一灯照隅というより一灯照全のひと。
このひとのことを思うと「かったるいかったるい」は言えなくなってしまう。
もちろんそれなりに重荷はしょっているであろうが人の前では語らない。
とてもこういうかっこよさは自分には望めないのだが爪の垢でもというところだろう。
軽薄な社会にあって稀有な"まじめさ"の事例だ。
79才?
自分より二回りも上だ。
民主党の応援演説が毎日のようにある。
最後の土曜日は枝野さんのようだ。
放蕩三昧をしてきた過去の市政が積み上げてきた借金はそう簡単にゼロにすることもできそうにもないどころか増えていくばかりのようにも見える。
使うことばかりの政策でこれで経営が成り立っていくのだろうか?
稼ぐことを知らない使うだけの放蕩息子・娘然とした首長や議会人とは宇宙人なのだろうか。
きょうの畑はかなり疲れた。
あしたは医者なので少し休もうと思う。
テレビとラジオについてのブログがおもしろかった。
テレビをみないひとの意見もいろいろあるが深いのは、
「細部を見ない(もちろん見えているのに見ていないということ)、流されている、撮影者の視点でしかものをみない・考えない、・・・」ということだが動いて行ってしまうものに対してはいたしかたのないことだ。
動きのないカメラ(ムービーに対してstill camera)の場合だと一枚のカットにタイミング・画角・構図・ひかり、・・・といったさまざまな条件を待ったり組み立てたりで相当な時間がかかることもある。その間撮影者は"細部"を入念に見ているわけである。
副産物もおおきい。
しろうとがカメラをやっていてまず学ぶことは"ひかり"なのではないだろうか。
そしてその裏返しの"かげ"。
相手の誘導にのって終着点まで連れて行かれるムービーと違ってスティル・カメラは主体そのものの行為である。
・・・・・。
でも、海の中、8000メートル、大気圏外、南極・北極、砂漠、見学禁止自然遺産・歴史遺産等は映像でしか近づけない。
映画も"導かれている"わけだが、これは創作で言葉と映像によって我々に思考をせまるもので読書と近いところがある。
自分はテレビを断てるかどうか疑問だが・・・・・無理かな?
そんなに見ているわけではないが。
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