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2011年10月10日月曜日

枝豆の一般論。

品種が異なると開花・結実の時期は異なってくる。
蒔いてからさやが茶色くなるまでの時間も品種によってことなるが、枝豆に関しておおざっぱにいえる一般論が成立するような気がする。
つまり9月30日までに枝豆適期がやってきてしまうような品種はうまくない、遅くなっていくにしたがってうまくなる、ということである。
もちろん例外はある。たとえば茶豆は一般に早生が多いがしょ糖分が高いので「うまく感じてしまう」というような例。しょ糖分を除くと"野の味"の部分が物足りなくてなにか水っぽさののようなものを感じる。
畑にのっかっている時間が長いほうがうまいと言えるがもひとつ大事なことに9月の残暑が過ぎて一日の最高温度と最低温度におおきな開きが生じることが大切であると推論する。
最低気温が25度以上などという状況でできあがる枝豆の多くがなにか物足りない味となるのも宜なるかなである。
ということでここへ来て毎日枝豆検食のラッシュでまいっている。ビールも飲み過ぎ。
おとといおそばやさんで食べたのは借金無しだが7月頃食べた早生品種と比べると雲泥の差がある。両方とも店主が蒔いて収穫したものである。
このように作物には明らかに食べ頃というものがある。
早生というものは自然界にはもちろんあるわけだが、基本は7月発芽で9月末から10月真ん中へんに枝豆収穫となるのが自然といえる。
戦略的早蒔き早取りが主流となっているのが枝豆業界だが食べる側はこういったことにだまされ流されてはいけない。そのためには少しでいいから自分で蒔いてみることである、あるいは自然農をやっている農家と仲良くなることである。
農業自体は自然そのものではないが、本来のうまみは自然に近い状態で育てた(育ってしまった)ものに違いない。強引に商業ベースにのせられたうまみに疑問を持つべきである。十三夜
書き忘れたがきのうは十三夜。十五や十六(いざよい)と比べて何を意識して数字を並べたのかわからないが、十五夜と十三夜はセットで見るものできくのうは偶然ながらお店からの帰りに車の中から薄曇りでぼーっとしたやや未状態の月を拝めた次第である。なんのお供えもしなくて申し訳なかったのだが、十三夜のほうが枝豆をそなえるのが正式なやり方のようでお月見在来を収穫できたことを感謝する次第である。
家に帰っておいしく食した。
ピーカンの空に光っているのとは違いぼーっとした感じの風景が物思いにふけっているひとたちへのプレゼントのような気もした。
来年は両者ともきちんとお供えをしてぼーっとながめることにしようと思う。
お月見在来はおいしい枝豆である。
これを食しているのはたぶん全国で私だけであると思う。

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