、六本木という今の繁華街地図は無意味であったろう、たまり場は圧倒的に浅草であったようだ。
六区にはひょうたん池という池もあつたようで、そのことを父に聞くと知っていた。
ビートたけしや寅さんが育ったのも浅草で、往年のにぎわいはだいぶ衰えたようではあるがまだまだその筋を求めるものには魅惑的な一角だと思う。
3枚目終了。
さらさらで快適だが、暑いのにはまいる。
種まきリミットは7月いっぱいである。
雨やかき混ぜ日も含まれるので昼間の野暮用は回避すべし。
古畑任三郎ならぬ高木任三郎さんのことをきのう出かける前にテレビでやっていた。
まったく今回の原発事故を正確に予測するような発言をずいぶん昔にしていたひとがいたんだな。
専門知識の世界でしろうとにはわからない世界のことだが、その分野の研究者が自らの人生をかけて原発反対をしていた、今は物故者。
原子力や遺伝子操作の応用面といった世界ではしろうとにはわからない恐怖・驚異が存在するはずだが、好奇心や上昇志向という人間の性をコントロールするあるものをこころに蓄積してこなかったものにはそういった倫理とか正義とかにかかわる問題は科学の敵だと考える向きも多いと思う。
政官学の効率的な科学推進になんの批判精神もなく邁進してきた学者たちの前途にあるものはなんだろうか。
今回の原発事故は政官学連携のもつとも見苦しい点が暴発した典型例である。
科学を厳密にむ監視できるのは科学者しかいない。
御用学者にこのことは無理である。
高木任三郎さんという現実と遠くを冷静にきちんと見つめていた科学者にこころより敬意を表せざるをえない。
彼の"生"や"科学"を見つめる根幹は彼の豊かな"教養"からきていると感じた。
戦後教育のなかからも自己教育でここまで精神のたかみに行き着けたひとがいたんだなと驚くばかりであった。
学校の役目とはいったいなんなのだろうか。
奇しくも彼は武澤先生と同じ前橋高校だ。
原発を推進した中曽根さんも群馬県。
日本酒やワインを避ければまず大丈夫。
それにしても浅草から筑波エクスプレスで秋葉原に一回戻り山手線へというのがとても便利であった。秋葉原の駅はまるつきり別世界のような豹変ぶりであった。
電気街というより若い子向けの・・・になったのかしら。
父親の時代では新宿、渋谷、六本木という今の繁華街地図は無意味であったろう、たまり場は圧倒的に浅草であったようだ。
六区にはひょうたん池という池もあつたようで、そのことを父に聞くと知っていた。
ビートたけしや寅さんが育ったのも浅草で、往年のにぎわいはだいぶ衰えたようではあるがまだまだその筋を求めるものには魅惑的な一角だと思う。
3枚目終了。
さらさらで快適だが、暑いのにはまいる。
種まきリミットは7月いっぱいである。
雨やかき混ぜ日も含まれるので昼間の野暮用は回避すべし。
古畑任三郎ならぬ高木任三郎さんのことをきのう出かける前にテレビでやっていた。
まったく今回の原発事故を正確に予測するような発言をずいぶん昔にしていたひとがいたんだな。
専門知識の世界でしろうとにはわからない世界のことだが、その分野の研究者が自らの人生をかけて原発反対をしていた、今は物故者。
原子力や遺伝子操作の応用面といった世界ではしろうとにはわからない恐怖・驚異が存在するはずだが、好奇心や上昇志向という人間の性をコントロールするあるものをこころに蓄積してこなかったものにはそういった倫理とか正義とかにかかわる問題は科学の敵だと考える向きも多いと思う。
政官学の効率的な科学推進になんの批判精神もなく邁進してきた学者たちの前途にあるものはなんだろうか。
今回の原発事故は政官学連携のもつとも見苦しい点が暴発した典型例である。
科学を厳密にむ監視できるのは科学者しかいない。
御用学者にこのことは無理である。
高木任三郎さんという現実と遠くを冷静にきちんと見つめていた科学者にこころより敬意を表せざるをえない。
彼の"生"や"科学"を見つめる根幹は彼の豊かな"教養"からきていると感じた。
戦後教育のなかからも自己教育でここまで精神のたかみに行き着けたひとがいたんだなと驚くばかりであった。
学校の役目とはいったいなんなのだろうか。
奇しくも彼は武澤先生と同じ前橋高校だ。
原発を推進した中曽根さんも群馬県。
2011年7月3日日曜日
ただいま帰宅。
べろべろです。
テーブルのうえにサクランボ。
Nさんありがとう。
きょうはほんとに忙しかった。
お昼は食べた。
神田で銀治ちゃんの2ッ目昇進。
そのあと打ち上げ。
