とは一般には死ぬまでひとつの仕事をし続けることと解釈されていて、ものつくり、もの書き、芸術家(この言葉はともすると軽蔑的なニュアンスを持って使われることが多いが)、資格職業等に適用されることばと考えられているが車を運転しながら考えたことは「死ぬまで考えつづけられるテーマをもっていること」が生涯現役の本当の意味なのかなと考えた。
つまりサラリーマンであってもそれまで考えつづけてきた"あること"を定年後も考えつづけていられることはとりもなおさず生涯現役ということだろう。
毎日のように夕方買い物に来ている対照的な夫婦がいる。
片方はそんなに年ではなさそうでついこないだまでは奥さんだけが来ていたがある時からペアーになる、つまり停年になったのだろう。だんなはカゴをもって奥さんのあとをふらりふらりととろんとした目つきで追いかけている。人相は頭は良さそうであるが生き物としての"勢い"はまったく感じられず腑抜け手前かなといった感じ。
もうひと組は70ちょい越えということをご本人から聞いているが、夫婦ともどもパソコンを使って仕事をしている。ソフト以前のコンピューター言語とかも使えるようでこちらが理解できないことも言う。目はきらきらとしていて"勢い"を感じる。奥様もきれいで、かわいいというよりは"色気"を感じる。年取った女性へのほめ言葉はふつう"かわいい"というのが最高位と考えられているが、色っぽいというほうがすごいような気がする。
年の取り方はひとさまざまで他人がとやかくいうことはないが、人間としてのほんとの醍醐味は停年してからあるのではないかなと感じた。
"目標"というより"テーマ"をもてるかいなかというのが大事なことだと繰り返し思った。
きょうはだいぶ刈り取りをやる。
やっかいとしりながらおきんさまをもいで枝豆にする。
葉っぱはまだほとんど黄葉もしていないのだが実はぱんぱんでやや黄色がかってきているような感じがする。子供に「30分くらい」と注文をつけて煮てもらう。部屋中くんくんいいにおい。
ほくほくとして甘い枝豆である。
夜9時からNHKでやった「宮沢賢治音楽会」がよかった。
途中までで眠くなってこのブログを書き足し寝ることにする。
見た部分はあいた書こう。
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