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2011年10月4日火曜日

朝はだいぶ寒かった。

旭川はきのう短時間だが雪、けさは霜・初氷とのこと。

刈り取った跡と発芽しなかったところをかき混ぜる。
狭いけどぎりぎりトラクターがUターンできる。
大豆のさやはいろんな品種に黒ずんだ部分が出てきたものが多く見受けられるようになってきた。ぱんぱん状態を通り過ぎてかたくなりつつあることの表れである。

武市半平太の真筆の書状が鑑定団に。
名前しか知らない人物だったが紹介で、すごい人物だなと思った。
37才で切腹だが、当時の江戸・明治の狭間で活躍した青年たちの情熱と覚悟というものにただ圧倒されるばかりであった。
これを思うと明治まで(いろんな意味で)生き残ったひとたちの行いにはやはり穢れの多さを感じざるを得ない人物ばかりだ。
政治に頭角を表すものとはそういうものなのだろう。
負け犬と称されたひとたちまで含めて歴史というものは考えなければならない。

ノーベル賞の季節となったが、選考は大変みたいだね。
我が国戦後大学を出たひとたちの多くも受賞してもおかしくないひとたちがたくさんいるようである。
功績のはっきりした科学分野でもこんななのだから、経済とか文学、平和などといった分野は選考不能領域でやめてしまったほうがいいとも思うのだけれど。
最初の近似方程式がニュートン、そして次のがアインシュタインで近似なのか窮極なのかの迷いが生じかねないこないだのスイス-イタリア間を走らせたニュートリノの実験結果でひとときどきっとさせられたものだ。
これらの前後にもさまざまな法則が発見されていてもそれらが"自然"にしかけられた真実の法則なのかいなかは精度を追い求めて行くに従い誤差が発見されたり例外がでてきたりの番狂わせがさまざまな形で現れるのかもしれない。
絶対の探求といえばバルザックの一冊だが、完璧な法則というものは人類の飽くなき好奇心には消滅することのない目標でありつづけるのだろう。
物理ばかりでなくいろんな分野で"絶対"を追いかけている。
畑の"理屈"にもそういったものがある。
自然のサイクルという理想形態に近づけよう、でも農業は自然そのものではない。
トリックとだましあいともとれる"工夫"もある。
わからないことだらけだけど、わかろうと努力しているのが心地よさなのかもしれない。
欲しいと思ったものがすぐ手に入ってしまうのはつまらないものね。

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