そのまま村井さんと浅草のBellへ。
だいぶ飲んだようだ。
勝新太郎そっくりのおにいさんに人生を教わりTさんから人生の悲哀の諸様相を聞き充実した酔っぱらいのひとときを過ごしました。
世間の規準などに関わりなく真剣に生きている・生きてきたひとの声をすなおに聞けた3時間でした。
永井荷風がどの席にすわっていたかわかりませんが、せまっこいお店の中は繰り返し涙でぬれたいすとカウンターが何かをこちらにささやいている気がむしました。
帰りはだいぶ蛇行歩行だったと思います。
さくらんぼありがとう。
おやすみ。
23時o5分。
やばい、きょうは土曜日じゃないよ、あしたは月曜日。
テーブルのうえにサクランボ。
Nさんありがとう。
きょうはほんとに忙しかった。
お昼は食べた。
神田で銀治ちゃんの2ッ目昇進。
そのあと打ち上げ。
そのまま村井さんと浅草のBellへ。
だいぶ飲んだようだ。
勝新太郎そっくりのおにいさんに人生を教わりTさんから人生の悲哀の諸様相を聞き充実した酔っぱらいのひとときを過ごしました。
世間の規準などに関わりなく真剣に生きている・生きてきたひとの声をすなおに聞けた3時間でした。
永井荷風がどの席にすわっていたかわかりませんが、せまっこいお店の中は繰り返し涙でぬれたいすとカウンターが何かをこちらにささやいている気がむしました。
帰りはだいぶ蛇行歩行だったと思います。
さくらんぼありがとう。
おやすみ。
23時o5分。
やばい、きょうは土曜日じゃないよ、あしたは月曜日。
2011年7月2日土曜日
荒川の土手の
ちょっと手前で水田を眺める。
心が洗われるような気分であった。
所沢には、お遊びの田んぼは別にして、水田はない。
だから収穫直前のあのきん色の稲穂が風になびく美しさは日常的に目にできるものではない。
かつては家の前は水田であった。
本流から田んぼへ水を引く小川は子供たちのかっこうの遊び場であった。
ただし郷愁で水田の美しさにこころ惹かれるといわけではなく、それはあくまで目に映った美しさに対する純粋な気持ちである。
特にきん色の美しさは何にもたとえようがない。
きょうのはあおあおとした育ち盛りの若さの青、である。
古来稲は稲霊(いなだま)といわれたくらい、霊的なものを蔵した存在でわたしたちの体をつくる・・・すなわちいのちの源ととして尊ばれたものである。また稲妻とは稲の妻ということでお米とは天と地の交わりの上にできあがったいのち・産物ととらえられていたとのことである。
きょう水田を見てさらに加えて、その美しさがもたらすこころの高揚もその霊性を高めるおおきな要因であったのではないかと感じた。
日々水田を眺めながら暮らしているひとたちと比べてたまに・突然水田に出くわす自分と比べて感覚のずれがあることもなんとなく感じるのだが古代のひとたちがどういう思いで水田を眺めいかづちに対してどういう思いをもっていたか想像することは楽しい。
雷は稲の成長期にたくさん発生するものなのでその"意味"を自然人として解釈すると、当然上に述べたようなことを考えたくなるのも自然なことなのだと思う。
さらさら畑、きょうは10畦。
夕立はなかったがやや疲れていたので早じまい。
朝から夕方までりんごひとつしか食べていなかった。
しかも昨晩は眠れなかった。
熱帯夜ではなかった、コーヒーも飲んでいない。
疲れすぎだつたのだろうか。
心が洗われるような気分であった。
所沢には、お遊びの田んぼは別にして、水田はない。
だから収穫直前のあのきん色の稲穂が風になびく美しさは日常的に目にできるものではない。
かつては家の前は水田であった。
本流から田んぼへ水を引く小川は子供たちのかっこうの遊び場であった。
ただし郷愁で水田の美しさにこころ惹かれるといわけではなく、それはあくまで目に映った美しさに対する純粋な気持ちである。
特にきん色の美しさは何にもたとえようがない。
きょうのはあおあおとした育ち盛りの若さの青、である。
古来稲は稲霊(いなだま)といわれたくらい、霊的なものを蔵した存在でわたしたちの体をつくる・・・すなわちいのちの源ととして尊ばれたものである。また稲妻とは稲の妻ということでお米とは天と地の交わりの上にできあがったいのち・産物ととらえられていたとのことである。
きょう水田を見てさらに加えて、その美しさがもたらすこころの高揚もその霊性を高めるおおきな要因であったのではないかと感じた。
