50、60と齢をへてきてふつう"終わり支度、死に支度"とかいわれる年齢に達して幸せであるためのおおきな条件として「人生にテーマがあるかいなか」ということをきのう武澤先生と電話していて話題になった。
幸い自分にはふつうのひとからみたら「そんなこと!と一笑に付されてしまうような重荷をしょっているが、人生のテーマらしきものはもっている・・・逃避でもあるのだが。
人生の目標は?ということはよく言われることでだいたいなしとげられずに終わってしまうものだが、「テーマは?」と聞かれるとかなり気が楽になるのではないだろうか・・・・。目標は達成点・到達点のことでせまい山頂を指す。"テーマ"は「どの山に登るか?」というおおざっぱなものでどのコースを選ぶか、効率は?、頂上を踏めるかいなかはそんなにプレッシャーをかけられる問題ではない。だいいち人生という枠の中で頂上などというものがあるのかすらわからない、たぶん無い、というのが現実だろう。ノーベル賞をもらったとたんに、過去の業績はもちろん評価されるとしても、それ以後の人生がスポイルされてしまうひとたちもいる。
権威の鎧をありがたく感じてしまったとたんそのひとは落ちていく。
生涯現役とは死ぬまで自分のテーマを追うことだろう。
それは死ぬまで仕事をし続けるというだけではだめである。
テーマはかならずしもそのひとの生業で在る必要もない。
自分の場合はたまたま生業とテーマがだぶってしまっていることが幸いしている。
前にも書いたが、夢を実現して満足しきって死んでいくよりも夢を追い続けその中途で死んでしまったとしても、そちらのほうが美しい。
というわけでたんたんとして自分の道を歩んでいくしかない。
見てくれはどうでもいい。
病院のため畑休み。
関東農政局の統計事務所が坂戸にあったものが廃され県内には2カ所となってしまった模様であるが、大宮の新都心の駅前のビルからわざわざ来てくれた。
去年と同じ"坪刈り"調査である(反収)の測定。
家内の弟は帯広の事務所にいたが出勤の朝心筋梗塞でなくなったのはもう十数年も前、42だった。そんなこともあり、統計事務所と聞くと特別の思いがわき上がってくる。
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