日々水田を眺めながら暮らしているひとたちと比べてたまに・突然水田に出くわす自分と比べて感覚のずれがあることもなんとなく感じるのだが古代のひとたちがどういう思いで水田を眺めいかづちに対してどういう思いをもっていたか想像することは楽しい。
雷は稲の成長期にたくさん発生するものなのでその"意味"を自然人として解釈すると、当然上に述べたようなことを考えたくなるのも自然なことなのだと思う。
さらさら畑、きょうは10畦。
夕立はなかったがやや疲れていたので早じまい。
朝から夕方までりんごひとつしか食べていなかった。
しかも昨晩は眠れなかった。
熱帯夜ではなかった、コーヒーも飲んでいない。
疲れすぎだつたのだろうか。
2011年7月1日金曜日
お昼を食べていると「胡同のひまわり」
という映画をやっていた。
畑があるので全部は見ていられなかったが2時までみてしまった。
北京の路地裏のことをフートンというらしいが、以前岩波だったかで写真集が出、「言ってみたいなあ」と思ったものである。
この映画は文革後の画家挫折の親と(親の果たせなかった夢を託した)その子との確執を背後の政治状況の変化等を含めて家族の問題を美しい(?)まちの風景とともに描いたものでついついみいってしまった。映画にはそんなに敏感というわけではないので現在の映画界なんてことは一切わからないが、この映画はどう評価されてきたんだろうか。
ま、そんなことは関係ないとしてとても楽しめた午後のひとときであった。
中途半端で畑へ行くことになってしまったが、DVDは出てないのかな?
きょうはさらさらの畑なので14畦蒔く。
雨は降らず。
レモンが3つ結実していた。
フジりんごは2つ。
なしは10個くらい。
ユスラウメは剪定が影響してか全くならない、うまいユスラウメなんだけど。
曇ってしまい気温はそんなにあがらなかったので比較的楽であった。
お店へ出てもくらくらはせず。
夕飯時前川清とクールファイブが桜島の温泉につかっていた。
前川清以外の異様なふけ方にびっくりしてしまった。
老けない前川が異様なのかな。
枕元のパソコンは床にしゃがんで打っているのですぐに腰がいたくなる。
長い時間キーボードは打てないようだ。
携帯してお勝手で打てばいいのかなと思うが・・・いやだね。
中東問題のブログで instant sunshine in a can などということを言うやつがいた。
比喩とはいえ被爆国の日本人としてはこういうふざけた言葉にはがまんができない。
tunnel vision 訳語がなくても想像できる・・・視野狭窄・偏見のことを言う。なーるほど。土管ビジョンでもいいかなと思う、トンネルじゃ向こうの出口が見えないことが多いからね。
畑があるので全部は見ていられなかったが2時までみてしまった。
北京の路地裏のことをフートンというらしいが、以前岩波だったかで写真集が出、「言ってみたいなあ」と思ったものである。
この映画は文革後の画家挫折の親と(親の果たせなかった夢を託した)その子との確執を背後の政治状況の変化等を含めて家族の問題を美しい(?)まちの風景とともに描いたものでついついみいってしまった。映画にはそんなに敏感というわけではないので現在の映画界なんてことは一切わからないが、この映画はどう評価されてきたんだろうか。
ま、そんなことは関係ないとしてとても楽しめた午後のひとときであった。
中途半端で畑へ行くことになってしまったが、DVDは出てないのかな?
きょうはさらさらの畑なので14畦蒔く。
雨は降らず。
レモンが3つ結実していた。
フジりんごは2つ。
なしは10個くらい。
ユスラウメは剪定が影響してか全くならない、うまいユスラウメなんだけど。
曇ってしまい気温はそんなにあがらなかったので比較的楽であった。
お店へ出てもくらくらはせず。
夕飯時前川清とクールファイブが桜島の温泉につかっていた。
前川清以外の異様なふけ方にびっくりしてしまった。
老けない前川が異様なのかな。
枕元のパソコンは床にしゃがんで打っているのですぐに腰がいたくなる。
長い時間キーボードは打てないようだ。
携帯してお勝手で打てばいいのかなと思うが・・・いやだね。
中東問題のブログで instant sunshine in a can などということを言うやつがいた。
比喩とはいえ被爆国の日本人としてはこういうふざけた言葉にはがまんができない。
tunnel vision 訳語がなくても想像できる・・・視野狭窄・偏見のことを言う。なーるほど。土管ビジョンでもいいかなと思う、トンネルじゃ向こうの出口が見えないことが多いからね。
登録:
投稿 (Atom)